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「話題の新刊」に関する記事一覧

作家という病
作家という病 元「小説新潮」編集長が、水上勉、渡辺淳一、城山三郎、藤沢周平、井上ひさしら21人の作家を、実際に見聞きしたエピソードとともに描く。タイトルは「作家という職業がもたらした特殊な習慣や傾向」を指す。  掉尾を飾るミステリー作家・山村美紗の項は驚き。山村は、ベストセラー作家の西村京太郎とコンビを組み、編集者仲間に「京都時代」とよばれるほどの盛況を作った。新年会・誕生会はホテルの会場が使われ、社によっては社長も出席する。山村の娘紅葉が出る芝居は見るなど、忠誠心を見せなければならない。ある年の新年会での福引籤の総額は1千万円! 「山村は、人がいかに金や物に弱いかということを知っていたが、単純に『人に物をあげるのが好き』という性格でもあったのだろう」と著者。雑誌の表紙で自分の名が特別扱いされていないことに腹を立てた山村に、「あんなの、載せたうちに入らないわよ!」と叱られ、ホワイトデーにはその山村にネグリジェを送る。  編集者は旅する。作家から作家へ。著者のはりつめたきくばりも読みどころ。
院内カフェ
院内カフェ 病院の中のカフェ。そこは、いたって「普通の」カフェだ。注文を受ければ、それが患者でも医師でも見舞客でも、同じものを同じサービスで提供する。何らかの理由で病院に行かなければならない「普通でない」状況に置かれている人々が、唯一「普通」を取り戻せる場所なのである。  本書は院内カフェを舞台に、様々な事情を抱えた人々が、それぞれの「普通」を得るまでの過程を丁寧に追う。ある人は根本的な治療法のない病に苦しみ、ある人は家族の介護・看病に翻弄され、ある人は不妊に悩む。「何か」や「誰か」が決定的に悪いわけではないからこそ、完全に解決することもできない。割り切れない日々のなかに、院内カフェは灯火のように「普通」を提供する。徐々に「普通」を取り戻した人々が、やがて自分も、このカフェのように「普通」を提供できる存在になりたいと願う姿が印象的だ。  物語はクリスマスに向かって終盤を迎える。これからの季節にぴったりの、温かな読後感である。
最後の祝宴
最後の祝宴 うろんな概念に切り込んでいく挑戦的な作風と、深い知性に裏付けられた強烈な風刺、どこまでも優雅で端正な文体──死後10年経った今も熱狂的なファンを擁する作家・倉橋由美子の単行本未収録テキストに加え、自作解題ともいうべき「作品ノート」を一冊に集成。貴重な小説論の数々から、読み巧者としての側面がうかがえる書評群、生活者の立場から書かれたエッセイ群まで、彼女の言葉のたたずまいが立体的に浮かびあがる優れた構成になっている。  文壇を賑わせた、評論家・江藤淳との丁々発止のやりとりはもちろん、どの文章も実に刺激的。そして純粋に面白い。孤高と称される機会も多い作家だが、筆先から伝わってくるのはユーモアとサービス精神だ。物事を理知的に論じつつも、それが「読み物」であること、つまり書かれたものの対岸には必ず「読者」がいるという点を常に意識している。 「文章を書く人間はまず言葉で他人を縛ることに努めるはずで、そのために言葉を正確に使おうとすれば自分も言葉に縛られる」──その透徹した精神はけっして古びない。
深代惇郎の天声人語
深代惇郎の天声人語 簡潔な文章にして様々な色彩をもつ、完成された世界の数々。コラム集には、小説やノンフィクションとは違う、どこかロックやポップスのアルバムのような手触りが、ある。  朝日新聞朝刊1面コラム「天声人語」の執筆を1970年代半ばに約3年担当し、75年に46歳で急逝した、伝説の記者。その「天声人語」が収録された単行本が再構成され、「ベスト版」としてよみがえった。そこもまた、伝説のアーティストの“名盤復活”的空気を感じる。  その視点の鋭さ、言葉選びの妙、構成、ウィット、リズム感。3分間にすべてが詰め込まれたロックやポップスの名曲のように、短い文章の中にギッシリ詰まった「うまさ」と「心地よさ」の連続に、うなる。そして、「アガる」。  政治や国際情勢、スポーツに文化、身の回りのこと……多岐にわたる話題は、もちろん40年以上前のもの。しかし、そこで書かれていた本質は、さほど変わっていないのかも。名コラムもまた、時を経ても色あせないものだということを、再確認。
民主主義ってなんだ?
