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「話題の新刊」に関する記事一覧

とらわれない生き方 悩める日本女性のための人生指南書
とらわれない生き方 悩める日本女性のための人生指南書 漫画『テルマエ・ロマエ』などの作品で知られる著者は、17歳で絵画を学ぶために単身イタリアに渡り、極貧生活、突然の妊娠、出産直後の別れとシングルマザー生活、15歳年下のイタリア人男性との子連れ結婚と、世界を股にかけながら怒濤の人生を歩んできた。そんな著者なら、悩み多き日本女性の葛藤にどう向き合うのだろうか。  相談の数々は「異質性」で悩んでいるものが多く、日本社会には変わったものを認めたり、人はそれぞれに違って当たり前と思える成熟性が乏しいと指摘。思い当たる節は山ほどある。「空気」を深読みし、枠に縛られすぎて疲弊し切っている自分に気づく人は多いだろう。  一方、著者が支えにしてきたのは、心の中に存在する、ゆるぎない自分である“マザー”。自分を客観的に見て、どんと構える“マザー”がいれば、自らの決断に自信を持ち、主体的に乗り越えられるようになると説く。  どんな状況でも人生を謳歌できることの素晴らしさ! 前向きで愛あふれる人生指南に元気をもらい、一歩を踏み出したくなる。いくつになっても悩める女必読の書。
ペンギンが教えてくれた物理のはなし
ペンギンが教えてくれた物理のはなし 鳥たちはいったいどこを飛んでいるのか、魚やペンギンはどんな速さで、どこまで深く潜るのか。動物の体に、位置や照度、深度などを測る記録計を取りつけるバイオロギングとよばれる手法で研究を進める生物学者が、これまで謎に包まれていた彼らの行動パターンや身体メカニズムをユーモラスに語る。  データからわかるのは、人間は動物のことをまるでわかっちゃいなかったということ。ウェッデルアザラシは連続1時間も潜り続け、アホウドリはたった46日で地球を1周する。マンボウの泳ぎはなぜかペンギンと同じ加速パターン。90度くるりと倒せば納得、あの奇妙な上下対称の背びれ尻びれはペンギンの両翼そのまんま。彼らは同じ仕組みで泳いでいたのだ。想像をはるかに超えるダイナミックな行動領域・身体能力も驚きだが、なぜその形なのか、その動きなのか。進化的意義まで明快に解き明かして、興奮が止まらない。  生物学者はどういうわけか人を楽しませるのがうまい人が多い。物理で解明する生物学の最前線を、わははと笑いながら知ることができるこんな本はめったにない。
海うそ
海うそ 南九州の遅島を舞台に繰り広げられるこの小説は、「かつて在り、今はない」ものを優しくもしたたかに描いた探索の物語だ。  人文地理学者の秋野は、古代、修験道のため開かれたこの島を調査する。時はあと数年で昭和10年になろうとしている。明治初年までこの地にあった寺院は、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた頃、無惨にも取り壊され、死者の伝言を生者に伝える人であるモノミミもその頃島から消えてしまった。自らも愛する者を次々と亡くしている秋野は、自分と同じように過去を喪失しているこの島に共感を覚える。そんな中、偶然手に入れた地図に書かれた「海うそ」という言葉に惹かれ、彼は探査を続ける。  それから50年後に再び遅島を訪れた秋野は、開発が進んでゴルフ場までができてしまう島の変貌ぶりに胸を痛める。しかし、かつて見た「海うそ」だけは昔のままにあった。秋野は、その「変わらなさ」に感激する。そして、彼の心には大きな変化が訪れる。  本書は時の流れによる喪失だけでなく、時が過ぎても変わらないものがあるのだということを改めて実感させてくれる。
平安人の心で「源氏物語」を読む
平安人の心で「源氏物語」を読む 『源氏物語』の研究者が、五十四帖のあらすじを紹介しつつ、執筆された平安時代の社会背景をさまざまな角度から解き明かす。  紫式部が物語を書き始める直前、時の一条天皇に低い身分ながら寵愛された中宮定子がいた。式部はヒロインの桐壺更衣に、実在の妃・定子を重ね合わせたのではないか。定子の存在こそが物語の原点だと著者はいう。  定子は世の中に絶望して出家するも天皇に復縁させられ後宮にもどる。しかし、最高権力者である藤原道長から陰湿ないじめを受け、天皇の第三子を出産した直後、若くして亡くなる。この定子と式部は、母親が受領階級という同じ身分の出身だった。天皇の血を引くものの、母親の家柄が低いため東宮や親王への道を閉ざされ臣下に降った光源氏や、政争に負けて没落した明石一族など、式部は身分社会の敗者を温かく描いた。  ほかにも、神に仕える未婚の皇女である斎王は、伊勢神宮のほうは哀切、上賀茂・下鴨神社のほうは典雅というイメージが当時からあり、物語に生かされていることなど、古典への興味が深まる。
