「ベストセラー解読」に関する記事一覧

思考力
思考力
勉強ばかりしているとアホになるぞ! 外山滋比古のエッセイ『思考力』を一口にまとめるとこう。知識ばかり蓄えても、考える力は身につかない。知識なんか捨てて、自分の頭で考えよう、というわけだ。  目新しい意見ではない。ぼくも中学生のころ、担任の教師から同じことを言われた。「物知りになっても意味がないぞ。大事なのは考える力だ」と言われた。ぼくは百科事典を読むのが好きで、ときどき先生の知らないことを話して得意になっていたのである。  外山滋比古は6年前、『思考の整理学』(ちくま文庫)がヒットして話題になった。それも、本が出てから20年以上も経ってのミリオンセラーである。盛岡の書店でつけられた「もっと若い時に読んでいれば…」というPOPがきっかけとなり、次いで、東大や京大の生協で売れているというので売れ行きに拍車がかかった。 『思考力』も『思考の整理学』と重なるところがあるが、おもしろいのは第4章の自伝的部分だ。株式投資を始めた話だとか、東京教育大を辞めてお茶の水女子大に移った経緯だとか。けっこうお金について心配する人のようで、思考力より経済力か、とぼくは思った。  この本は、著者の意図とは別に、自分で考えることの難しさを示している。たとえば20世紀初頭、アメリカの家庭で石鹸が普及してポリオが流行したという話が出てくる。清潔になり抵抗力が落ちたからだというのだ。ネタとしてはおもしろいが、石鹸の普及による感染症の減少と、抵抗力の低下による感染症の増加を、ポリオだけでなく全体で見なければ清潔志向の善し悪しは判断できない。  小学校教員の女性比率が高くなったので日本の科学技術が遅れるようになった(女性は理科が嫌いなので熱心に教えない)なんていう話もどうか。OECDの報告書を見ると、日本の女性教員比率は世界的に見るとかなり低い。知識なしに思考すると間違った思い込みに陥りやすい。
ベストセラー解読
dot. 9/26
落語の国の精神分析
落語の国の精神分析
落語好きの知人に勧められて手にとった、精神分析家によるユニークな落語論。  主題はふたつ。  まずは、落語の根多(ねた)を〈江戸から明治大正にかけての民衆の生みだしたフォークロア〉としてとらえ、そこに表出している民衆の無意識を分析しようと試みている。題材には、「らくだ」「芝浜」「文七元結」「居残り佐平次」など大根多が取りあげられ、簡潔なあらすじを紹介した上で探求がはじまる。  たとえば「文七元結」。五十両を盗られて吾妻橋で自殺しようとする大店の手代、文七を死なせないために、娘を人質に女郎屋から借りた五十両を与えてしまう博打好きの長兵衛の心理とは、いったいどんなものなのか? 著者は、英国の分析家が提唱した「環境としての母親」という言葉で長兵衛の行動をとらえ、乳児に対する母性的な無私無欲に言及し、そこから江戸っ子の本質を解き明かす。  江戸っ子の属性に、献身的な母性によく似た無私が含まれるとは……このような意外な分析結果を導く一方、著者はもうひとつの主題である〈落語家という生き方〉にも深く入りこむ。その根底には、落語家と精神分析家はどちらも単なる職業ではなく、〈ひとりでこの世を相手にしている生き方〉そのものであるという考えがある。人間がどうしても抱えこんでしまう災厄の中でも始末の悪い孤独と分裂を仕事の中核に置く、落語の国の住人たちへの共感。そして、それらに共鳴する著者の思いは、本人は決して落語の国に安住できずに逝った立川談志を論じたときに最も熱く、深く、切実につづられていた。「立川談志という水仙」は、談志論の傑作である。  おそらく著者は、この本を誰よりも談志に読んでほしかったのだろう。優れた演者であるとともに最も鋭い批評家でもあった談志に、このような視座から落語を、あなたを分析できると伝えたかったのではないか。残念ながらかなわなかったその願いは、巻末にある立川談春との対談に託されている。
ベストセラー解読
dot. 9/19
内向型人間の時代
内向型人間の時代
「巧言令色鮮(こうげんれいしょくすくな)し仁」とか「沈黙は金、雄弁は銀」なんて言われたのは昔の話。今じゃ沈思黙考型の人は「暗い」と敬遠される。就職活動を見ていても、内定が出るのは明るく元気な学生だ。たぶん企業は使いやすいんだろう。静かにじっくり考えるタイプの人には受難の時代だ。  そんな人にとって、スーザン・ケイン『内向型人間の時代』は福音の書かもしれない。ポジティブ&能天気礼賛の本家みたいなアメリカだが、ほんとうに世の中を変えてきたのは沈思黙考型人間じゃないのか、というのである。内向型人間のリストに並んでいるのは、ニュートンやアインシュタイン、ショパンにプルーストら。グーグルのラリー・ペイジも『ハリー・ポッター』シリーズのJ・K・ローリングも内向型だという。ホントか?  「はじめに」がかっこいい。公民権運動のきっかけになったエピソードから。バスの中で白人に席をゆずれと運転手に言われたローザ・パークスが発したのは、たった一言「ノー」。彼女は社会運動の先頭に立つ活発な人というより、静かで内気な人だったという。もっとも、そこから大きな運動にしていったのは外向型のキング牧師だったのだけど。  外向型人間になるための自己啓発セミナー潜入ルポの部分に大爆笑。「明るい」と「おバカ」はほとんど同義語かと思えてくる。ハーバード・ビジネススクールもエリート集団というより、物事を深く考えない、ただの気持ち悪い人の集まりみたい。  気質は変えられるのか、そもそも気質を決めるのは遺伝なのか環境なのかという議論も出てくる。  愉快でおもしろい本だが、読んでいるうちに疑問もわいてきた。そもそも人を内向型/外向型に二分できるものだろうか。  この本はアメリカでミリオンセラーになったそうだ。アメリカ人の3分の1から2分の1は内向型だという話もある。外向型信仰に疲れた人が多いということ?