民主主義ってなんだ? 国会前で安保関連法に対する抗議行動を続けてきた学生組織SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)のメンバー3人と、『ぼくらの民主主義なんだぜ』を著した作家の高橋源一郎が民主主義をめぐって話し合った。  5月3日に結成され、6月から毎週、国会前に立ってきたSEALDsの中心メンバーで大学生の奥田愛基、牛田悦正、芝田万奈がそれぞれの生い立ちを語り、活動を続ける理由を説明する。古代ギリシャまでさかのぼって考える高橋の問いかけをもとに、各自の考えを深めていく。奥田は民主主義の主体は「常に個人じゃないといけない」と言い、「だれかが言ったからじゃなくて、自分の意思として引き受けるのが大事」と話す。だから抗議行動では「複数形を主語にすることは基本的にしない」。  大学生が悩んだり、失敗したり、手応えをつかんだりしながら活動を広げていく様子に高橋は「なんだかまぶしい気持ちになる」という。若者だけでなく大人も民主主義を引き受けていくために「あんたはどうするの?」と、この本は問いかけている。
シーソーメイル 100通のラブストーリー
シーソーメイル 100通のラブストーリー メールは相手にいつでも出すことができる。ゆえに、読んだ相手の気持ち、反応(返信)が気になる。この作品は、恋愛小説の名手とも呼ばれる2人の作家による100通の往復メールで構成された恋愛小説だ。  パリで出会った男女が帰国後、メールを送り合う。当初は書いていた件名が次第に“無題”になり、親密になっていく様子や、未送信のままになっているメールの存在が気になってしまう様子が、行間からにじみ出てくる。酔った勢いで打ったメールや真夜中に打つメールについての心境なども綴られ、メールならではの特性を十分に生かしつつ、2人の著者は“静かな想い”をつなげていく。  生きていくことの痛みも苦さも経験した大人の男女が、メールに込める言葉は、優しく、さりげない。抑制の利いた大人の言葉を“臆病”と呼ぶか、“思いやり”と呼ぶかは読む年代によって様々であろう。大人の恋と聞くと、悲しい別れのエンディングを予想してしまいがちだが、この物語は希望で終わる。爽快な読後感を味わえる一冊である。

この人と一緒に考える

時代の正体 権力はかくも暴走する
時代の正体 権力はかくも暴走する 神奈川新聞論説・特報面に2014年7月以降に掲載されたシリーズ連載を書籍化した。安保法案・米軍基地問題・ヘイトスピーチなど、近年注目された問題に関わった市民や著名人への取材記事が中心となっている。  テーマは様々だが、対象者に共通するのが問題への「当事者意識」だ。特定秘密保護法採決後、ニュースキャスターの「民主主義が終わった」という言葉に「いつ終わったんだよ」と苛立ちを隠さないSEALDs(学生団体)の男性、辺野古への新基地建設を聞き「自分の目で確かめたい」と現地に飛ぶ沖縄出身の大学生……。誰しもが、社会で進行する現実に自身の全存在をかけて向き合っている。  記者も然りだ。ヘイトスピーチ・デモへの激しい抗議活動を当初「どっちもどっち」と感じたとある記者は、参加者から「傍観者でよそごと」の感覚だと逆に叱咤され、目を凝らすために現場に通い続ける決心を固めたという。ニュースは古びるのが常だが、「時代の当事者」たちの姿勢は普遍的なメッセージとして心に刻まれる。
気仙沼ニッティング物語 いいものを編む会社
