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「話題の新刊」に関する記事一覧

たたかえ!ブス魂
たたかえ!ブス魂 「ブス、地味、存在感がない、誰からも注目されない、自分の言いたいことをはっきりと言えない、人の目が気になる、女が怖い、男がわからない、モテない、イケてない」。これだけのコンプレックスを抱える著者が綴った、自伝的エッセイ。  学生時代から演劇に没頭していたため就職はせず、やがて生活費を稼ぐだけのバイトに飽きてAV制作の世界へ。エロの世界で働きながら、自分らしさを取り戻してゆく過程は、笑えたり、はっとさせられたりの連続。エロの世界では「コンプレックスが強みになる」という。貧乳の女優は幼女のように見えるから喜ばれるし、存在感のないカメラマンは、素人モノを撮影する時に相手を警戒させないから好都合。短所が長所に反転する瞬間の喜びは、コンプレックスだらけだった女の子を少しずつ、しかし確実に強くしていく。  やがて著者は、エロの世界を演劇に仕立てることで「“女”の生態という普遍的なものを描けるのではないか」と思うように……入り口はエロだがその奥に広い広い「女の世界」が開けている。
ジャズのある風景
ジャズのある風景 ニューヨーク在住のジャズピアニスト・山中千尋による初のエッセイ集。NYの名門ジャズクラブ「ヴィレッジヴァンガード」のトイレから、パリの小さなバーで見かけたピアニストの背中、果ては彼女の地元・群馬県桐生市の畑にばら撒かれた大量の生理用ナプキンまで、音楽家ならではの、というより山中千尋という個人のユニークな視点で切り取られた「風景」が、女性的な品のある文体で、ときおりシニカルなフレーズ(あるいは「毒」と言ってもいい)を交えつつ軽やかに綴られていく。  その毒が盛りに盛られた第3章「行儀のわるいジャズ評論」は、実に挑発的。「ジャズが敬遠される大きな原因の一つは、ジャズそのものの難解さよりも、ジャズについて書く人たちのうっとうしさにあるのではないでしょうか」といった具合に、印象批評に堕したジャズジャーナリズムをこき下ろしている。  もっとも、著者の口の悪さはいわば「芸」であり、それを芸たらしめているのは、若干ひねくれたユーモアと、ジャズを取り巻く環境を憂う気持ち、そしてジャズそのものに対する愛情なのだ。
ルポ 産ませない社会
ルポ 産ませない社会 大胆な題名だが、嘘ではないのかもしれない。出産や育児に関わる女性や医師からの聞き取りを中心にした本書を読んで思った。  浮き彫りになるのは妊娠した女性たちの疲弊した現状だ。第一子の出産を機に四割の女性が「出産退職」し、「妊娠解雇」「育児退職」も少なくない。それを恐れ妊娠を先延ばしにすれば、ハイリスクな「高年齢出産」が待つ。「育休三年」で解消する問題とは言えない。  出産や医療の現場にも根深い歪みがある。産婦人科医や助産師の人手不足、病院の経営重視などから、必要ない「帝王切開」の比率が年々上昇。産業のように「ベルトコンベア化」されたお産に、携わる者も辟易している。病弱な乳幼児のケア、母親の育児放棄や虐待も大きな課題だ。  根底には、核家族化や職場の理解不足による妊婦の孤立がある。最終章では、デイサービスと保育所を一体化させた施設や子持ちの女性だけが所属する事業部が紹介される。未来を変えるのは、互いの困難を他人事にしない姿勢だ。「産める社会」への道はまだ閉じていないと感じる。
法服の王国 小説裁判官 上・下
法服の王国 小説裁判官 上・下 経済小説を手がけてきた著者が初めて、悩める個人として対極にある二人の裁判官の半生を小説にした。司法界のドンに見込まれ、最高裁事務総局の出世街道を行く津崎と、全国各地の地方裁判所の支部を転々とする村木。この二人を軸に、自衛隊訴訟や公害訴訟、原発訴訟など、国を相手どった訴訟と裁判所内部の意識の変遷を描く。  村木が出世コースを外れ、冷遇されるのは、左派の青年法律家協会に籍を置いていたからだ。不当人事に映ったそれは、憲法よりも戦後の経済復興を優先させたい自民党から圧力がかかっていたためと、後に最高裁長官を退いた「ドン」が示唆する。津崎もまた、組織の一員として国家権力の弁護を担う。だが村木は金沢地裁にいたとき、原発訴訟の現場で緻密な審理を重ね、日本で初めて、稼働中の原発の運転差し止めを言い渡す。  訴訟の争点を丹念に書き込んでいる。「ドン」は、「ミスター司法行政」の異名をもつ実在の人物がモデルと見られ、村木判事もモデルを想像できる。長官の椅子をめぐるどんでん返しが凄まじい。