ベストセラー解読
dot. 9/11
里山資本主義
里山資本主義
3年前にベストセラーとなった『デフレの正体』の著者、藻谷(もたに)浩介と、NHK広島取材班がチームを組んで提唱する「里山資本主義」とは、〈お金の循環がすべてを決するという前提で構築された「マネー資本主義」の経済システムの横に、こっそりと、お金に依存しないサブシステムを再構築しておこうという考え方〉である。  東日本大震災で私たちが思い知らされたのは、いくら手もとに金があっても、いざ自分たちを取りまく巨大なシステムが破綻すれば、食料も電気も届かない現実だった。生活の基盤を外から買ってきて暮らす日々の脆弱さに、私たちは強烈な不安をおぼえた。それは、金さえあれば何でも手に入り、金銭に換算しにくい自然や人間関係は後回しという社会の限界の明示であり、実はずいぶん前から多くの日本人が抱いていた不安を実感に変える出来事だった。  藻谷たちが唱える里山資本主義は、〈お金が乏しくなっても水と食料と燃料が手に入り続ける仕組み、いわば安心安全のネットワークを、予(あらかじ)め用意しておこうという実践〉でもある。その事例として紹介されている岡山県真庭市などがとても示唆に富んでいるのは、そこが中国山地にある点だ。  日本が高度経済成長をとげるとともに衰退した林業。国土の66%を森林が占めながら、山林地域は間伐の予算にさえ苦労している。そんな山林をかかえる真庭市ではじまった変革に藻谷たちは学び、マイナスをプラスに変える里山資本主義の可能性を説く。森や人間関係といったお金では買えない資産に最新のテクノロジーを加えて活用すれば、マネー資本主義だけに頼らない、〈安心で安全で底堅い未来が出現する〉と。  負の遺産のような山林に囲まれた町からはじまった新しい資本主義の実践は、草の根ネットワークを通じて少しずつ広がっているらしい。50年後はこちらの方がメインになるのではと、私はかなり本気で期待している。
ベストセラー解読
dot. 9/5
誰も戦争を教えてくれなかった
誰も戦争を教えてくれなかった
1月に母が、6月に父が他界した。1930年生まれの父は、敗戦のとき満14歳だった。母はその2歳下だった。父は戦場に行ったわけではないが、戦時中の体験について繰り返し語った。ぼくの世代は間接的に15年戦争を知る最後の世代かもしれない。  古市憲寿『誰も戦争を教えてくれなかった』は、直接的にはもちろん、間接的にもほとんど戦争を知らない世代が、戦争博物館を訪ね歩いて考えた長編評論である。古市は1985年生まれだ。  登場する人の名前の後ろに(+40)とか(-15)という数字がある。1945年を軸にして、何年後に、あるいは何年前に生まれたかを示している。ぼくは(+13)だ。何歳のときにどこで敗戦を迎えたかはとても重要だ。同じできごとでも受け止め方は違うから。  著者は世界のさまざまな戦争博物館を見て回る。パールハーバーや南京やアウシュビッツをはじめあちこちを。もちろん日本国内も。あきらかになるのは、日本の戦争博物館(あるいは平和博物館)の異常さだ。  まず日本の施設の多くは、起きたできごとを事実として残すことに不熱心だ。収集し分類し保存し研究する博物館というよりも、慰霊のためのモニュメントとしてあるようだ。それはそのまま15年戦争に対する日本の行政の態度にもなっている。記憶したいのか忘れたいのかどっちつかず。だが日本の態度は世界的に見るとスタンダードでもなんでもない。  戦争を記憶している世代が生きているうちはそれでもよかったのかもしれない。誰も戦争を知らない時代はどうするのか。どう記憶していくのか。  古市の文章は軽く、フットワークはもっと軽い。しかし、だからこそ足りないところや過剰なところを的確に指摘する。教育委員会が『はだしのゲン』を生徒たちに見せるなというような市まであらわれる時代だ、戦争を記憶し伝えることは難しい。
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dot. 8/28
オレたちバブル入行組
オレたちバブル入行組
