AERA with Kids+ Woman MONEY aerauniversity NyAERA Books TRAVEL

「話題の新刊」に関する記事一覧

民族でも国家でもなく 北朝鮮・ヘイトスピーチ・映画
民族でも国家でもなく 北朝鮮・ヘイトスピーチ・映画 「パッチギ!」などの大ヒット映画を手掛けた映画プロデューサーの李鳳宇と、マイノリティの視点を世に発信し続けてきた映画史・比較文学研究家の四方田犬彦による対談集。  各種の「嫌韓本」が書店に並び、各地でヘイトスピーチが盛んに行われる中、著者たちは拡散し続ける差別への懸念を率直に語っていく。話題は在日2世として李鳳宇が感じる個人的な悩みから、賛否両論があって話題となった朝鮮学校の高校無償化問題、「在特会」、ネトウヨまで多岐にわたる。二人は今日横行している差別行為の根底にさまざまな偏見が潜んでいると指摘する。朝鮮学校に通う生徒の7~8割が韓国籍だという話や北朝鮮に住む人々の普通の生活、京都の料亭で食べられるハモの8割が韓国産だといった情報は、偏見を解くためのヒントになるかもしれない。  ただ差別は悪いと主張するのではない。本書では、差別をなくし、隣国と良い関係を保つことで日本が得られる肯定的な効果が示される。民族とは何か、国家とは何かと深く考えさせられる一冊だ。
美貌格差 生まれつき不平等の経済学
美貌格差 生まれつき不平等の経済学 美形は得だ。しかし、具体的にいくら得をするのか。米国の経済学者が大まじめに研究した。  他人の写真を見せ、美しさを5点満点で評価する。これを大人数で行ってデータを集め、評価された人の職業や収入を調べると、露骨な答えが導かれた。男性と女性の平均でみると、見た目の良い人(4点と5点)は平均の人(3点)より収入が5%高く、悪い人(1点と2点)は10%低かった。生涯所得では2700万円もの差がついた。選挙も融資も、美貌によって結果が変わるのだという。さらに、ブサイクな人が受けている不遇は、米国での有色人種差別と同じ状況だと指摘する。事故で顔を損傷した人の損害補償を手助けしてきた著者ならではの考察だ。  とはいえ、人の魅力は容姿だけではないと著者は念押しする。人間を構成する要素の一つひとつが人生に大きな影響を及ぼしている。本書は容姿を例に、そのことを示している。だから、誰もが自分の長所を見つけ、育てるべきだ。私を含め読者が美形かどうかにかかわらず、そう読むのがいいだろう。
ニュース、みてますか? プロの「知的視点」が2時間で身につく
ニュース、みてますか? プロの「知的視点」が2時間で身につく 本書は池上彰氏とともにNHKの番組「週刊こどもニュース」の制作にかかわってきたディレクターが、ニュースの見方・読み方について綴った一冊だ。  世間一般ではニュースを知っているのが「社会常識」でも、正直なところ興味の持てない人も多いかもしれない。ご安心を。著者は前提知識やコツがわからなければニュースは「つまらなくて当たり前」と断言する。その上で、前半ではニュースの種類やジャーナリストの仕事内容など、読者が抱きそうな素朴な疑問をしっかり解説。例えば「ニュースがなくても生きていける!?」という疑問に対しては報道機関が存在しないため困った南スーダンの例を挙げ、国民の手でニュースを出すことは「独立国の必要条件」と説く。後半では、STAP細胞問題など近年の事件報道に言及しつつ、ニュース報道の見方・伝え方を伝授する。  長年「伝える」仕事に携わってきた著者だけあって、いずれも短い分量で要点を押さえた読みやすい解説だ。巻末に池上氏のメッセージつき。
女装して、一年間暮らしてみました。