わたしたちの体は寄生虫を欲している
わたしたちの体は寄生虫を欲している 猛獣やヘビ、ダニ、ノミ、ばい菌、寄生虫、彼らは長らく人類の敵だったが、現代都市ではほぼ完璧に排除されている。ところが今、クローン病やアレルギーなど新しい病気が猛威をふるい始めた。人間の文化や戦争の起源まで視野に入れながら、自然と人間はどうかかわるべきか、あるべき社会の姿を探る。  寄生虫は免疫抑制物質を出して免疫システムの攻撃を防いでいるが、免疫システムはそういう寄生虫がいる前提でうまく働くようにできている。その寄生虫を駆除すると勢い余って余計な攻撃を始めてしまうのだ。  また虫垂炎は途上国ではまれ。無用の長物と思われていた盲腸は、最近の研究で病原菌を撃退する腸内細菌の格納庫であることが判明。先進国では攻撃すべき病原菌の侵入がなくなったせいで、虫垂が炎症を起こすのではないかという。  著者は寄生虫を体内に入れるクローン病治療や都市のビルを農園にする計画を紹介、人に恩恵を与える種のみ賢く選択して自然と共生せよと書く。それも少々人間のご都合主義な気もするが、長年の敵を友人として見直す時にきているのは確かだろう。
そらみみ植物園
そらみみ植物園 いやはや、世の中にこんな植物があるとは。トゲトゲの実が百獣の王・ライオンの命すら奪う、その名も「ライオンゴロシ」、形も大きさも女性のおマタそっくりのエロティックなヤシの種。150年続く植木問屋の5代目にしてプラントハンターの著者が、世界で出会ったユニークすぎる植物たちを語るエッセー。  寒いヒマラヤで生きるセイタカダイオウはなんと自前の温室を作る。半透明の葉でドームを作ってその中で花を育てるのだ。実を食べると巨乳になるおっぱいプランツ、花の形がメスのハチそっくり、いわばダッチワイフでオスを誘い受粉させるラン。名前も生態も植物の地味なイメージをはるかに逸脱、連中は実にトンガった人生を送っている。著者は21歳まで植物にはとんと興味がなかったが、子供の頭ほどある世界最大の食虫植物を見てあまりの衝撃に人生観が180度変わったという。  武蔵野美術大学の学生ユニット「そらみみ工房」が描く植物の絵が秀逸。なにやら人間臭くて、ホントは言葉もしゃべるんじゃないか、てな気がしてくる。ちょっと楽しげに、「オレたちをナメんなよ」と。

この人と一緒に考える

戦後日本史の考え方・学び方
戦後日本史の考え方・学び方 日本近現代史関係の著作に定評のある著者が、戦後日本史を振り返りながら歴史の捉え方を解説した一冊。  主張内容はきわめてシンプルだ。歴史は、つねにある立場からの解釈を通じて作られる。同じ出来事を誰が、どのような立場から語るかによって複数の「戦後史」が存在する。沖縄や女性、在日コリアンなど社会的マイノリティと呼ばれる人々の視点から描かれる戦後史は、その顕著な例だろう。例えば今年、サンフランシスコ平和条約の発効日である4月28日を、敗戦後の占領から日本が脱した「主権回復の日」として式典を開こうとする政府の動きに対し、沖縄から強い反発が起こった。沖縄からすれば、同日はむしろ施政権が返還される1972年まで米国の占領下におかれるきっかけとなった日に当たる。本土にとっては祝いの節目となる日が、沖縄からすれば屈辱の日という真逆の歴史解釈がそこには存在するのだ。  歴史が作られてゆくダイナミズムを味わえる。主なターゲットは若年層だが、大人の学び直しにも良い。
女子会2.0