7月からはじまった連続ドラマでもっとも話題になっている『半沢直樹』の原作が、この小説である。  タイトルにあるとおりバブル期に都市銀行に入行し、今は大阪西支店で融資課長を務める半沢直樹。支店長命令で無理に融資の承認を取りつけた会社が倒産し、すべての責任を不当に負わされそうになってからの彼の起死回生ストーリーが、テンポよく展開する。その中で描かれる債権の回収方法はもとより、人事評価をめぐる行内の権謀術策や独特の価値観が生々しく、一面的な銀行員のイメージとは異なる、いくつもの実像が浮かびあがる。  読後、私がそのギャップをもっとも魅力的に感じたのは、半沢ではなく、彼を窮地に陥れる支店長の浅野だった。順調にメガバンクの出世コースを歩み、次のステップのために支店長職についた男の打算と、人生の誤算。誤算を帳消しにするために不正に手を貸し、そこを半沢に突かれて狂わんばかりに不安に蝕まれていく浅野の姿があればこそ、半沢の威勢のいいセリフ、「やられたら、倍返し!」がより痛快に響く。  主人公の半沢もまた、決して爽快なヒーローとしては描かれていない。不正を働いた者に対しては、ちょっとやりすぎではと思うほど徹底的に、容赦なく叩く。人の見切りも早く、自分なりの算段はどんな手を使っても達成していく。そこがいいと、長くサラリーマンをやっていた私は思う。社外よりも社内に敵が多いサラリーマンの実状を、銀行出身の作者はよく知っている。  大阪が舞台の融資回収話とあって、どうしても『ナニワ金融道』を連想しがちだが、あの漫画とこの小説が決定的に違うのは、金を貸す側の人事について執拗に言及している点だ。人の事を人が決める難しさ、危うさ……銀行は人事がすべてと諦観しつつも、だから自分が変えてやると野心を抱く半沢直樹は、間違いなく新しいタイプの主人公だ。
ベストセラー解読
dot. 8/22
LEAN IN(リーン・イン) 女性、仕事、リーダーへの意欲
LEAN IN(リーン・イン) 女性、仕事、リーダーへの意欲
セクハラ、パワハラ、モラハラに続き、最近はマタハラというのがあるそうだ。マタニティー・ハラスメント。妊婦いじめである。妊娠したと告げられた上司や経営者がキレる。ギリギリの人員でやっているのだから、産休や育休なんてもってのほかというわけだ。21世紀になったのに、いまだに女性が働く環境はよくない。家事や育児や介護などについて、男女の負担の差は依然として大きい。ひどいのは日本だけでなく、アメリカも五十歩百歩らしい。 『リーン・イン』の著者、シェリル・サンドバーグはフェイスブックのCOO(最高執行責任者)。成功者の自慢話か、体験をもとにした自己啓発書かと思って、眉に唾して読みはじめたのだが、まったく違う。アメリカ社会において女性が仕事をしていくことがいかに困難か、そしてそれを突破するにはどうしていけばいいかを考える本である。  書名の意味は、「(風に逆らって)前に進め」というような感じか。あるいは「(遠慮しないで)身をのり出そう」かもしれない(もっと分かりやすい日本語の書名をつけられなかったのだろうか)。  優秀な女性たちは、自分たちの優秀さについて、一種の罪悪感を抱いているという。(愚鈍な男たちより)優秀でスミマセンと。男女差別が社会の隅々まで染みついていて、人びとは生まれた時から刷り込まれている。女性はまず、この内なる敵と闘わなければならないのだ。  ある人が、女性のキャリアアップに男性ができることを問われ、「洗濯」と答えたというエピソードには笑うと同時に深く納得した。社会的な制度をどうこうすることも大事だが、その前に家事の分担をということだ。男性は自分を働かせすぎる会社や社会と闘わなければならない。男性であるぼくには耳の痛い話ばかりだ。  べつに少子化なんてどうでもいいけど、働きたい人が働けない世の中は、つまらないと思う。
ベストセラー解読出産と子育て
dot. 8/1
文藝別冊 総特集 山田太一
文藝別冊 総特集 山田太一
『男たちの旅路』『岸辺のアルバム』『早春スケッチブック』『ふぞろいの林檎たち』……脚本家、山田太一の名を聞くだけで、次々と名作ドラマのタイトルが浮かんでくる。しかも、どの作品も一度しか観ていないのに、いくつものシーンが鮮明に蘇ってきて奇妙な気分になる。  いったい、どうしてこうも山田ドラマは自分の記憶に深く刻まれてしまったのか?  山田太一を特集したこのムックには、「テレビから聴こえたアフォリズム」という副題がついている。アフォリズムとは物事の真理を鋭くつく言葉だが、それは、語るにふさわしい人物が語るにふさわしい場面に発して初めて、聴く者の胸に刺さる。山田ドラマの成功は、だから、制作に関わったスタッフとキャストがいかに脚本の意図を深く理解していたかの証しでもある。  