気仙沼ニッティング物語 いいものを編む会社 東日本大震災後、被災地の宮城県気仙沼市で産声をあげた「小さな会社」のドキュメンタリーだ。作るのは手編みのセーター。オーダーメイドタイプで1着15万円と安くはない。 「手ごろな価格で量産」がスタート時の一般的な発想だろうが、目指したのは「価格を下げるより価値を上げる」こと。厳選した毛糸を使い、数カ月かけて1着を編む。完成間近でも編み目の間違いを見つけたら全部ほどくなど、その工程を知ると「晴れ着」価格にも納得がいく。起業から2年で、編み手は当初の4人から30人以上に増えた。中心は地元の50~60代の女性たちだ。編み手の一人は、会社に求めるものは?と問われ、「ずっと、この仕事を続けていたいです」。他の女性たちもうなずく。  社長でもある著者は、経営コンサルティング会社を経て、ブータン政府で働いていたが、震災を機に帰国。被災した大家族の仮住まい先に下宿しながら起業した。方言などに戸惑いつつも気仙沼が好きになっていく様子は、いわゆるビジネス本にはない活気に満ちている。職場の風景は読み物としても楽しい。
大人のADHD  もっとも身近な発達障害
大人のADHD もっとも身近な発達障害 発達障害の中のADHD(注意欠如多動性障害)に焦点を当て、症状はどんなものか、どんな治療があるのかを専門医が解説する。ADHDは従来、子どもの病気だと見られ、成人の発達障害ではアスペルガー症候群が有名だった。だが、近年はADHDの患者のほうがはるかに多く、成人の約3%にのぼるとされる。  その症状は、過度におしゃべりをする、内的な落ち着きのなさ(多動症状)▽いらいらしがち、衝動的な行動や判断が多い(衝動性症状)▽注意の持続が困難、先延ばしにする(不注意症状)などだが、症状の個人差は大きい。そのため、うつ病やASD(自閉症スペクトラム障害)との混同も多いという。  著者は従来の精神疾患と異なり、むしろ「特質」と言った方がいいと指摘。ADHDの人は「社会の中で輝くことのできるさまざまな『能力』や『素質』を兼ね備えている」「ためらわずに決断し突進を繰り返すのであるが、その過剰な試みは、新しい活路を切り開く契機になる」と説く。社会はどう対応したらいいのか。他人事ではすまされないことを認識させられる。
隔離の記憶 ハンセン病といのちと希望と
隔離の記憶 ハンセン病といのちと希望と 1996年まで法律で強制隔離(施設収容)が定められていた「ハンセン病」。2015年も全国の療養所に1700人が暮らす。病の経験者たちを、新聞記者が追った。  施設内での生活は社会には見えず、メディアが取り上げるのは国賠訴訟など大きな出来事ばかり。著者はそれに対し、経験者たちの過去とともにその日常生活を描き出す。施設収容を機に親にもらった名を「封印」し別名を名乗る、身内であっても結婚式には出られない……病を取り巻く社会環境・偏見の過酷さが容赦なく突き刺さる。特に、本書に登場する男性たちが結婚時ほぼ例外なく「断種」(パイプカット)手術を強制的に経験していることには驚きを禁じ得ない。  ただし、過酷な経験が人生の全てかと言うと「違う」と著者は言う。失明し、指先を失い詩作に励む「てっちゃん」は、療養所で知り合った在日コリアンの女性らと旅を重ねる。ローマでカツレツを食べたなど「普通」の話がかえって新鮮だ。病の日常/非日常を兼ね備えた記録の価値が際立つ。
中居正広という生き方
中居正広という生き方 国民的アイドル、SMAPのリーダーに迫った一冊である。「歌って踊れる」にとどまらない多面性を発揮する彼だけに、ヤンキー、演技、笑い、司会など幅広いテーマから考察する。チャップリンにあこがれ、読書を好み、「バラエティは演じている」と語る姿は我々が知る「中居君」の印象を覆す。  一般的に「中居正広」を形成する要素には「アイドル冬の時代」にデビューを迎えた時代背景が挙げられる。歌番組が黄金期を終え、他分野に活路を見いださざるを得なかったことが、結果的に多様性を育んだ側面は大きいだろう。  とはいえ、著者は彼の凄さを、そうした変化への柔軟性だと指摘する。従来のアイドル像を今でも自ら積極的に崩して、43歳になっても探求をやめないトップアイドルの息づかいが全編を通じて伝わる。  社会学者としてアイドル論を展開してきた著者だが、本書は学者ではなく一ファンとしての立場から描いたと言っても過言ではない。中居正広は従来のアイドル論ではもはや語ることができない存在なのかもしれない。
叩かれ女の正論