女装して、一年間暮らしてみました。 「私が結婚したのは男よ、女じゃないわ!」。著者の妻の動揺は計り知れなかっただろう。放送業界で成功して、不自由ない暮らしをしていた夫から突然、「女性になる」と告げられたのだから。  本書は著者が女性として生活した約1年間の実験をまとめたものだ。肌寒い日にストッキングを購入したことから始まり、スカート、ハイヒール、人工乳房まで着けるようになる。化粧や歩き方はプロの指導を受け、女性の格好で飛行機に搭乗してしまう。外見の変化に伴う心理描写がおもしろおかしく描かれており、頁が進む。  とはいえ、著者は自らの性に疑問を抱いていたわけではない。男性が固定概念に縛られ、窮屈そうな一方、女性は自由で楽しそうではないかという純粋な好奇心から試みは始まった。実験中は女性の視点で男性を見つめ直すことで「男らしさ」や男女の違い、性とは何かにまで考えを巡らせる。外見が人間関係や自らの思考を制限するのを実証している点も興味深い。軽妙な文体ながら示唆に富んだ一冊だ。
本で床は抜けるのか
本で床は抜けるのか 増殖する本に窮した著者が、同じ悩みを抱える人たちに話を聞いていくノンフィクションだ。  本書の主題は“本との格闘”の一点に絞られる。しかし、本棚のない家も珍しくはない時代に、「床が抜け落ちる」不安に悩まされながらも本を手放せないでいる様は、当人が100%マジメなだけに同情以上に滑稽味が漂う。  井上ひさしの先妻には、故人のエッセイにある「床抜け」の真偽を確認。がん発病を機に貴重な資料もごっそり処分した内澤旬子、蔵書の電子化を決行した武田徹、電子化を請け負う「自炊」代行業者たちを訪ねる。圧巻は、作家・草森紳一が遺した3万冊の蔵書を散逸させまいと奔走する人たちの話だ。本の山が崩れて風呂場に閉じ込められた逸話が有名な草森だけに、レスキュー劇を読むようだ。  取材の発端は、著者も本の扱いに悩まされていたからだ。当初はホンワカとしているが、生活空間を圧迫する蔵書に耐えかねた妻から、ついに別れ話が切り出される。部屋で一人、かつて娘に読み聞かせた絵本を処分するラストは寂寥としている。
境界の民 難民、遺民、抵抗者。国と国の境界線に立つ人々
境界の民 難民、遺民、抵抗者。国と国の境界線に立つ人々 本書は、決まった領土や国民を持つ「国民国家」という枠組みからはじかれる難民・少数民族などのマイノリティに目を向けたルポルタージュだ。  今日、テレビ番組では「難民」「無国籍者」を「弱くてかわいそうな人達」という一面的な視点で描きがちだ。自分を「めっちゃ普通の茨城の中坊」と語るベトナム難民2世の男子、国籍上は「日本人」として育ち、現在は中国で暮らす日中ハーフの女性……本書に登場するのは、そうしたイメージを軽々と裏切る人々だ。学校生活を謳歌したり週末にクラブイベントを主催したり、あっけらかんと生きているかに見える彼らだが、陰では問題も抱えている。日本国籍を持つ華僑2世の女性は、日本の「グローバル企業」に入社するため就職活動をしていた最中、履歴書の書き方や服装を注意され、結局就職を断念。「日本の社会での『グローバル』って何」という彼女のつぶやきに胸が痛む。「多文化共生」「弱者救済」といった口当たりの良いスローガンを捨て、身近に生きるその存在に向き合うことが必要だ。

この人と一緒に考える

箱根を駆け抜けた青春 北海道から箱根路へ
箱根を駆け抜けた青春 北海道から箱根路へ 北海道浦幌町は太平洋に面した人口5千人余の農業と漁業の町である。陸上競技の指導者もいないこの町の高校から竹島克己(順天堂大学、全日本インカレ30キロロードレース優勝)、大越正禅(駒沢大学、箱根駅伝5区区間2位)、川崎信介(東海大学、栃木国体3000メートル障害4位)という、全国トップレベルのランナーが昭和50年代に立て続けに現れ、陸上界を驚かせた。  本書は、北海道の高校教諭でノンフィクション作家でもある著者が、北海道出身の4人の箱根駅伝選手を通して「浦幌の奇跡」の秘密を解き明かした本だ。原動力は、今、浦幌町で僧侶を務める大越だった。中学3年生のときに長距離走の世界的練習方法であるリディアード方式を自分で研究し、月間600キロ近い距離の練習をこなして頭角を現す。刺激を受けた2学年上の竹島、1学年下の川崎らは、さらに独自の工夫で力を伸ばしていく。  少しの素質があれば、誰でも工夫と努力で日本一を狙えることを本書は教えてくれる。私は箱根駅伝に2度出場したが、努力が足りなかったことを思い知らされた。