そのあたりの事情は、『岸辺のアルバム』『ふぞろいの林檎たち』などをプロデュースした大山勝美、演出した鴨下信一へのインタビュー記事を読めば、よくわかる。また、山努ら俳優たちがいかに山田の脚本に応じようと苦心したかも、エッセイを通じて見えてくる。  彼らの回想も含め、そもそも山田自身がどのような考えをもって社会と、時代と向きあってきたか理解できるよう、この本は編まれている。そして、かつて本人が書いた文章、多くの対談、文庫解説、学者による論考といった盛りだくさんのアプローチから浮上するのは、山田の諦観だ。 〈私たちは少し、この世界にも他人にも自分にも期待しすぎてはいないだろうか?〉  右とか左とか、上とか下とか、どちらかへ人々がどっと傾いてしまいそうなとき、山田は単純な断言を避け、可能性に過度に期待する危険性をささやく。そのささやきは、聴いた者に、自分のまっとうな定位置を思い起こさせる。私の中に山田ドラマが刻みこまれた理由も、おそらく、そこにあるのだろう。
ベストセラー解読
dot. 7/24
2030年 世界はこう変わる
2030年 世界はこう変わる
元職員エドワード・スノーデンによって、米国の国家安全保障局が同盟国に対してすら盗聴を行っていたことが暴露された。もっとも、驚いた人は少ないだろう。「おおかたそんなことだろうと思ってたよ」というのが多くの感想だ。  覇権国家というのは軍事力と経済力だけでなく、情報の収集と分析力も強大だ。で、その米国の情報機関、米国国家情報会議が編集したのが『2030年 世界はこう変わる』である。日本やEUも含め、世界中を盗聴しまくって集めた情報を分析しているのだから、信頼度は抜群だ。ただし書きぶりは慎重で、ある程度の幅を持った予測となっている。  多くの日本人は、この本を読んでがっかりするだろう。17年後の未来、日本はいま以上にしょぼい国になっている。アメリカも落ち目。伸びているのはアジアで、しかも中国とインドがすごい。でも、中国もすでに陰りが見えて、いちばんはインドかも……というのが予測である。これも「おおかたそんなことだろうと思ってたよ」というのが正直な感想か。  中国(だけ)には負けたくない、と思っている日本人も多いだろう。書店の本棚には、中国の破綻を祈願するかのような本がたくさん並んでいる。しかし中国が日本よりも経済的に成長しているのは事実だし、日本が遠からず超々高齢化社会になることも避けられない。  最近のインドというと、集団レイプ事件などひどいニュースばかり流れてくるが、経済力の伸びはすさまじい。やはり若い人がたくさんいる国は勢いがある。  もっとも、国家の興亡と国民の幸不幸は必ずしも同じではない。勤めている会社の景気がいいからといって、社員がみんなハッピーだとは限らないように。金持ちの国に生まれても、幸福を実感できない人はたくさんいる。  日本のことを離れて、地球全体で考えると、水や食糧の危機は深刻だ。17年後も人類は生き延びているのだろうか。
ベストセラー解読
dot. 7/17
永続敗戦論 戦後日本の核心
永続敗戦論 戦後日本の核心
安倍首相が「戦後レジームからの脱却」を自身の政治方針として語ったとき、この人は米国とまた戦争をするつもりなのか、と私は驚いた。米国が日本の戦後レジームの基盤をつくった以上、そこから脱却しようとすれば、同国との間にただならぬ軋轢(あつれき)が生じるのは必然と考えたからだ。  勇ましい首相の姿勢は、たとえば今年4月、村山談話の継承を否定する国会発言にも現れた。アジア諸国への侵略を認めた談話の継承拒否。この発言に対し、中国、韓国政府が反発することは首相も予測していただろうが、米国から批判が噴出するとほどなく、村山談話を継承すると国会で明言した。  この一例の経緯を見ても、日本の戦後は米国の態度とともに揺れ動く。戦後30余年がたって生まれた社会思想・政治学の研究者、白井聡はこの本で、日本の曖昧な戦後を「永続敗戦」ととらえている。タイトルにもある永続敗戦とは、〈敗戦を否認しているがゆえに、際限のない対米従属を続けなければならず、深い対米従属を続けている限り、敗戦を否認し続けることができる〉状況を意味する。  戦後の繁栄と平和を誇り、まるで敗戦などなかったようにアジア諸国に対して排外的ナショナリズムを主張する日本。その背後に米国の圧倒的な軍事力があることを私たちは知っている。そこをふまえて白井は書いている。 〈日本が「東洋の孤児」であり続けても一向にかまわないという甘えきった意識が深ければ深いほど、それだけ庇護者としての米国との関係は密接でなければならず、そのために果てはどのような不条理な要求であっても米国の言い分とあれば呑まなければならない、という結論が論理必然的に出てくる〉  戦後レジームの根幹をなす永続敗戦の実状を直視し、認識の上で終わらせるよう訴える白井。私は彼の主張に強い共感を覚えながら、今後のTPPの展開に不安を募らせている。