叩かれ女の正論 モノいえば炎上必至、自他ともに認める「叩かれ女」の二人が、日韓の政治、メディアなどに鋭く切りこむ。縦横無尽に広がりつつ的確に着地していく対話、巧みな現状分析。これはもう上質な「読むトークショー」である。  金の頭脳明晰ぶりに加え、肝の据わり具合に瞠目せざるをえない。テレビではゲテモノ扱い、苦情は頻々、孤独を覚えることもあるという彼女に、どこに希望を見いだすべきかと香山は問う。答えは「『言い続ける』ことですよ。乗り掛かった舟であるからには、行き先がどこであるのか、最後まで見極めたい」。なんて強い人なのか。  精神科医・香山の面目躍如たる時代診断も見どころ。「親日か反日か」「敵か味方か」と二分法的に他国を捉えがちな日本社会を、「黒か白か、一〇〇かゼロか」でしか相手を見られない精神疾患に重ね合わせる。はっとする解釈をさらりと提示する話術は、芸の域に達している。  明るい話題ばかりではないが、読後に芽生えるのは、混沌の現代を生き抜いてやろうという闘志。二人のパワーに感化される。

特集special feature

    日本の白亜紀・恐竜図鑑
    日本の白亜紀・恐竜図鑑 淡路島の空を翼竜が飛び、映画「ジュラシック・ワールド」での凶悪ぶりが印象深いモササウルス類が、大阪の海でクビナガリュウの仲間を襲う。白亜紀の日本の各地に、恐竜がいた。  1億4500万年前から6600万年前の日本は、どんな環境だったのか。恐竜や古生物たちの生態はどうだったのか。会社員でありながら九州初となるクビナガリュウや日本最大級のアンモナイトなど、数々の大発見をした「ドラゴンハンター」と古生物イラストレーターがコンビを組み、最新の研究にもとづいた迫力ある“活躍想像図”的イラストと詳細な解説、そして化石写真で、白亜紀の日本に連れていってくれる図鑑。  イラストに記される現在の地名と、人類誕生のはるか昔、中生代の世界が頭の中で結びつき、奇妙なイマジネーションがふくらむ。  古生代カンブリア紀の古生物ハルキゲニアが、ゆるキャラと化し、「とりま」とか「ウケるぅ~w」とか、なぜかギャル口調で化石や恐竜について分かりやすく解説してくれるコラムページがまた、楽しい。
    中国 狂乱の「歓楽街」
    中国 狂乱の「歓楽街」 「東莞の36時間」。中国で語りぐさになっている捕物劇だ。2014年、2月9日午後3時。広東省東莞市で6525人の警官が歓楽街で一斉に動き出し、2千カ所近い施設が手入れを受けた。100万人近い娼婦が暮らした街がわずか36時間で壊滅した。  違法な風俗店の取り締まりは珍しい話ではないが、動員した警官の数も対象となった施設数も前代未聞。一地方都市ながら東莞がいかに隆盛を極めていたかを物語る。  客は労働者から富豪まで、価格は数百円から100万円まで。東莞の性産業は市のGDPの2割、日本円にして1兆円規模まで拡大したともいわれる。「性都」は同時に、中国が内包する壮絶な格差の交差点として、富の再分配機能を忠実に担っていた。  中国の「反腐敗キャンペーン」は緩む気配はないが、本書を読む限り、中国人の欲望は果てしない。むき出しになった欲望の象徴が性産業であり、行き場を失った欲望は今でも膨張し続ける。東莞の住民の多くが今でも性都復活を信じて疑わないという言葉が印象的だ。
    李光洙(イ・グァンス) 韓国近代文学の祖と「親日」の烙印
    李光洙(イ・グァンス) 韓国近代文学の祖と「親日」の烙印 朝鮮近代文学研究者である著者が、李光洙と香山光郎という二つの名前を持つ作家の波瀾万丈な一生を追う。新時代を生きる男女の恋愛を描いた韓国初の長編小説『無情』を書き、近代文学の祖となった李光洙は、日本に「菊池寛の如し」と紹介され、小林秀雄、久米正雄、佐藤春夫、坂口安吾など著名な文学者たちとも交流する。しかし、後には日帝時代の下で日本に協力した「親日」作家というレッテルを貼られることとなり、未だに記念館さえできていない。  1905年に東京に降り立った李光洙は、西洋建築がずらりと並ぶ様子に驚く。藁葺きの家ばかりの朝鮮との「文明」の落差に気付くのだ。明治学院と早稲田大学への留学経験から彼の心の中では徐々に、民族啓蒙への決意が膨らんでいく。彼が「親日」と言われる根拠となった論説では、日本と朝鮮を一体化する「内鮮一体」が唱えられているが、それは朝鮮に日本と同等の教育機会を与え、日本人に朝鮮人を同胞として愛してほしいという願いであった。厳しい時代の中を生きる知識人としての苦悩と情熱が読み取れる。
