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「話題の新刊」に関する記事一覧

仁義なきキリスト教史
仁義なきキリスト教史 イエスの死から叙任権闘争、十字軍、ナチスとの接近までキリスト教の歴史を時系列に追う。これまでのキリスト教史との違いは、タイトルからわかるように小説『仁義なき戦い』をモチーフにしている点。登場人物が全員広島弁というかつてない壮大な試みに挑んでいる。 「穴掘っとけい、ぶち殺しちゃらあ!」 「ユダ、おどれがチンコロしおったんか!」  会話だけでなくシノギやら落とし前やら物騒な言葉も並ぶので穏やかでない。やくざとキリストとは全く関係がないのではと指摘を受けそうだが、キリスト教の陰の歴史は俗にまみれた権力争いの歴史でもある。内部の宗派争いはまさに「抗争」であり、魔女狩りや十字軍は残忍だ。キリスト教をやくざの歴史に見立てるのも決して飛躍したものではないと著者は語る。  創作も一部交えているが、史実に沿って展開する。「やくざ」が広島弁でひたすらまくし立てる迫力に後ずさりしてしまう感はあるが、日本人がキリスト教を知る入門書としてはこのような本もありでは。
中国複合汚染の正体
中国複合汚染の正体 赤、ピンク、黄色。冒頭の写真で紹介された河川の色は、どれも毒々しい。中国の環境汚染がPM2.5をはじめ、大気から水質、土壌まで広範囲に及んでいることを、中国関連のルポを手がけてきたジャーナリストが報告する。  著者は、がん患者が多数出ている「がん村」を訪ね回る。近くには汚染水をこっそり川に流す大工場がある。カドミウムに汚染された土と水でコメが生産され、食べ続けた人々にイタイイタイ病に似た症状が出ている。クロム公害の原因となっている工場ではペットフードの栄養添加物が生産され、世界中に輸出されている。著者の取材活動はたびたび公安に妨害される。環境NGOやメディアの活動も十分ではない。農民や都市民の「公益」意識も高くない。急速な経済発展の陰で広がる大規模な「複合汚染」の背後に、一党独裁政治の問題が浮かび上がってくる。  日本が協力できる分野は多いという。ただ、公害で苦しむ市民への「国際社会の関心」こそが彼らの意識を変える契機になるとの指摘も、もっともだと思う。
辞書になった男 ケンボー先生と山田先生
辞書になった男 ケンボー先生と山田先生 日本を代表する辞書、『三省堂国語辞典』と『新明解国語辞典』。同じ辞書から生まれたにもかかわらず、性格はまるで正反対だという。「客観的」と「主観的」、「現代的」と「規範的」。『三国』を編纂した見坊豪紀と『新明解』を編纂した山田忠雄、二人の巨人の強烈な個性、友情と決別のドラマを追う。  見坊の語釈は客観的かつ簡潔な短文。「辞書はことばを写す鏡であり、ことばを正す鑑である」との信念で、新語も他に先駆けて収録、現代の実相を的確に反映させようとした。一方、山田は「辞書は文明批評である」といい、主観に踏み込んでことばの裏まで詳細に説明した。『新明解』を一躍有名にした、【恋愛】の「出来るなら合体したいという気持」という破天荒な語釈もそこから出ている。  無味乾燥と思っていた辞書の随所に編者の心の内がにじみ出る。著者は【時点】の奇妙な用例から、共に仕事していた二人が突如決裂した真相まであぶりだした。ことばを最もよく知る二人がことばによって傷つき葛藤した。「言葉とは不自由な伝達手段である」という山田のことばが印象深い。
舞台
舞台 初の海外一人旅でニューヨークを訪れた、自意識過剰な青年の葛藤を描く。  主人公の葉太は29歳。観光客と思われないようガイドブックを丸暗記するなど、周りの目が気になって仕方がない。財布やパスポートを含む「ほとんどすべて」が入ったバッグを盗まれても、滞在初日で盗難にあった間抜けな奴と笑われることを恐れ、警察や領事館にも行けない。しかし、ほぼ無一文で生活する中、自意識過剰のもととなった幼少期の出来事や、理想の自己を演じ続けた父に対する嫌悪の感情と向き合うことで、自意識でがんじがらめの葉太に変化が訪れる。  著者は2013年、『ふくわらい』で第1回河合隼雄物語賞を受賞。本書では、これまでの作品にはないメッセージが込められている。自意識過剰で、「ありのまま」でいられない自己の存在を認め、受け入れることで、初めて自分が「きちんと自分になれる」ことを説く。物語を読み進めるうちに、読者は葉太の自意識過剰を笑えなくなる。葉太とともに苦しみ、葉太とともに「きちんと自分になれる」小説だ。