ベストセラー解読
dot. 7/10
ウルトラマンが泣いている 円谷プロの失敗
ウルトラマンが泣いている 円谷プロの失敗
いやはや、ここまでひどかったとは!  円谷英明『ウルトラマンが泣いている』は、円谷英二の孫で、円谷プロ元社長(六代目)による円谷プロの内幕暴露本である。  いま40代、50代で、ウルトラ・シリーズを見たことがない人は、ほとんどいないのではないだろうか。誰もが心のどこかに「ウルトラ」を刷り込まれている。もしかすると、現代日本人にとっては、わらべ歌よりも、昔話よりも、広く共有されたカルチャーといっていいかもしれない。  この本が売れているのは、ウルトラマンへのノスタルジーだろうが、残念ながらそういう本ではない。なにしろ円谷プロの内情はめちゃくちゃだった。経営危機やお家騒動についての情報はたびたび流れていたけれども、これが実態だったのか。  驚いたことに、そもそも円谷英二の時代から特撮だけでは利益が出ていなかった。「特撮の神様」といわれ、世界的評価も高いとされているのだが、制作コストが収入をはるかに上回る。赤字を埋めるために玩具などでのキャラクタービジネスに力を入れる。すると、玩具メーカーの意向を受けた番組作りになってしまう。ヒーローの数を増やしたり、色を派手にしたり。ほとんど玩具の宣伝番組と化す。  経営とかガバナンスという概念が存在しない。名声にあぐらをかき、会社のカネと自分のカネの区別もつかず、むだづかいをする経営者たち。ダメな会社の典型例を見ているようだ。中国やアジアマーケットでの失敗もよくあるパターン。  貧すれば鈍する。ウルトラ・シリーズの世界観はあいまいになり、対象年齢はどんどん下がっていく。オタクにも見離される。  そういえばウルトラ・シリーズって、危なくなるとウルトラマンが外からやってきて助けてくれるというのが基本パターンだった。もしかすると、この思考回路にそもそもの問題が?
ベストセラー解読
dot. 7/3
ぼくがいま、死について思うこと
ぼくがいま、死について思うこと
好奇心の赴くまま辺境の地へ出かけては馬で駆け、カヌーや筏に乗り、車を走らせ、夜になれば、仲間たちと焚き火を囲んで酒を飲む。そんな生活を長年送りながら大量の連載原稿を書き、写真を撮り、映画を作ってきた作家、椎名誠が自分の死について考えた一冊。  きっかけは、67歳で受けた人間ドック後に主治医が発した、「あなたは自分の死について真剣に考えたことはこれまで一度もないでしょう」という問いかけだった。小馬鹿にされていると感じながらも、そのとおりだったからしょうがない。椎名はまず家族や友人の死の記憶をたどり、日本の墓石や納骨方法の特殊性にふれ、それから世界各地の葬儀や墓に関する知見をくわしく紹介する。  チベットの鳥葬、モンゴルの風葬、ラオス山岳民族のジャングル葬、ネパールとインドの水葬などは、椎名自身が現場に足を運んでいるだけに、その実態がよくわかる。他にも、アメリカの実状やイスラム教の事例を調べたり、イギリス、フランス、韓国、沖縄、さらにはゾロアスター教の戒律と日本の習俗の類似点などにも言及。いわば「椎名誠による死生観の比較文化論」的な内容が、終盤まで展開する。  椎名がようやく「自分の死」についての考えを書くのは、この後だ。身辺に起きた変化をまじえて思いを綴るのだが、その思索の核心は、〈友よさらば──少し長いあとがき〉にまとまっている。20歳のときに自死した親友への忸怩(じくじ)たる思いを吐露し、いじめによる子どもの死について、自身の苦い体験も添えながら〈死ぬしかない、と思いつめないでほしい〉と訴える。尊厳死にもふれて深く共感の意を表明、いざとなったら自分も選択したいと本書を通じて家族に伝えていた。  ところで、椎名は今も毎日、ヒンズースクワット300回、腹筋200回、腕立て伏せ100回、背筋20回をこなすらしい。現時点で、死からもっとも遠い69歳である。
ベストセラー解読終活
dot. 6/27
この話題を考える
女性が男性が時代が、変わる