少年時代
少年時代 安野光雅画伯の少年時代を中心とした思い出エッセイである。89歳の著者の少年時代だから、80年以上前のことも多い。それを覚えている記憶力に驚く。津和野で安野少年は3月20日の苗市の立つ日に生まれた。小学生時代、体育が苦手で運動会ではいつもビリに近かった。勉強も嫌いで好きなのは絵を描くことだった。  仲の良かった弟に学校に行く前から勉強を教え、読み書きできるようにした。その弟に「いいか、うちには地下室がある」と一生の秘密を打ち明けた。弟が本気にすればするほど、話に熱が入った。大嘘でも弟は目をはっきり開いて聞いた。その弟を一度だけぶったことを、今は詫びたい気持ちだという。  安野さんのエッセイはシリトリのようにテンポよく展開する。「文明の利器」の項で、ひのしという柄杓のような形をしたアイロンやだるまストーブなど昔の道具を懐かしむ。自動車、飛行機、コンピューターと文明は進展し生活は激変した。便利はいい。その半面うしなったこともたくさんあると指摘する。書き下ろした絵が20枚以上あって楽しい。
アウトサイダー・アート入門
アウトサイダー・アート入門 今日、展覧会などで「アウトサイダー・アート」(OA)という言葉を目にすることが増えた。本書は美術評論家が、OAのなりたちや国内外の代表的な作家について紹介したものだ。  OAは一般的に、美術の公的教育を受けない障がい者や犯罪者などによる芸術を指す。障がい児施設で育ち、清掃作業員などとして働きながら300枚に及ぶ水彩画を残したヘンリー・ダーガー、関東大震災で生活基盤を失い、入所した知的障がい児施設で貼り絵と出会った山下清……本書に登場するのも実際、貧困や被災によって孤独な環境に置かれた作家たちだ。彼らは美術界でのステップアップではなく、ただ心の拠り所として芸術を必要とした。しかし、彼らを単に「特異な存在」と理解すると本質を見誤る。そもそもすべての芸術家は本来的に「孤独」だと著者は言う。にもかかわらず作品は「イン」と「アウト」の芸術作品に区分される。そこに潜むのは、美術制度のなかの「差別」の問題なのだ。単なる教科書ではない。読み手にも「美術」の境界を問い迫る挑戦的な一冊だ。
裏が、幸せ
裏が、幸せ 着道楽は裏地に凝る。裏技といえば奥義の一。秘蔵っ子は表に出さない。そういえば……。裏表は上下ではなく並行関係にあると気づかせてくれたのが本書である。  列島の日本海側をかつて裏日本と呼んだ。明治以降、太平洋側諸都市が鉄道網整備を追い風に経済活動で先駆けたのに比し、遅れた地域との意味合いで慣用された。差別的として1970年代には駆逐されて久しい用語を著者はあえてタイトルに掲げている。 「裏」とは何か?その実相に迫るべく日本海沿岸各県を訪ねた旅の記である。雑誌連載(2012~14年)の19編に加筆、改題したものだが、筆は、歴史、文化、自然、高い幸福度を示す指数とともに衣食住を含む風土の総体に及んで濃密。  冬季の厳寒豪雪に育まれた陰翳に富む幽玄な裏地ぶりが描出される。一瞬、今春の北陸新幹線延伸開業の祝い旗を振るか?とも。しかし、否。著者は例えば沿岸部に立つ数多くの原発を見逃さない。負の横顔を見据えながら「裏」とは何かを問うのだった。
宰相A
宰相A 本書から、ジョージ・オーウェルの名作『1984年』を連想する人は多いかもしれない。異世界における全体主義国家を描いた、いわゆるディストピア小説である。  小説が書けないでいる主人公の作家「私」が、母の墓参りのために電車に乗り、なぜか「もう一つの日本」に降り立つところから物語は始まる。そこは第2次大戦後、アメリカによって統治されたパラレルワールドとしての日本だ。日本人は「旧日本人」と呼ばれ、監視された居住区で生活している。「私」は、伝説的な反逆者Jの生まれ変わりと見なされ、旧日本人の代表として政府と衝突することになる。  題名の「宰相A」とは、アメリカの完全な傀儡となった旧日本人の首相をさす。その顔立ちや態度は、安倍晋三首相の姿をも彷彿とさせるものだ。そのため、設定自体は虚構でありながら、読者は限りなく「現在の日本」を意識してしまう。本作のブラックな笑いに満ちた結末は、果たして今後の日本人にも受け継がれるものであろうか。読後にそのようなことを考えて、うっすらと背筋が寒くなる。