球童 伊良部秀輝伝
球童 伊良部秀輝伝 2011年に自死を選んだ元プロ野球選手の伊良部秀輝。かつて、彼の投げる球は日本の誰よりも速かった。160キロ近い直球は清原和博など並み居る強打者を黙らせた。だが、彼の投手としての生命線は粗暴そうな外見や歯に衣着せぬ発言とは対照的な緻密な投球術だった。  繊細ゆえに抑えられない感情。本書全体を通じて伝わってくるのは痛々しいほどの不器用さだ。伊良部は生き別れになった父親を探しにメジャーリーグを目指すと幼少期から周囲に語っていた。ただ、メジャーリーガーになり、マスコミから夢の理由を問われても決して「父親探し」を認めようとはしなかった。そのような質問にはもの凄い剣幕で反論した。  著者は虚実が入り交じる伊良部の言葉に戸惑いながらも、生い立ちからの人生を辿ることで彼の心の奥底をのぞく。徹底的な取材は野球に対してだけは死の直前まで誰よりも真摯に向き合った、我々が知らない姿を浮き彫りにする。伊良部の不遜な態度にのみ着目してメディアが作り出してしまった虚像を剥ぐ一冊だ。
チャイルド・プア
チャイルド・プア 「貧困は子どもの自尊感情にダメージを与える」。埼玉県で支援を行っているNPO代表の言葉は、問題の本質を端的に示す。希望を奪われた子どもたちは、立ち上がれない。本書は2012年10月に放送された、NHK総合の報道番組の書籍化。  30代の父親の債務逃れで、1年半の車上生活を送り、学校に通えなかった中学生男子。離婚の末、働き詰めに働いて、恋人との結婚を前に命を絶った母を慕う、通信高校生の女の子。ギャンブル依存の父親にだまされ、ホームレスに陥った25歳の青年。親の挫折が子どもをこの上もない困難に導く。  その子ども・若者たちが、無料勉強会の大学生ボランティア、たまり場主宰者、スクールソーシャルワーカーといった、まっすぐに向き合ってくれる大人に出会い、社会に居場所を見つけていく。  急激に広がる子ども・若者の貧困の深刻さを衝撃的に、しかし現状を咀嚼して、分かりやすく伝えている。個人情報の壁に阻まれ、心を閉ざすティーンに心を砕き、対象に迫る取材姿勢が魅力的。

この人と一緒に考える

春のお辞儀
春のお辞儀 <朝ハンバーグ昼ハンバーグ昼花火>  この俳句の作者は相当ハンバーグが好きらしい。しかし昼花火である。一体どういうことだろう。そこで読者は想像を広げる。ずっとハンバーグで頭が一杯だったところにドーンと花火が打ち込まれ、衝撃を受けたのではないか。あるいは、朝も昼も大好きなハンバーグにしてしまえ、昼から花火をしてしまえ、と夏休みに羽目を外しているのではないか。  本書は、芥川賞作家長嶋有氏の第一句集である。付属の「しおり」には、俳人だけでなく様々な人による「私はこう読んだ」が紹介されている。俳句の受け取り方は一つではない。こういう見方もあるのか、と驚き、楽しむことができる。また、本書後半の「連作集」では、月に行った作者が<名月や寝転んだのはあの辺り>と回想するなど、自由奔放に俳句の世界を駆け回る。その世界観を追っていくのも面白い。  装幀は2014年講談社出版文化賞ブックデザイン賞を受賞した名久井直子氏が手掛けた。本文はすべて活版印刷。ぜひ手にとって眺めてほしい。
ペナンブラ氏の24時間書店
ペナンブラ氏の24時間書店 失業中の青年、クレイは求人ビラを見てペナンブラ氏の書店で働くことにした。この店、ほとんど客が来ないのに24時間営業、並んでいるのはネット検索にひっかからない世の中にないはずの本ばかり。仲間たちと共にこの奇妙な書店の秘密を探り始めた彼は、500年間誰も解けなかった巨大な謎に行き当たる。本をめぐる冒険ファンタジーである。  クレイの仲間はコンピュータの天才、IT企業のCEOに、どんなものでも作れる映画の特殊効果のプロ。彼ら各分野のオタクたちが得意技を駆使して、手がかりを一つひとつ手に入れながら進んでいく。暗号で書かれた本、黒いローブの人々が集う秘密結社、地下に隠された図書館と、お約束の小道具もばっちりだ。だが、きょう日のファンタジーは謎解きもデジタル。グーグルの社員たちが世界中のコンピュータを総動員して立ち向かうのだ。  そんなお手軽なとがっかりするなかれ。ラスト、主人公がひらめきと行動力でもうひとひねり、驚愕の答えにたどり着く。コンピュータと人間の頭脳のタッグによってのみ生まれる最強の知力にワクワクする。
高学歴女子の貧困 女子は学歴で「幸せ」になれるか?