女子会2.0 帯に記された「磨きすぎた『女子力』はもはや妖刀である」というコピーの破壊力が凄まじい。ワインの知識や、高いヒールに真っ赤な靴裏がトレードマークのクリスチャン・ルブタンのハイヒール。消費メディアに煽られた“自分磨き”のなれの果ては、磨きすぎてもはや相手がいないという厳しい現実。  女子会といえば、女子(いくつになっても女子!)が集い、美味しいお酒や食事とともに、おしゃべりを楽しむ会のこと。本書もその名を冠しており、ここに記された座談会や論考は終始和やかで、頻繁に笑いも出るほど楽しかったりもする。しかし、会話のテーマは日本の女子たちが置かれたシビアな現状だ。  それは決して個人的な悩みや甘えではなく、社会制度や世間一般の価値観など、さまざまな要因が複雑に絡み合う。生き方が細分化し、女子の間でも格差は広がる一方だ。  気鋭の女性論客たちが繰り広げる女子会は、単なるおしゃべりの場ではない。データなどを交えて女子を取り巻く現状を客観的に論じつつ、不確かな現代を前向きに生きるためのヒントに満ちている。
冷泉家 八〇〇年の「守る力」
冷泉家 八〇〇年の「守る力」 京都御所の北隣、同志社大学に三方を囲まれるように佇む冷泉(れいぜい)邸は、現存する最古の公家住宅。24代目当主の長女に生まれた著者が、25代目にあたる夫と二人、いまも住まう。明治維新で大半の公家が東京に移った後もこの家が動かなかったのは、家祖である藤原俊成・定家父子以来の典籍や古文書を収めた蔵のお守りを続けるためだ。戦乱や天災を乗り越え伝えられた書物の多くは、いまや国宝・重文に指定されている。  冷泉家8百年の歴史からは、「歌聖」とあがめられる家祖2人を凌ぐ才能は出ていない。だが、それを自覚した代々が「そこそこ」の感覚を頼りに、次代につなげることこそが務めと自らに課してきたから、文学史を書き換えるような書物群は散逸を免れたと、著者はいう。 〈私たちは、「相変わらず」でいると、なぜかいら立って、なにか変わったことがないか探すのです。本当は、相変わらずほどありがたいことはないのに、と思います〉  「墨守」とでも「前例踏襲」とでも呼ぶなら呼びなはれ──「守り」のスペシャリストの潔い覚悟が感じられる一冊だ。
アンデルセン物語 食卓に志を運ぶ「パン屋」の誇り
アンデルセン物語 食卓に志を運ぶ「パン屋」の誇り 敗戦後間もない1948年。被爆地広島の一画に高木俊介・彬子夫妻は「タカキのパン」の幟(のぼり)を高く掲げ、開業した。統制下、リヤカーを引き原材料を調達しレンガの窯(かま)で焼く。夫妻には理想があった。商品は食糧難の時代のひとびとの空腹を満たすだけのものであってはならない。おいしいパンを作り日本の生活文化としてパン食を普及定着させること。  研究と工夫を重ねて65年。創業当時4人だった従業員は今や8千人に。殊にペストリー分野の魁(さきがけ)であると同時に先頭を走り続けた「アンデルセン」グループの軌跡を本書は伝えるが、通り一遍の社史ではない。  職人、技術者、営業、販売担当者に学習の機会を開き本場の本物を見せて育て、と教育者の顔を併せ持つ俊介(2001年没)・彬子。製法にまつわる特許を得ても独占せずに業界全体の底上げに供する2人の理想主義に寄せる共感だろう、著者はここで、戦後食文化史の開拓者への賛歌を謳うのだ。瞬く間に富と名声を手にしたネット社会の起業家の成功譚には多分望むべくもない、人間の気配、人肌の温もりがある。
世界が認めたニッポンの居眠り
世界が認めたニッポンの居眠り 外国人が日本で電車に乗って驚くのが車内の「居眠り」だという。車内だけでなく、学校でも会社でも、国会議事堂の中ですら、頭を垂れる人は多い。本書は英ケンブリッジ大学の研究者が日本の睡眠文化について調べた一冊だ。  日本固有の文化である「居眠り」の起源は平安時代にまで遡るというから驚きだ。近代になり、生活習慣の変化で我々は夜にまとめて寝るライフスタイルを理想にするようになったが、日本では昼間のうたた寝の習慣は残ったままだったという。そして、経済のグローバル化の到来で働く環境が変わる中、細切れに眠る「居眠り」が効率的な上に健康的と海外で評価され始めていると著者は指摘する。  時と場合によっては、肩身の狭い居眠りだが、創造的な仕事にも実は不可欠だ。湯川秀樹はうたた寝中に中間子論を思いつき、日本初のノーベル賞受賞者になった。  昼間から人の目を気にせずに、コクリコクリと居眠りしてしまいそうな主張が並ぶが、眠り過ぎには注意。あくまでも数分から20分程度が最適とか。