性欲の研究 東京のエロ地理編
性欲の研究 東京のエロ地理編 エロスの存在は街の活気の副産物である。人が集まる都市には濃度の差はあっても、その痕跡が必ずある。本書はエロスの香りのする街を歴史地理的な視点で考察した一冊だ。対談、論文、エッセイ、硬軟が絶妙にまざった内容で構成されており、読者の想像力を膨らませる。  例えば新宿についての論文は、社会情勢の変化で、街の顔が一変することを見事に浮き彫りにしている。世界最大のゲイタウンである新宿二丁目はかつて赤線地帯であり、娼婦に男が群がった場所であった。赤線廃止で街が廃れ、空洞化する中、女装男娼たちが店の権利を買って、ゲイタウンという新たな役割を持つ街が形成されていった過程は興味深い。  理想の女性器は日本と中国で異なるのかを真剣に検討する「日中おまた事情」は腹を抱えてしまう。女性相手に聞くわけにもいかないからか、「おまた要素は、おまた以外のところで判断しなくてはならない」と投げかける。外見から良いおまたを見極める方法を真面目に考察されては、是が非でも読まざるをえないではないか。

特集special feature

    波に乗る
    波に乗る ロングセラー『サッカーボーイズ』シリーズの著者が新境地を示した最新作である。  主人公の文哉は、入社一カ月で会社を辞めた直後、「あんたの親父、亡くなったぞ」という連絡を見知らぬ男から受ける。疎遠になっていた父親が残したものは、丘の上の、海が見える古くみすぼらしい家だった。古い映画のDVD、サーフボード、流木の置物、初めて見る青春時代の父の写真。遺品整理を進めながら、亡き父と対話し、自分の知らなかった父親をたどっていく……。  余韻を残す描写と、現実感あふれる会話。不器用だが、必死に生きようとしていた父親を知り、文哉は「今はなぜだか近くに感じることができた」と思う。社会という波に乗れず、自信を無くしていた日々が少しずつ動いていく様子が繊細に描かれる。  自分と社会との間に「折り合いをつける」ということについて深く考えさせられる小説だ。父親の残したサーフボードを持ち出し、海に入っていく主人公の姿は清々しく、爽やかな読後感を残す一冊であった。
    死ぬまでに決断しておきたいこと20
    死ぬまでに決断しておきたいこと20 自分の死に方を、ある程度選択できる時代になってきた。とはいえ、大災害の映像を見ると、「そんなことを考えても……」という気分になる。しかし、著者は言う。「考えたくなかった結果として、例えば大震災で原発に押し寄せた“想定外の高さ”の津波を防ぐ高さの壁は作られ」なかった、と。  本書は、1000人以上の死を看取った緩和医療医が「死ぬときの決断」について綴っている。たとえば、「自分の病気について知るべきか、否か」「かかりたいのは遠くの名医か、近くのヤブ医者か」「最後に傍にいてもらいたいのは誰か」「延命治療を受けるか、否か」。  それらの命題に、著者は断定的に答えることはしない。死を見つめた患者とのやり取りを通して、私たちにどんな選択ができるのか、そのヒントを与えてくれる。かといって深刻な話だけでなく、妻と愛人二人に看取られた60代男性の話などは、病院スタッフのやり取りに、思わず笑ってしまう。  誰もが一回しか経験できない「死」だからこそ、私たちは、想定外の高さも見越した「防波堤」を作る必要がある。
    男をこじらせる前に 男がリアルにツラい時代の処方箋