高学歴女子の貧困 女子は学歴で「幸せ」になれるか? 国立大の大学院を博士課程まで修了しても就職先がない──「高学歴ワーキングプア」とも呼ばれる人々をめぐる悲惨な実態が2000年代後半、注目を浴びた。本書はそうした議論を継承しつつ、高学歴者のなかにある隠れた「男女の差」について問題提起を行う。  1980年代以降、博士課程で学ぶ女性の数は急増しているものの、専任教員の女性比率は際立って低い。正規雇用されない女性たちが行きつく先は非常勤講師という不安定な身分で、非常勤講師率は男性の2倍以上という。女性の教員は実に40%が非常勤講師なのだ。データとともに明るみに出されるのは「高学歴女子」を取り巻く厳しい現実と、それを産み出した社会構造だ。  著者のうち2名は当事者であり、非常勤講師はセクハラに曝されやすいなど、語られる実態は生々しい。自らの半生を顧みた手記も一読の価値がある。けれども本書の最たる意義は、悲惨さを訴えて終わるのではなく、その奥にある「女子にとっての知性や学歴とは何か?」という問いの提起だ。その矛先は男性にも向けられている。
アメリカのめっちゃスゴい女性たち
アメリカのめっちゃスゴい女性たち 鮮やかな赤い表紙に、“めっちゃスゴい”という直球なタイトル。次々に現れる55人の女たちは確かにスゴかった。  映画評論家として活躍するアメリカ在住15年の著者が「スゴい!」と思ったアメリカ女性を取り上げたエッセイ集。政治家、学者、アスリート、エンターテイナー、作家、活動家など、様々な分野で影響力を持つ女性たちの多くは、日本ではさほど知られてはいない。 両親は麻薬中毒、その後ホームレスとなったもののハーバード大学に進学し、両親や自分のように社会の闇に落ちた若者を支援する活動をする女性、ベトナム生まれで難民キャンプ生活を経て天文学者となり、発見不可能といわれた小惑星を見つける女性、冤罪の兄を救うため、30代で猛勉強して弁護士となり、釈放させたウェイトレスの女性など、3、4ページごとに凝縮された人生の濃いこと!  人種、貧困、病気、差別や偏見といった社会的な逆境を乗り越え、自分で道を切り開く女性たちの突破力にワクワクさせられる。規格外の自由の女神たちは、どこまでも美しく、たまらなくキュートだ。
有次と庖丁
有次と庖丁 京都の台所、錦市場の庖丁屋、「有次」。450年余りの歴史をもちつつも革新的な老舗の矜持を編集者が追った。禁裏御用の小刀屋だったルーツから、名人・沖芝昂による鍛冶仕事、庖丁を愛用するプロの証言、新製品のオーダーに応える現場まで網羅する。  左利き用に始まり、柳刃刺身庖丁、鰻専用の江戸サキや京サキ、ハモの骨切庖丁にフグ引庖丁など、「有次」は400種類以上の庖丁を揃える。そして京料理の厨房をまわって御用聞きをするのだ。たとえば高級鮮魚店の「まる伊」は、大晦日を含めた2日間で、1日1000匹ずつフグを捌く。使った30本の庖丁を「有次」は引き取り、一晩で研いで届ける。研ぎを重ねて短くなった柳刃刺身庖丁は成形してペティナイフとしてよみがえらせる。ある料理人は薄給の修業時代、あるとき払いの催促なしで憧れの有次を手に入れたと話す。若い料理人を育てようとする店の心意気だ。  最近の作品に、生ハム切り庖丁や葉巻切り庖丁がある。「うちでできないことはない」という職人気質は、やったことがないことを理由に断らない。信頼の所以だ。
日本語とハングル
