「ベストセラー解読」に関する記事一覧

キル・リスト
キル・リスト
ホワイトハウスには暗殺リストがある。米国にとって危険だからという理由で、合法的な手続きによらずに処刑する人物のリストである。2013年の早春、リストに新たな名前が加わった。ネットの動画でテロを煽る、狂信的イスラム教徒の男である。顔も名前も不明の「説教師」と名づけられたこの男を殺すよう、米海兵隊中佐、暗号名「追跡者」に命令が下る。  フレデリック・フォーサイスの新作、『キル・リスト』の設定はざっとこんな感じだ。  1970年発表の『ジャッカルの日』(日本では71年発売)から40年あまり。70代なかばとは思えないパワフルな冒険小説だ。  叙情的な記述を徹底的に排し、無機的な短い文章を積み重ねていく。そのリアリティに圧倒される。たとえば日本の作家がよくやるような、政党や機関の名前を架空のものにするようなことは最小限にとどめられている。政治家も政党も実名で出てくる。  リアルなだけに、見方を変えると、おぞましい小説だ。米国政府がインターネットの監視を広く行っていることが、元政府機関職員のスノーデンによって暴露されたが、この小説に描かれているのはまさにその世界。登場人物たちは、何の疑いもなく盗聴や監視を行う。国家の敵と見なせば暗殺することも躊躇しないが、国家の敵かどうかを決めるのは権力中枢にいるごく一握りの人間だ。  主人公「追跡者」は米海兵隊の兵士だが、クライマックス・シーンで「説教師」を急襲するのは英国軍の特殊部隊である。しかも現場はアフリカのソマリアだ。米国による暗殺指令によって英国軍がソマリアで活動するのだ。ははん、安倍首相が主張する集団的自衛権ってのは、こういうことか。  命令されて暗殺を実行するだけでは小説として弱いと思ったのか、作者は「追跡者」の父をテロリストに殺させる。職務命令に私怨が加わるのだが、政治や外交に私怨をからませちゃいけない。
ベストセラー解読
週刊朝日 6/26
暴力的風景論
暴力的風景論
3人が並んで立って同じ方向に目を向ける。たとえばそこに、オープンしたばかりの虎ノ門ヒルズがあるとする。マッカーサー道路の上に建てられた地上52階のビル。視野の端には東京タワーも見える。  この風景を眼前にし、ある人は6年後の東京オリンピックを前提にした新たなビジネスへの野望を抱くかもしれない。その隣にいた人は、またこんなもの建ててと口を歪め、衰退の一途をたどる故郷を思って溜息をつくかもしれない。もう一人は、東日本大震災時の恐ろしい体験がよみがえり、つい目をそらすかもしれない。  同じ風景と向きあっているはずなのに、これら三者はまるで違うものを見ているようだ。なぜなら、風景には見る者それぞれの気分や心象、そして過去の体験や知見が反映されるから。どうしてそう見えるか解釈を語れば、そのままひとつの物語にすらなる。  武田徹はこの『暴力的風景論』で<「風景」とは、その人が見ている世界そのものである>と指摘している。自分の気分や内面が反映され、世界観や歴史観にまで通じる風景であればこそ、<ひとたび視界に現れれば、人はそれ以外のものとして世界を見ることができなくなる>からだ。そのために人は、それ以外の風景を認めなくなり、そう見えない者たちの存在を隠蔽したり、攻撃したりするようになる。こうして、風景が暴力の源泉になっていく。  武田が提起した風景論は、ジャーナリズムの新しい可能性へのアプローチでもある。その特徴を知って風景と対峙すれば、事実に折り重なった物語や世界観や気分を読み解き、私たちがどのように世界と、時代と向きあってきたか知ることができるかもしれない。武田はこの考えにもとづいて米軍基地、富士山、マッカーサー道路など八つの風景に挑み、<その向こう側から漏れ聞こえてくる>別の風景の声に耳を澄ました。  風景をめぐる理論と実践。快著である。
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週刊朝日 6/19