伝える極意
伝える極意 本書はこれまで先進国首脳会議など多くの国際会議で同時通訳を担当してきた通訳の第一人者による、コミュニケーション論だ。  通訳というと一般的には単なる「言語仲介者」という見方が強い。しかし、本書冒頭ではそうした視点がきっぱりと否定される。話し手の発言を「伝える」役割を担う通訳者は、「話し手が伝えたいことは何か」「それをどう伝えるか」を常に考えることが求められる。著者は通訳者の作業プロセスを、聞く─理解する─分析する─翻訳する─話すという五段階に分解する。「翻訳する」とはつまり「言葉を置き換える」という作業だ。五段階の作業はいずれも、毎日のやり取りに不可欠なスキル。通訳という行為は人間対人間のやり取りにとって、多くの示唆を含んでいることがわかる。大切なのは技術より「伝えたい〈内容〉」を持っているかどうかだ、とその主張は一貫して明快だ。  スピーチやプレゼンの前などに読めば、本書のアドバイスは大いに役立つだろう。通訳という世界に縁がなかった人々にも実践的な一冊だ。
世界の果て、彼女
世界の果て、彼女 これほど人間臭い小説があっただろうか。韓国の人気作家キム・ヨンスが描き出す7編の短編小説は、「自分が誰なのか、どこにいるのか、忘れてしま」っている登場人物たちによって紡がれている。  夢を追い切れなかった男、過去に犯した過ちで苦しむ老人、自分の成長と向き合えない少女。本書の登場人物は、過去によって苦しみ、現在に悩まされている人ばかりだ。「当惑、惨めさ、怒り、憎しみ」のような感情を心に抱き、自分の存在のつかめなさに苦い表情を浮かべている。彼らは、巻末の短編「月に行ったコメディアン」に出てくる視力を失った男のように、空も星もない「暗黒の空間」に立っているのだ。  著者はこのような個々人の内面の葛藤だけでなく、警察との衝突によって6名が犠牲となった「龍山惨事」などの社会問題までをバランス良く描きつつ、その狭間を生きる人々に「私たちは幸せに暮らす権利がある」とエールを送っている。人の傷を描く著者の言葉からは優しさが滲み出ていて、心の温まる小説である。

この人と一緒に考える

思春期の子に、本当に手を焼いたときの処方箋33
思春期の子に、本当に手を焼いたときの処方箋33 思春期とは「家族」から離れ、社会に新しい居場所を作る、人生でも困難な時期。だが、現代は「家族」が厄介だ。家族内の人間関係、力関係が変わり、多様な育ちがある。DVや虐待、貧困、発達障害などの持って生まれた資質や環境で傷を負う者もいる。  本書はそんな時代に、どんな子どもにも向く、子育てマニュアル。なにしろ著者は37年間に100人以上の、心に傷を負った子どもたちの里親を務め、臨床経験豊富。学術博士としては発達に関する最先端の知識を持つ。配慮を巡らした土井ホームでの生活の中で子どもたちは心の傷を癒やし、自立を果たす。  内容は具体的。叱る時間は3分以内。「守られているという安心感」を持たせるために一貫性と継続性のある「物差し」を。周囲の賞賛と共感の言葉で子どもは変化を見せる……。親の怒りのコントロール法も説明する。  つまり、大人の作り出す安全と応答性の中で子どもは自立を果たすのだ。  平易な文体でさらっと読める。だが、手元に置いて、困った時にページを繰れば、必ず知恵が得られるだろう。
へるん先生の汽車旅行 小泉八雲、旅に暮らす
へるん先生の汽車旅行 小泉八雲、旅に暮らす へるん先生とは、ラフカディオ・ハーンこと小泉八雲のこと。松江で英語教師となる際、県との契約書にヘルンとカタカナで書かれていたため、そのように呼ばれた。漂泊の旅を重ねたのち日本を訪ね、物語作家の才を開花させる。彼の心の旅の軌跡をジャーナリストが追った。  ギリシャに生まれ、アイルランドとイギリスで少年時代をすごし、19歳でアメリカに渡ったハーンは、白人社会のはぐれ者を自負していた。違法と知りつつ黒人と結婚し、新聞社から解雇され、40歳にしてほぼ無一文で来日する。天涯孤独の苦労人は、政府から招聘されたお雇い外国人や、十分な資金をもって見聞旅行をしたイザベラ・バードとは違っていた。「友人」のように日本人と接するハーンの姿に、著者は元祖バックパッカーの姿を見る。偏見のない心で異郷の地を楽しみ、セツと微笑ましい結婚生活を送った。  時おり、著者自身の鉄道の旅の記録が入り交じる。カナダ・トロント発の寝台列車は、今も線路端の焚火を合図に列車を停め、先住民たちを無料で乗せるという。