1000人の患者を看取った医師が実践している 傾聴力
1000人の患者を看取った医師が実践している 傾聴力 もしあなたの大事な人が、何かに悩み、落ち込んでいたら、どう支えますか──。  終末期の患者を千人以上看取っている緩和医療医である著者は、死を前に悩み苦しむ患者を「傾聴」で支えてきた。  「傾聴」は苦悩を癒やし、乗り越える手段を提供するという。本書は、主に終末期の患者とのやり取りを事例に、正しい「傾聴」とは何かを綴っていく。  その人が何に苦しんでいるのかを知り、答えを見つけるまでそばにい続けること。悩んでいる人が、人生に新しい意味を見いだせるように支援することなど、聴き手側の心構えをまず説く。そして、話を聴く際のテクニックは、私たちの日常生活で明日からでも使えそうだ。たとえば、机で話を聴くときは、並んで座るか、対角線上に座る。相手の顔を見ながら話すが、時に視線を外す。優しい顔でしっかり頷きながら話を聴くなど。  支えることはたやすくない。何よりも、聴き手側の人間性が要求される。しかし人を支えられるのは人だけだ。これからの高齢化社会に「傾聴力」は必須だろう。

特集special feature

    漂流遊女 路地裏の風俗に生きた11人の女たち
    漂流遊女 路地裏の風俗に生きた11人の女たち 1時間当たり2千~3千円で体を売る女性がいる。風俗業界でも最底辺に位置するが、本書に登場するのは、そうした風俗ですら客が掴めない女性たちが大半だ。  立ちんぼで生活する元派遣OL、自宅でデリヘルを営む2児の母。食費を稼ぐのにも苦労する元AV嬢。生い立ちや環境は異なるが、彼女たちの口から共通して出てくるのは「自己肯定」だ。店が悪い、客が悪いと愚痴をこぼすが自己の境遇は悲観しない。自らよりも惨めな存在を探しては安堵する。  数少ない成功者も登場する。39歳で年収は1千万円。顧客の好みをノートに記し、コミュニケーションを欠かさない。風俗以外の世界でも成功する普遍の要素をそこには見いだすことが出来る。  別世界に映るかもしれないが、彼女たちの人生は我々と陸続きの地平にある。私たちの多くも彼女たち同様、幼少時に夢見た人生とは大きく異なる道を歩んでいる。意図せずしておかれた状況を「仕方ない」とただただ受け止めていないか。敬遠しがちなタイトルだが、示唆に富んだ一冊だ。
    ニッチを探して
    ニッチを探して 銀行員・藤原道長はある日妻と娘を残して失踪した。直後に20億円に上る不正融資と横領が発覚。追われる身となった彼はホームレス生活を開始、ネットカフェ、公園、廃車、河川敷と自分のニッチ(最適の生息地)を探して転々とする。“生きる”という極限の冒険に飛び込んだ男の奇妙な物語。  上野で先輩ホームレスからイロハを教わったことを皮切りに、路上生活のスキルを一つひとつ学んでいく。食糧調達はどうするか、安全な寝場所はどこか。人は壁や屋根がないと安眠できない、ゆえに段ボールハウスは偉大な発明である──生き延びる、ただその一点で見渡す街は、まるでちがう顔をもっている。  時に、オヤジ狩りの中学生とガチで闘い、金を増やすために馬券を買う。転落でもヤケクソでもなく、常に感覚を研ぎ澄ませ、頭をフル回転させて生き残る道を探る彼の生活は、むしろ麻薬的な緊張感と高揚感にあふれる。  終盤、背任事件の真相と失踪の真の理由が明かされ、怒濤の結末へ。これほど先が読めなくて、これほどカッコイイ「普通のおっさん」の物語はそうそうない。
    ほんじつ休ませて戴きます
    ほんじつ休ませて戴きます 著者は大阪の古書店「青空書房」を営む。90歳でいまだ現役の店主が、読書する素晴らしさと自身の人生、亡き妻への想いを語る。  店の名物が休みの日に貼りだす「ほんじつ休ませて戴きます」のポスター。全部手書きで、洒脱なイラストとウイットに富んだひとことがつく。これが楽しい。「失望の壁一枚向うに希望が住んでます」「青春とはたくさんの本を読みたおすパッションだ!」。  13歳から働き始め、戦後の日本に絶望。どん底から救ってくれたのはマティスの絵だった。結婚3日目、奥さんに「甲斐性なしやな」と言われちゃった話など、つらいこともうれしいことも味のある大阪言葉がみんな包んで、人生の豊かさ、面白さに変えてしまう。  忙しくて話す暇もないからと、ある時から毎日妻に書き続けた手紙には掛け値なしの感謝と愛情があふれる。気取りも気負いもない平易な言葉が、心にじんじんとしみこむ。  人はたいてい、思いをうまく言葉にできない。自分の心をそのまま言い表してくれる言葉に出会うと人は泣いてしまうのだ、ということを本書を読んで知った。