日本語とハングル 著者は、ハングルの成り立ちを読み解いた研究で数々の賞を受賞した言語学者。本書では「ハングルという文字から日本語という言語を照らす」ことを試みる。  なぜハングルなのか。それは「日本語とそっくりの構造を持つ韓国語という言語と照らし合わせるがゆえに、初めて明らかにし得ること」があるからなのだ。  著者は「音と文字」「語彙」「文法」「書かれたことば」「話されたことば」の五つの観点を提示する。特に面白いのが、書かれた言葉の「視覚的な触感」について綴っている部分だ。現代の小説家川上未映子と明治・大正時代の歴史家山路愛山の文章を参照し、平仮名、片仮名、漢字、振り仮名の混淆によって生み出される日本語の「視覚的なモザイク性」を指摘する。一方、ハングルだけで書かれたものは、均質的で言葉の触感がそれほど際立たない。文字の表記から個性を感じ取れるのは日本語の大きな特徴なのだ。  丁寧な説明があり、韓国語の分からない読者にも読みやすい。ユーモアに富んだ著者の語り口も本書の読みどころだ。

特集special feature

    地震と独身
    地震と独身 東日本大震災では、家族の絆に注目が集まった一方、独身者たちの被災状況は、詳しく報道されなかった。本書は『負け犬の遠吠え』などで独身者の生態を伝えてきた著者が、北は岩手県から南は沖縄県まで訪れ、非常時に彼らがどう動き、何を考えたのかをインタビューした記録だ。  独身者たちの行動は様々だった。被災直後、家族を持つ者に代わって昼夜なく働いたり、被災した実家の両親を守ったり。故郷を離れて沖縄に移住した人がいる一方、被災地にボランティアで行き、そのまま住みついて働き始めた人がいる。また、被災地を離れるかどうかをめぐって恋人と別れた人がいる傍ら、伴侶を見つけた人がいる。  著者は丹念に話を聞き、どの選択も温かく肯定する。家族のいない身軽さから、非常時に行動力を発揮し、独身者ならではの「つながり」や「居場所」を築いた人が、数多く紹介される。非常時に着目することで、平常時には見えにくかった独身者と社会の様々な結びつきが浮き彫りになっている、貴重な実記だ。
    岩本素白 人と作品
    岩本素白 人と作品 春闌の田園。ニュアンスに富む路地裏。在りし日の東京の姿を映像より鮮やかに、風の息までを伝える言葉の力! 岩本素白(本名堅一、1883―1961)の初の評伝が本書である。著者はここでその生涯をたどり、“具眼の”人々の素白観を紹介する。広くは知られざる、実は大変な文人の存在を教えてくれる。  長く早稲田大学で国文学を講じた素白の名は、学問の世界では不動だろう。『日本文学の写実精神』ほか清少納言から芭蕉に至る随筆文学の系譜をめぐる考察はのちの研究に寄与した。だが文章家としての知名度はどうか。  親友窪田空穂創刊の歌誌「槻の木」などに戦前から随想を寄せている。しかし含羞の人素白は自ら望んで、発表をいわば身内の読者を想定した場に限定した。 「槻の木」編集者の立場で著者は素白の戦後と伴走した。東京の変貌を目の当たりに、生地品川ほか思い出の地を歩き回り昔日の面影を刻印した素白の凛とした文体、人柄に出会い敬愛した。万感の思いをこめてだろう盛んな原文引用がうれしい。
    深読みサッカー論
    深読みサッカー論 意外にもサッカー記事が充実している日本経済新聞の運動部記者と、五輪代表を率いたこともある山本昌邦氏の対談集。W杯出場各国の戦術を踏まえながら見所を紹介するのだが、数々の国際舞台の修羅場を経験した山本氏の指摘を踏まえて観戦するとW杯の見方が変わるかも。  芸術的なフリーキックひとつを例に挙げても、ゴールが決まるには理由があるという。クラブチームと違い連携が十分でない代表チームだからこそ、スタッフが試合前に徹底的に相手チームの「穴」を探すことで選手はゴールの確率を高められる。試合を有利に進めるための手段は情報分析だけではない。例えば試合中に飲む水も硬水か軟水か、適温は何度か、輸送方法はどうするか。きめ細かい気配りが勝利を引き寄せる。  W杯の神様は気まぐれだ。スター選手を揃えたサッカー大国が足をすくわれることも少なくない。ただ、番狂わせが起きるのは必ずしも偶然ではない。ピッチの上だけでなく、裏方を含めた総力戦がW杯の勝敗を分けることを本書は教えてくれる。