女性が男性が時代が、変わる

【AERA2025年3月10日号】3月8日は国際女性デー。いま、両立支援施策の拡充や管理職への積極登用など、女性が働き続けるための環境が整いつつあります。ただ、それでもキャリアを諦めざるを得ない女性がいます。その差は「夫」にありました。「キャリアの差は、夫の差」――。そんな現実をレポートするほか、実現への気運が高まる「選択的夫婦別姓」の最新事情も詳報。出産をめぐる生殖医療、AERA Womanスペシャルサポーターの座談会、AERAの記事でふり返る「女性」の変化など多角的に取り上げます。

家庭内ダイバーシティー
不登校34万人のリアル

不登校34万人のリアル

【AERA 2025年3月3日号】11年連続で増加している不登校の児童生徒数はついに34万人を突破しました。その理由はさまざまですが、コロナ禍以降は特に、テレワークの普及で親が自宅にいる、オンライン学習が充実したなど、学校を休むことへのハードルが下がっている面もあるようです。個別の事情があり、対応に正解がない中で、子どもとその家族が孤立しないようにするにはどうしたらいいのでしょうか。学び方も支援も多様化しており、受験でもどうしたら不利にならないのか、最前線を取材しました。

不登校のリアル
大学合格者ランキング2025

大学合格者ランキング2025

注目が高い大学合格者の高校ランキングを今年も紹介します。AERAとサンデー毎日、大学通信の合同調査で、東京大学や京都大学のほか、難関国立大・有名私大の結果を随時、速報・詳報します。

大学合格者ランキング2025
俺のイタリアン、俺のフレンチ
俺のイタリアン、俺のフレンチ
最近、「俺のイタリアン」「俺のフレンチ」というチェーン店がすごく人気らしい。立ち飲み中心なのだが、料理がうまくて値段は激安、店員がすすめるワインもたいへんいいのだとか。東京の銀座8丁目や新橋あたりに何店もあるそうだ。  坂本孝『俺のイタリアン、俺のフレンチ』は、経営者がそのノウハウを紹介したビジネス書である(レシピ本ではないのでご注意を)。副題は「ぶっちぎりで勝つ競争優位性のつくり方」。  この著者名、どこかで聞いたことがあるなと思ったら、そう、あのブックオフの創業者である。中古ピアノの買い取り販売で成功し、そのノウハウを古書に応用したのがブックオフ。1990年に登場して、あっという間に日本の読書を変えた。いまじゃ街でいちばん大きくて品揃えもいい書店はブックオフ、というところも珍しくない。早大で教えていたとき「日本で感動したのはブックオフ。私の国にも持ち帰りたい」と中国からの留学生が熱く語っていた。たしか坂本はスキャンダルが原因でブックオフを離れたのでは?  中古ピアノから古本へ、そして外食産業へ。共通点は何かというと価格破壊だ。それも安かろう悪かろうではなくて、いいものを安く売る。一流の料理人を連れてきて、安い値段で提供するのだ。  原価率は高い。そのかわり回転率も高い。立ち飲み中心にして内装にはお金をかけない。だから人の多いところにしか出店しない。徹底的な割り切りである。繁盛するのもわかる。落ち着いてゆっくり飲み食いしたいぼくには苦手なタイプの店かもしれない。  そんなに回転率が高くては、働いているほうも大変だろうと思うが、「私は、社員を第一に大切にしています」と書いている。客より優先順位が高いそうだ。これも常識破り。いまはどんな会社でも顧客第一主義というのに。  面白いのは、人材の確保方法。自分で引き抜いたりせず、人材紹介会社を通すのだそうだ。
ベストセラー解読
dot. 6/19
元素図鑑
元素図鑑
高校時代、化学が苦手だった。「水兵リーベぼくの船、七曲がりシップス……」と語呂合わせを頼りに無理やり覚えた元素周期表などは、今見ても虫酸が走る。  そんな私がこの『元素図鑑』を書店で手にとったのは、タイトルにある「図鑑」の文字が放つノスタルジックな魅力とカバーに組まれた奇妙な写真群、帯に大きく印刷された「元素の見方が変わる!」というコピー、そして何より、手軽な新書版サイズのせいだった。  内容もコンパクトにまとまっていて、各元素は統一されたデザインにしたがって、原子番号順にそれぞれ一ページで紹介される。解説文も簡潔でわかりやすく、解説ページの前後には、各元素に関連する美しいカラー写真がならぶ。たとえばクロムの場合、ゴッホの「アルルの跳ね橋」の写真が登場し、〈ゴッホが好んで使った黄色は、クロム酸鉛を主成分とするクロムイエローという顔料による〉といった説明文が添えられている。  