    「リベラル保守」宣言
    「リベラル保守」宣言 変化を厭わない。他者への寛容さを保つ。自由を尊重する。それが本来の「保守」思想であり、著者が唱える「リベラル保守」という。古今東西の保守思想家の言を交え、対立軸に置かれがちな「リベラル」と「保守」に橋を架けていく。  保守とは人間の不完全さを受け容れる精神だ。人の作るものに欠陥を認め、歴史の風雪に耐えた「伝統」を重んじる。それゆえ、理性に頼って完璧な社会を設計しようとする左翼思想に反対する。東日本大震災や貧困問題などを通じて思索を深め、脱原発も主張する。  サヨク的若者だった著者が保守思想に傾倒する過程が印象深い。中学生だった1989年、革命でルーマニア大統領が処刑される。前夜まで「熱狂」した自分を人殺しと責め、人が感情に支配される危うさを体感する。  「リベラル保守」提唱は道半ばであり、議論の活性化が目的という本書。抜本的改革を叫ぶ政治家を批判したため、出版中止になりかけるトラブルも。穏やかで明快な文章に引きこまれ、執筆予定という理論書が待ち遠しくなる。
    きわきわ 「痛み」をめぐる物語
    きわきわ 「痛み」をめぐる物語 著者は編集者やマンガ評論家として活動する明治大学准教授。ちょっと変わったタイトルは、本書が映画、マンガ、文学などのジャンルを横断しつつ「いわゆるコントラバーシャルな(=議論を呼ぶ)」類の、だからこそ人々が話題にするのを避ける「きわきわ」な問題だけを追いかけて綴った「ゼロ年代(+α)の日本」論であることに由来している。  美容整形、自傷、不倫、セックスワークなど、ゴシップとして消費されがちな話題を積極的に取り上げ考察する中で見えてくるのは、「生きにくさ」とでも呼ぶべきものだ。とくに「女の生きにくさ」を反映した作品の多さには、改めて驚かされる。蜷川実花によって映画化された岡崎京子『ヘルタースケルター』、楳図かずお『洗礼』、江國香織『薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木』といった作品群に通底する「女の生きにくさ」は、やがてフィクションの世界を飛び出し、「今にも崖から落ちようとしている」「『フクシマ』以後」のわたしたち自身へと繋がってゆく。恐ろしくも美しい断崖絶壁(きわきわ)を覗き込む時のような緊張感が最後まで続く評論集だ。
    タイガの帝王 アムールトラを追う
    タイガの帝王 アムールトラを追う ロシア極東部に300余頭しか生息しないアムールトラは警戒心が強く、めったに人前に現れない。地元の猟師すらほとんど見たことがない“幻のトラ”をカメラでとらえようと、厳寒のシベリアに飛び込んだ命がけの記録。  タイガ(シベリアの密林)にはトラのほか、ヒョウなどの猛獣が徘徊し、冬はマイナス数十度になる。油断すれば即、命を落とす極限状況で狩人のごとく森の痕跡を読み、ターゲットの動きを予測しながらひたすら待つ。トラと人、追跡の駆け引きにぞくぞくする。  ホッキョクグマに襲われ、九死に一生を得たエピソードも紹介している。著者ほど自然と動物を熟知している人でも、死は簡単に目の前にやって来る。自然とは本来、凶暴なものなのだということを身震いとともに思い知るのだ。一方で、著者が撮影したトラのなんと猛々しく美しいこと。シカやイノシシ、たくさんの野鳥、蝶などもカメラに収めているが、命溢れる森の放つ輝きに思わず言葉を失う。  後半は、20世紀初頭にアムールトラを追い続けた名ハンター、ヤンコフスキーの手記「トラ狩りの半世紀」を収録。

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