    情熱を貫く
    情熱を貫く 代表選考でサプライズ選出された大久保嘉人選手。共にW杯出場を夢見て息子を励まし続け、昨年亡くなった父・克博さんへの愛情と、サッカーにすべてを捧げてきた熱い人生を語る初の自伝。  小学校で早くもめきめき頭角を現し、サッカーの名門、国見中学に入るほどの実力だったが、家は食べるものに困るほどの極貧生活。両親は借金を重ねて息子を支えたという。  克博さんは同僚と大ゲンカの末、会社を辞めたほど気性の荒い人で、母にもよく手をあげた。嘉人には優しかったが、弱音を吐くと「お前は、バカか!」と怒鳴りつけ、プロになったときも喜ぶより「天狗になるな」と厳しく釘を刺した。C型肝炎、肝硬変、肺気腫と次々に病に襲われた父の壮絶な闘病生活、自身も前回の南アフリカ大会出場後に燃え尽き症候群でサッカーができなくなったことなど、活躍の陰にあった苦しみも明かしている。  自分の道は自分で決めろ、努力しろ、一番になれ。時にケンカしながらも、父から学んだものを忠実に守ってきた大久保選手のまっすぐさが、なんとも気持ちいい。
    ネイマール 父の教え、僕の生きかた
    ネイマール 父の教え、僕の生きかた 今回のW杯でもっとも注目されている一人、ブラジル代表のFWネイマールの自叙伝。現在22歳の若者が16歳でプロ契約を結び、スターの仲間入りを果たすまでの軌跡とその後が描かれる。  本書は父と息子による入れ違いの語り下ろし構成を取る。父のネイマールはかつてプロサッカー選手であったが、結核や怪我などのアクシデントにより32歳で現役を引退。息子が生まれて以降は彼にサッカー選手への道を開き、常に成長をバックアップしてきた。個性的な髪形で注目を集めることもあるネイマールだが、父が最も強く教えてきたのは「常に謙虚であれ」。息子が父を同じ家の中の「誠実な友」と評せば、父は「私たちは一つのチーム」と応える。一般的な親子関係以上の信頼関係は特筆に値する。  スポーツジャーナリストの訳者はあとがきで、いわゆる「ハングリー精神」を持つためには、ただ貧しいだけではだめで、父親の頑張りが子への影響の分かれ道になると説く。サッカーファンでなくとも学ぶ所の多い一冊だ。
    男子の貞操
    男子の貞操 男子の性交経験率が2011年に、1974年の調査開始以来初めて前回調査を下回ったという。結果に賛否は分かれるだろうが、著者が問題視するのは、若い男性が性を避けている点。性情報の氾濫で、記号として消費することに慣れ、特定の相手と関係を結ぶことに難しさを感じる若者が増えていると指摘する。本書では明治以降の性や恋愛の変化を辿り、今後の性愛のあり方を提言する。  興味深いのは性体験率が低下傾向にありながらも、自由な性愛が可能になったことで現代が「もっとも簡単に童貞を卒業できる社会」とする考察。ただ、かつては村落共同体内のつながりや見合いで解消されていた性体験が個人で解決しなければならない問題に変化し、一部の若者を悩ます現状をもたらしているとも説く。著者は自己責任化した性愛を克服するため、「信頼」と「絆」をベースにした処方箋を提示する。  タイトルや目次は性に関する表現であふれるが、本書の議論は下半身の問題の解決に留まらない。21世紀の若者がどう生きるか。バイブルとなる一冊だ。

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