原発事故をきっかけに誰もが知るところとなったセシウムを含有するポルックス石、ダイヤモンドに次ぐ硬度を誇るホウ素、金属の耐熱性や強度を上げる添加剤として使われるニオブ……耳にはしても見たことがなかった各元素の写真。それらにひきつけられてつい読んでしまう解説にも、〈(水素は)宇宙にもっとも多く存在する元素で、宇宙全体の元素質量の約75%を占めている〉とか、〈(金の)元素記号はオーロラや太陽の輝きの美しさをあらわすラテン語Aurumに由来する〉など、興味深いものが多くあって飽きない。  なお、この本の著者である中井泉は、すべての元素を研究対象としつつ考古遺跡や文化財の物質史も解読する化学者だ。美術や考古学とともに元素に近づくその方法で授業を受けていたら、私は化学を嫌いにならなかったかもしれない……と詮ないことを思いつつ、この世界がたった92個の元素の組みあわせでできている不思議に、今あらためて感じ入っている。
ベストセラー解読
dot. 6/13
伝え方が9割
伝え方が9割
昔から「物は言いよう」という言葉があって、たとえば『広辞苑』では「同じ物事も話し方によってよくも悪くも聞こえるものだ」と説明されている。誰もが知っている、いわば常識に属することだろう。  佐々木圭一の『伝え方が9割』に書いてあることも、このごく常識的なことである。わざわざ言われるまでもないことばかり。だが、その誰もが知っているようなことを書いた本がこんなに売れるのは、まさに本書の「伝え方」による。とりわけタイトルが成功。本書は、売れているという事実によって、伝え方が大事だということを実証した。それが「9割」かどうかはともかくとして。  書かれているのは、たとえばこんな具体例だ。  好きな人をデートに誘うとき、「デートしてください」と言うよりも、「驚くほど旨いパスタの店があるのだけど、行かない?」と言ったほうが、成功する確率がぐんと上がるというのだ。  たしかに著者の言うとおりだと思うが、よく考えると、たんに「伝え方」だけの問題ではなさそう。「デートしてください」とストレートに言う人の、いわゆるキャラと、旨いスパゲティ屋があるからと誘う人のキャラはずいぶん違う。「デートしてください」と直球しか投げられない人が、スパゲティ屋に誘うという変化球を投げられるようになるためには、それなりのキャラづくりやトレーニングなりが必要だと思う。スパゲティ屋を「パスタの店」と言い換えたり、「驚くほど旨い」なんていう言い回しを真顔で使えるようになることを含めて。ぼくには無理かもしれない。  そう考えると、「物は言いよう」というありふれた常識も、いざ実践しようとするとなかなか奥が深い。伝えたいことが伝わらなかったからといって(一応そういうことにしておこう)、「メディアの大誤報」などと責任転嫁する政治家のいる昨今だからこそ、とくにそう思う。
ベストセラー解読
dot. 6/5
模倣の殺意
模倣の殺意
警察は自殺と判断したある作家の死に不審を抱いた二人の人物が、それぞれの疑問点から真実に迫っていくミステリ小説。ストーリーは日付で区切られて軽快に展開していくが、いよいよ真相が判明する第4部を前に、次のような注文が作者から入る。 〈あなたは、このあと待ち受ける意外な結末の予想がつきますか。ここで一度、本を閉じて、結末を予想してみてください〉  まるでエラリー・クイーンばりの読者への挑戦状を受けて読み進めた私は、うすうす気がついていたトリックの内容と結末を確認し、「やっぱりね」と苦笑しながら読了した。  この作品は、物語の構成そのものに仕掛けがある叙述トリックを用いていた。ミステリにさほど詳しくない私でも、そういう手法があることは知っていたから、第3部の途中でぼんやりと気づいたのだろう。しかし、事実は逆だった。解説によれば、『模倣の殺意』は〈叙述トリックを用いた初の国内ミステリ〉なのだった。つまり、私が過去に読んだ日本人作家の叙述トリックの原点には、この作品があったのだ。  中町信が1971年の江戸川乱歩賞に応募した「そして死が訪れる」は、受賞は逃したものの高い評価を得て雑誌に「模倣の殺意」として連載され、73年、『新人賞殺人事件』というタイトルで単行本化された。一部のミステリファンの間では評判となったがすぐに品切れとなり、87年、『新人文学賞殺人事件』として徳間文庫で復活した。このような紆余曲折あった作品の決定版として創元推理文庫に登場したのは2004年。そして、この小説の面白さに注目したある書店員が自発的に宣伝したことをきっかけに、「幻の名作」はついにベストセラーとなった。  自身の作品が40年後に多くの読者を得た中町は、4年前に亡くなっている。一冊の本をめぐる奇妙な変遷もまた、この小説を読む愉しみのひとつかもしれない。