女と金 OL財布事情の近年史
女と金 OL財布事情の近年史 女性誌に掲載された「OLの財布事情」に関する特集記事をおよそ30年ぶん収集、分析、考察した労作。「どうやら女子の財布を見ていくことは、OLのお金の使いみちとか消費スタイルとかだけでなく、若い女性の社会の中での立ち位置を検証することになるのでは、という予感」に捉えられた著者が、膨大な資料を読み込んでゆく。そこに立ち現れるのは、時代に翻弄されながらも働き続ける女性たちの姿だ。  景気の良し悪しだけではない。男女雇用機会均等法の成立など、女性の働く環境は、経済状況と法制整備によって、ずいぶんと様変わりしている。そんな中、変わらないのは「女性は消費するために稼いでいる」というイメージ。雑誌後半のモノクロページに掲載されたやりくり術は、そのまま雑誌前半のカラーページに掲載された洋服やカバンを買うために生かされる……この循環構造は女性にかけられた呪いのよう。「女性の財布も、消費させるためだけに注目されることがなくなることを、願わずにはいられない」という著者の言葉はとても重い。
ゲノムに書いてないこと
ゲノムに書いてないこと ゲノムがすべてわかっても、人間のすべてがわかるわけではない。研究室の枠を超えて社会、哲学、アートなど広い視点から生命活動を探る生命誌研究、その第一人者が日常から見えるさまざまな「生きている」を語る。  農村の環境整備からダンスの舞台制作まで、驚くほど多彩な活動の中で興味深いのは子供たちとの交流だ。小学生には難しいとされる生物学的テーマでも彼らは真剣に聞き、深く考え始める。難しいかどうかなどまるで関係がない。注目すべきは10歳という年齢。日本語と英語を両方問題なく使えるようになるのも、芸術を素直な感性で受け止められるのも10歳。これより数歳前でも後でもだめなのだという。  一方、日本の科学者たちは資金獲得に汲々とし、研究プロジェクトの目標すら抽象的な一般論ばかり。人間は未来に向けどう生きるべきかという具体的ビジョンがない、と嘆く。  名詞でなく動詞で考えると発見がある、とも書いている。「生命」ではなく「生きている」と聞けばなるほど、思考が一気に広がる。何が、どこで、どのように。脳がガシガシ動き出す感覚が楽しくもうれしい。
承認をめぐる病
承認をめぐる病 ひきこもりに関する著作などで知られる精神科医が、現代の若者を取り巻く風潮を「承認」というキーワードから読み解いた一冊。  承認への渇望は、社会の至る所に溢れている。例えば就労動機の変化。著者によれば近年、若者の就労願望を支えるのは「食い扶持のため」といった義務感ではなく「仕事を通じて認められたい」という承認欲求だという。  本書のミソは、このような欲求を「相互承認」という観点から捉え直す点にある。承認は、他者の存在抜きには得られない。それゆえ承認を欲することは、他者に依存すると同時に支配されることをも意味する。こうした葛藤を孕んだ相互承認は、病理と紙一重でもある。著者は「コミュ力」「コミュ障」といった言葉に示される近年の風潮を「コミュニケーション偏重主義」と名付け、2008年に生じた秋葉原無差別殺傷事件を事例に「承認」と「病理」の境界を丁寧に解きほぐしてゆく。  若者への臨床経験豊富な著者だからこそ、単なる「評論」には留まらない。「承認」に悩める若者へのメッセージが随所に詰まっている。
パンダが来た道