    カメラを持て、町へ出よう 「観察映画」論
    カメラを持て、町へ出よう 「観察映画」論 市議会議員選挙戦、精神科診療所などの撮影に臨んできたドキュメンタリー監督が、「観察映画」という独自の方法論を語った講義録だ。  想田は作品制作にあたって被写体に関するリサーチや打ち合わせを行わず、ナレーションや説明テロップなども入れないと語る。被写体へのリサーチが「常識」のドキュメンタリー界ではある意味異色だが、これらはいずれも予定調和を求めず撮影を行い、監督や観客が各シーンをよりよく「観察」するための工夫なのだ。さらに、ときには観察者自らが被写体となることもある。例えば選挙戦の撮影時には現職の市議から監督自身が抗議を受けた。しかし想田は「自分も観察される側の人間になるべき」と、そのシーンをあえて完成作に組み込む。〈観察〉は本来相手に失礼な行為。だからこそ「ドキュメンタリー作りには『安全な観覧席』はない」とピシャリ。対象と一定の距離を保つ「観察映画」のイメージは、完全に粉砕される。映画というジャンルを越え、「見る」という行為がつくる関係性を否が応でも再考させる一冊。
    へんな生きもの へんな生きざま
    へんな生きもの へんな生きざま ハダカデバネズミ! “ブサカワ”動物界のスターの、衝撃的な写真が表紙を飾る。  2004年に第1弾が発売されベストセラーになった、早川いくをさんの人気シリーズ「へんないきもの」。その最新作は、大判の「読む写真集」である。へんな生きものたちの、「へんな」生態が、流麗な写真とユーモアあふれる文章とともに紹介される。  トラフトンボマダラチョウのサナギは、黄金色に輝き周囲を映し込むことで「光学迷彩」的役割を果たす。ノコギリエイのノコギリは、獲物への攻撃に加え、センサーの役割ももつ。  深海への適応、天敵対策、捕食の効率化……へんな生きものは、特殊な環境、特殊な状況に適応していくために、「へん」になった。「へん」には「へん」の理由がある。  不思議。キモい。その形状、おかしいだろ。でもどこか愛らしい。毒々しいほどキレイな色彩。次々と繰り出される「へん」の中に秘められたドラマには、ある種の感動もおぼえる。 〈笑えて泣けて絶句する。〉──オビに書かれたコピーに、深く納得。
    パパ・ヴァイト ナチスに立ち向かった盲目の人
    パパ・ヴァイト ナチスに立ち向かった盲目の人 第2次世界大戦中のドイツ。ナチスによるユダヤ人への抑圧に、ドイツ人でありながら立ち向かった人物がいた。  ユダヤ人が多く働くベルリンの盲人作業所の所長で、自身もほぼ盲目の、ヴァイト。  ヴァイトは何度も身を挺して、ナチスの秘密警察によるユダヤ人の強制収容から、ユダヤ人作業者たちを守り続けた。単身アウシュビッツに向かい、ユダヤ人収容者を助けようとしたりもした。  著者は、そのヴァイトに命を救われた、当時の少女。みんなが「パパ」と呼び慕った、ヴァイトの勇気ある行動を、子ども向けの絵本にした。  ヴァイトへの愛情あふれる優しい語り口と、柔らかなタッチの絵で、当時のドイツでのユダヤ人たちの様子が、重苦しくなりすぎないような雰囲気で伝わってくる。  当時、ドイツで何が起こっていたのか。未来へ伝えていかなければならないことは何なのか。大人にとっても“響く”絵本である。

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