    男をこじらせる前に 男がリアルにツラい時代の処方箋 『四十路越え!』などで、女性の生きづらさや欲望のあり方などを論じてきた著者。男性向けの人生指南書はビジネス系かモテのハウツー本が大半で、悩みの根本に向き合う本は極めて少なく、当の男性が生きづらさに無自覚で考える必要性すら感じていないことに気づき、驚く。そんな現状を独自の視点で掘り下げ、自覚なき“こじらせ男子”が軽やかに生き抜く方法を考察したのが本書だ。  多くの男性に話を聞いて見えてきたのは、「出世」「カネ」「女」という旧来的な男の欲望を目指す先が見いだせず、競争に囚われ続け、負ける恐怖に苛まれているという現実。そんな状況から自由な例として芸人のおぎやはぎを挙げる。組織や共同体から一定の距離を保ち、欲望とも無縁な姿に男の新しい生き方があると考える。辛辣な指摘が劇薬のような本書だが、決して男性批判ではなく、モノの見方を変えるヒントに満ちている。男女を問わず、こじらせていてもいいことは一つもない。ならば一刻も早くこじらせから離れて自立し、しなやかな生き方に転じたほうが、はるかに健全で楽しいに違いない。
    民主主義の条件
    民主主義の条件 本書は日頃政治を遠ざけている人々に向け、若手政治学者が民主主義の「しくみ」をイチから解説し直した一冊だ。  政治への「諦め」はなぜ起こるのか。それは日本の政治が民主主義を掲げながらその実、有権者の要求が反映されにくい制度だからだと著者は推理する。民主主義の基本は「多数決」の原理だ。そこで決定の要となる選挙制度や政党組織に着目し、現在の政治で「多数派」が形成されるプロセスを見てゆく。例えば日本ではなぜ自民党が長らく政権与党の座にあるのか、疑問に感じたことのある方もいるかもしれない。著者は地方議会との関係に目を向ける。自民党は自らを応援する地域に優先的に補助金を配分し、支持を拡大する。それによって地方議会での「多数派」形成に成功してきたというのだ。  こうした具体的な説明に、読み進めながら思わず膝を打つ。「政治は自分と無縁」と国民が感じてしまうのは相応の問題点があるからだと理解できる。その上で自分が今後政治にどう関わるか、考えるヒントとして活用したい。
    妄想科学小説
    妄想科学小説 著者の赤瀬川原平は画家、作家、路上観察学会会員、千円札事件被告など風変わりな経歴の持ち主。尾辻克彦の名で書いた小説では中央公論新人賞と芥川賞を受賞している。本書には、本格的な小説家になる前に書かれたショート・ショートとエッセイが収録されている。 「根拠のない想像」という意味を持つ「妄想」がタイトルに付くこともあって、想像の斜め上を行く短い話がたくさん詰まっている。例えば、幾度も自殺を図っては失敗して手配されている「連続自殺未遂事件犯人」、「東京忘れもの生産工場」の就職試験を受ける男、平和に耐えられない老人の気力を回復させようとグータラ息子になりきろうとする福祉事務所の福祉マン、左の目ばかりに虫が入る男の話など、まるでコントのようだ。  著者は殺人、偶然、忘れ物、福祉といった言葉の意味を逆手にとり、現実にあってもおかしくなさそうな「妄想」を軽やかな文章で繰り広げてみせる。世間の常識にとらわれない発想の自由さが、読んでいて清々しく感じる作品だ。
    京都で働く アウェイな場所での挑戦
    京都で働く アウェイな場所での挑戦 京都といえば「町家」だが、相続税や耐震改修が重荷となり、取り壊しの危機に瀕しているという。そうした古民家を借り受けたり、たまたま流れ着いた京都で事業を始めたりした「よそ者」9組10人を紹介している。ビジネスの成功例を集めたハウツー本では決してなく、それぞれの章が「漂泊」から「定着」への半生を描いた短編集のようでもある。  静岡県出身でホテルのシェフなどを務めてきた中西広文さんは「人との縁によって支えられてきた」と話す。生ショコラ専門のカフェを開くため、家の中から1904年発行の新聞が出てくるくらい「いつ建ったか分からない」古民家を借りたが、キッチンと水回りの改修で400万円の資金が尽きた。ところが、「もう使わないから」と品の良い調度品をもらい受けることができ、「家を残す」という大家さんとの約束を守ることができた。  草木染の工房、エスプレッソコーヒー豆焙煎専門店など、いずれも商いの間口は狭い。だが、共通点として、「よそ者」の視点でハンデや失敗をプラスに変え、京都と上手に距離をとっていることがわかる。

    カテゴリから探す