パンダが来た道 19世紀後半、中国四川省の山奥でフランス人宣教師にパンダが“発見”されるや、その愛くるしい風貌に世界中が熱狂。クマかレッサーパンダかの生物学的議論も巻き起こし、いまや外交で大きな力をもつ存在になっている。ようやく明らかになってきたパンダの生態と共に、150年の数奇な歩みをたどる。  最初の80年は中国動乱期だったが、欧米人が大挙して押し寄せ、パンダ狩りに狂奔した。戦後は共産中国が国の広告塔として徹底的に管理、重要な外交カードとして利用し始める。  人々に愛される一方、常にメディアの政治批判の道具にされ、からかわれ揶揄される存在でもあった。WWF(世界自然保護基金)はパンダを野生動物保護のシンボルに祭り上げたが、中国との共同保護プロジェクトは、双方の「パンダは自分たちのもの」という意識のせいでたびたび危機に陥ったという。  何が何でもパンダが欲しいという欲望と、パンダを守りたいという執着。パンダの歴史から見えてくるのは人間のバカさ加減だ。人のエゴと善意ほど始末に負えないものはない。皮肉な思いにため息が出る。

特集special feature

    LEDと曲げわっぱ 進化する伝統デザイン
    LEDと曲げわっぱ 進化する伝統デザイン 伝統工芸の技を取り入れ、現代的な空間や生活用品を提案するデザイナーが、これまでの仕事を引き合いに出しつつ、新たな「和」の発想を著した。現代に即した工芸の可能性、まず「やる」と決めて表現を模索する職人らの思い、さらには光や石をつかった日本の伝統的な美意識の応用にも触れる。  著者は、東京・日比谷のザ・ペニンシュラ東京の空間をデザインするとき、左官職人や漆職人らに声をかけ、内装の主要部分に伝統工芸の粋を集めた。ベージュから黒へとグラデーションをなす床の間の左官壁。消防法対策として、通常よりもはるかに薄く削いだ杉板を編んで難燃性の下地に取りつけた、客室の網代天井。エントランスロビーは従来の日本の美意識をふまえつつも新しさが宿る。  漆の風呂桶など突拍子もなく思える品もあるが、漆は軍艦に塗ったほど水に強く、塗りの技法の中には鉄砲玉でも穴を開けられないものがある。息を止め、張りつめて命と引き換えに壁を塗るという職人の話も盛り込み、彼らの腕を信じ、表現を引きだすきっかけをつくる仕事の魅力を説く。
    東京最後の異界 鶯谷
    東京最後の異界 鶯谷 鶯谷駅。JR山手線で最も乗降客が少ない駅であることは意外に知られていない。実際、改札を出た北口広場の光景からはその事実は信じがたい。  昼間から多くの男たちが携帯電話を片手に立ち、しばらくすると彼らの元には、二十代から四十代の女性が駆け寄る。冬でも胸元をあらわにした女性から銀座のホステス風まで。国籍もさまざまだ。陰鬱とした印象を持つ鶯谷は今や若者も通う風俗産業の最先端スポットであるという。  本書では著者が鶯谷で働く風俗嬢や客との会話を通じて、裏側から日本の今を照射する。興味深いのは、後半部分で鶯谷の地形や歴史を考察することが結果的に前半の風俗業界の考察に奥行きを与えている点だ。ホテル街と駅を挟んだ反対側には墓地や徳川家の菩提寺であった寛永寺が並ぶ。正岡子規の終の棲家や夏目漱石などの文豪が通った料理屋が今でも残る。本来は交わらない俗と聖が交差し、生と死が隣り合わせる鶯谷の不思議な魅力を著者は描き出す。ふらりと鶯谷に散歩に出かけたくなった。
    こうしてテレビは始まった
    こうしてテレビは始まった 戦後、日本のテレビ放送がどのように始まったのか、あまり一般には知られていない。この娯楽の王様を広めたのは、実は日米両国の高度に政治的な思惑だったという。導入にかかわった米政府関係者の証言、日米の膨大な史料を追いながら、舞台裏でくり広げられたすさまじい暗闘の全貌を明らかにしている。  始まりは、アメリカ人発明家が占領下の日本でテレビ放送ビジネスを始めようとしたことだった。しかし東西対立が激化する世界情勢の中で、アメリカの議員グループが反共プロパガンダに使うことを画策。さらにはジャパン・ロビーが密かに米軍の軍事通信網に利用しようと動き、CIAまで暗躍した。日本側も放送事業を牛耳って総理の椅子を得ようとするメディア王・正力松太郎や、経済復興のためにアメリカから電源借款を引き出すカードにしたい総理・吉田茂など、そうそうたる面々が映画顔負けの謀略と裏切りを繰り返す。だが、最後に待っていたのは意外な結末だった。  新しいメディアはいつも「国民を操るツール」という裏の顔を持っている、ということに改めて気づく。怖い本である。
    純粋異性批判 女は理性を有するのか?