暴露──スノーデンが私に託したファイル
暴露──スノーデンが私に託したファイル
ぼくたちは見張られている。誰に? アメリカ政府に。  アメリカ情報機関の元職員、スノーデンが、重大な機密情報をイギリスの有力紙ガーディアンで暴露した。合衆国国家安全保障局(NSA)が、電話やインターネットの交信を盗聴したりのぞき見たりしていたというのだ。しかも対象には同盟国の首脳まで含まれていた。21世紀最大のスキャンダルだ。グレン・グリーンウォルドの『暴露──スノーデンが私に託したファイル』は、この情報を受け取って報道したジャーナリストの手記である。  テロ対策を口実にすれば、もう何でもありらしい。言論の自由もプライバシーの尊重もあったもんじゃない。グーグルやフェイスブックはとても便利なものだが、それはひそかに情報を集めて人びとを監視する国家にとっても便利なものなのである。  内容は大きく分けて二つの部分からなる。前半は著者がスノーデンから情報を受け取って公表するまで。当局に察知されまいと、慎重にことを運ぶスノーデン。ガーディアン幹部と交渉する著者。まるでスパイアクション映画のよう。  後半は、国家が人びとを監視する意味についての考察だ。「見られている(かもしれない)」と意識することで、言論や表現が萎縮していくプロセスがよく描かれている。国家が人びと(自国民に限らない)を監視するほんとうの狙いは、テロとの闘いではなく、世界をコントロールすることだ。  スノーデンや著者に対して、アメリカ政府当局が攻撃してくるのは当然としても、同業であるジャーナリストたちのなかからも批判(というよりも誹謗中傷)の声があがるのには呆れた。ジャーナリストが政府の飼い犬になったんじゃ、存在意義がないよ。  とはいえ、「見張られている」と「見守られている」は一字しか違わない。監視されることに慣れ、萎縮することに慣れ、そのほうが安心だと思っちゃっている自分はいないか?
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週刊朝日 6/11
オシムの言葉 増補改訂版
オシムの言葉 増補改訂版
サッカーに限らず、スポーツの世界では「~たら」や「~れば」は禁句である。厳しい結果を直視せずに仮想に逃げていては、そこから何も学ばず、改善点も見つけられないまま次に向かってしまうからだ。  そんなことは重々わかっているのだが、日本代表チームの試合を観ていると、ふと、もしもオシムが監督だったらと考えてしまう。  日本が2006年のW杯ドイツ大会で1次リーグ敗退した後に代表監督に就任したオシムは、日本人ならではのサッカーを標榜。リスクを冒しても攻める必要性を説き、それまでの代表チームには見られなかった攻撃型のサッカーをめざした。オシムはその変化を、「日本化」と表現した。  サッカーの日本化。  当時、私はこの表現に魅了され、『オシムの言葉』なる本を読んだ。旧ユーゴスラビア代表チームを率いて1990年のW杯イタリア大会でベスト8入りしたことや、Jリーグのジェフユナイテッド市原・千葉を強豪に育てた実績はすでに知っていた。しかし、彼がボスニア紛争時に祖国に残った妻と娘と別れて暮らした経験などは、この本で初めて知った。何より祖国が解体していく状況下でサッカーと向きあった人物であるとわかり、私はその発言にさらに惹かれていった。考えなければ死んでしまう状況を生き抜いてきた人物の言葉は、どれも厳格に的を射ていた。 <君たちはプロだ。休むのは引退してからで十分だ>  家計を助けるため、数学者への道を絶ってプロのサッカー選手となり、選手としても監督としても結果を出したオシム。この増補改訂版には、病に倒れて代表監督を辞任してからの言動が追加されている。中でも、病後の身で、分裂したボスニア・ヘルツェゴビナ・サッカー協会を統合していく彼の言葉には、あらためて唸った。  そのボスニア・ヘルツェゴビナも今大会に出場する。同国と日本が対戦したら、いったいオシムはどんな言葉を放つだろうか。