ベストセラー解読
dot. 5/30
なめらかな社会とその敵
なめらかな社会とその敵
世の中は白か黒かとはっきり分けられるほど単純ではない。悪人は51%悪くて、49%善い。善人は49%悪くて、51%善い。悪人と善人の違いは、わずか2%程度じゃないのか、というのが55年間生きてきたぼくの実感だ。ほとんどのことは白と黒の間、グレーの部分にある。  「この複雑な世界を、複雑なまま生きることはできないのだろうか」というのが鈴木健『なめらかな社会とその敵』の冒頭の言葉。なめらかな社会とは、ものごとを単純な二元論に還元してしまうのではなく、複雑なものを複雑なまま残す社会である。  それを夢想に終わらせないために、さまざまな仕組みを著者は提案している。ものの値段の決めかた、選挙のしかた、法律のありかた、そして国家の枠組み。  すごいのは、なめらかな貨幣システム「伝播投資貨幣PICSY」や新しい投票システム「分人民主主義Divicracy」について、数学的な基礎づけを行ったところだ。ぼくにはほとんどチンプンカンプン。記号Σがあちこちに出てきて、あわてて『もう一度高校数学』(高橋一雄著、日本実業出版社)の数列の章を読み直した。こんな難解な本が売れているなんて!  ぼくなりの理解では、PICSYとは購買を投資ととらえ、未来についても見すえてお金を払うこと。分人民主主義は、一人一票ではなく、この一票を何分割にもして投票すること。  そんなことできるのかと思うのだが、コンピュータとインターネットを使えば不可能ではないらしい(東浩紀『一般意志2・0』を連想した)。  先の総選挙の結果にもやもやした思いを抱き、次の参院選に不安を持っている人は少なくないと思う。民主党はダメだったけど、自民党の政策を積極的に支持したわけじゃないのに……と。この居心地の悪さ、「なめらかな社会」になれば、少しは改善されるのかな。
ベストセラー解読
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俺俺
俺俺
マクドナルドで隣に座った男の携帯電話を盗み、そこに何度も連絡をとってくる「母」を相手に息子を演じているうち、ついオレオレ詐欺をしてしまう俺。ひょんな流れとはいえ後悔の念もあったが、勝手に俺のアパートを訪ねてきたその「母」は、対面しても俺を息子と疑わない。「母」が暮らす家へ行ってもその態度は変わらず、〈俺が俺から離れてしまいそう〉な感覚におびえた俺は、久しぶりに自分の実家へ行ってみる。するとどうだ、実母はあなたなど知らないと言う。すったもんだの末、若い男が玄関から現れる……その男は、間違いなく俺だった。  いつの間にか上司も親も、街中ですれ違う人々も俺になっていく。俺たちは互いの考えや思いを理解しあって最初は喜ぶが、さらに増殖が進んでしまったとき、俺たちは互いを否定しはじめる。どうしてこんな奴まで俺なのか、と。  星野智幸の『俺俺』は、サラリーマンたちの同質化を鋭く問うた安部公房の『棒になった男』を髣髴(ほうふつ)とさせる。その上で『俺俺』が新しいのは、安部作品では棒と化した現代人をあくまでも人としてとらえ、それぞれが同じ俺であると認め合ったときにどのような行動をとり、社会には何が起きるか描ききった点にある。  俺俺とは、自己と他者との境が消えた社会だ。同調しない他者が存在すれば、社会には異質が発生し、疎外が生まれ、孤独すら生まれる。だから、他者は排除される。そこで重視されるのは均一で同質であること。個性を尊ぶようなフレーズが蔓延する社会とは、裏返して見れば、実際にはいかに自己が軽く扱われ、俺俺化が進んでいるかという証でもある。  あいかわらず強い同調圧力を受けつつ、激しい流動化に晒(さら)されている現代人のアイデンティティの脆弱さ。奇想をもってその危機と可能性を描いたこの傑作が、亀梨和也主演で映画化された。俺俺の社会をこの目で観られるとは、今から楽しみだ。
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