    純粋異性批判 女は理性を有するのか? カントの『純粋理性批判』は最も難しい哲学書と言われる。人間の理性を考察した名著だが、カント研究者である著者は独自の批判を試みる。「女は理性を持たないのではないか」との疑問を出発点に、女性特有のものの言い方や考え方をあれこれ引用しつつ、男女の違いを省察していく。  女は非論理的な三段論法で夫の浮気をしきりに妄想したり、善や真理よりも目先の幸福をつかもうとしたり、まったく理性的でないと著者は言う。そこでカントの理性を「男性理性」と仮定し、別に「女性理性」が存在するかどうかを検討していく。やがて主題が「そもそも『哲学』とは何であるか」という問いへと移っていくのが興味深い。  原著とほぼ同じ章立てで書かれる本書は読者に知的負担を強いる部分がある。著者も最終盤でカントには「もう、ついていけない!」と吐露するが、一緒に苦闘するつもりで読み進めば、思わぬ発見がある。  女の行動を茶化した部分には、女である私はうなずき通しだったが、他の読者はどうか聞いてみたい。
    ノベライズ・テレビジョン
    ノベライズ・テレビジョン 拘置所の刑務官を経てマンガ家デビューしたという、少々変わったバックグラウンドを持つ作者。現在は映像制作や脚本を手がけるなど、多岐にわたって活躍している。独特の着眼点で笑いのツボを刺激する手腕は、この短編小説集においても冴え渡っている。  収録されている短編のタイトルは全て「○○をノベライズする」。○○の部分に入るのは「笑っていいとも!」や「ジャパネットたかた」など、誰もがテレビで観たことのあるものばかり。たとえば「『笑っていいとも!』をノベライズする」は、タモリの口癖「髪、切った?」から始まるが、番組のお約束をなぞりながらも、ストーリーはいつの間にか脇道に逸れ、クライマックスでタモリは「いまだ戦後は終わっていない!」と痛感するに至る。まるで繋がりのなさそうな事象が見事に結びあわされていく様子が、ただただおかしかったり、思わず唸らされたり。「この小説は作者の妄想にもとづいたフィクションです」とのことだが、作り話と分かっていても、本書を読んだ後、わたしたちのテレビに対する眼差しは変容を免れない。
    知の格闘──掟破りの政治学講義
    知の格闘──掟破りの政治学講義 本誌の恒例企画「国会通信簿」でおなじみの著者が、東大先端研の教授を退官する際の“最終講義集”。2011~12年にかけて「オーラル・ヒストリー」「公共政策」「メディアと政治」など6回にわたり、古今の政治を縦横に語り尽くしている。  どの回も裏話がとにかく面白い。宮沢喜一元首相が、いかに嫌みな振る舞いを得意としていたか。栄典制度見直しの懇談会委員として答申書を提出した際、小泉純一郎元首相が発した一言。他の学者委員との角逐もまた、通常ではうかがえない政治の裏面だ。菅内閣の震災復興構想会議で議長代理を務めたが、「(他のメンバーと)もし同窓会をやって酒を飲んだら、皆を並べておいて全員を殴打するだろう」と血なまぐさい宣言までしている。 「建築と政治」では、首相官邸や別邸など、物言わぬ「権力の館」が発する政治的メッセージを読み解く。麻生太郎元首相がなぜバーに通ったか、公邸の間取りから解を導き出す。  講義を通じ、結局政治は人の織り成すドラマであることがわかる。政治学入門書としても最適だ。

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