ベストセラー解読
週刊朝日 6/5
論文捏造
論文捏造
村松秀の『論文捏造』は2006年、つまり8年も前に出た本である。それが最近、急に売れているのは、小保方さんのSTAP論文騒動があったからだ。 『論文捏造』はNHKで放映されたドキュメント「史上空前の論文捏造」の書籍版である。2002年、アメリカのベル研究所で発覚した事件について取材したものだ。著者は同番組のディレクター。  読んでびっくり! ほとんど同じなのである。12年前にベル研で起きたことと、STAP論文騒動とが。固有名詞を置き換えればそのまま有効かと思うくらい。  ベル研で起きたのは、超伝導に関する論文の捏造だった。ドイツ出身の物理学者、ヘンドリック・シェーンがそれまでの常識をひっくり返す、画期的な実験に成功した。そのときシェーンは29歳。あっというまにシェーンは学界のスターとなり、ノーベル賞も間違いないと噂された。  ところが他の研究者が追試をやってもうまくいかない。学者たちは、シェーンには特別なコツがあるのだろうか、などと考える。捏造など疑いもしないのだ。  やがて疑念を持つ学者もあらわれる。問い合わせに対してシェーンは、実験はドイツの母校でやったとか、実験の試料(サンプル)は忘れてきたとか、捨てたとか、のらりくらり。疑惑がだんだん深まっていく。そのうち、複数の論文に使われたグラフが、同じものの使い回しだったと発覚する。そこからシェーンの実験はまったくの捏造だったとわかる。不正発覚まで足掛け3年もかかった。  なぜ世界中の物理学者たちが騙されてしまったのか。理由の一つは、シェーンがベル研という名門研究所に所属していたからだ。トランジスタやレーザーを発明し、多くのノーベル賞受賞者が輩出した研究所である。論文を指導したのもバトログという大物物理学者だった。科学雑誌の最高峰「サイエンス」も「ネイチャー」も、ころりと騙されたのだ。
STAP細胞ベストセラー解読
週刊朝日 5/29
遁走状態
遁走状態
日本ではこれが初めての翻訳本となるブライアン・エヴンソンの短篇集、『遁走状態』。ここに収まった19篇の物語は設定も長さもばらばらだが、一貫しているのは、それぞれの主人公たちがとんでもない状況に追いこまれる点だ。  たとえば、ある日の両親の行動に関して異なる記憶を抱える姉妹のやりとり。見えない箱に眠りを奪われてしまう女。自分で制御できない言葉を発するようになった大学教授の苦悩と選択。ひょんな流れで偽の教祖となってしまった男。そして、目から出血して死んでいく男たちに囚われる「私」の迷宮を描いた表題作。  これらのどこかユーモアが漂う異常な作品群を、私は日々1篇ずつ読んだ。中にはタイトル込みで4ページしかない超短篇もあったが、正直に書けば、不可解に見える作品世界を妙に生々しく感じ、早々とは先に進めなかったのだ。主人公たちが放りこまれた奇天烈な場面をかつて垣間見たことがあったような、なかったような。彼らと同じ不安に苛まれ、いつもの自分らしからぬ言動をとった過去があったような、なかったような……どちらにせよ、日に2篇はちょっと重すぎた。  読んでいる最中、私はバランスについて何度も考えた。他人に囲まれた社会で生きていくために、自己と他者、過去と現在、現実と妄想などいくつもの二項を区分けし、社会通念に従うべくあれこれ学習して身につけてきたバランス。無意識のレベルでバランスがとれる者を大人というのかもしれないが、エヴンソンはその調和の崩壊場面を執拗に、多様なアプローチで読者に見せつける。主人公たちが経験する残酷さは、だから、私の中に押し隠しているバランスに対する不安と通底し、じわじわと恐怖へ化けていく。  良質の文学は、やっぱり怖くて面白い。自分が抱える「生の不安定さ」をこうして晒された今、私は他では味わったことのない開放感にひたっている。
ベストセラー解読
週刊朝日 5/22
資本主義の終焉と歴史の危機
資本主義の終焉と歴史の危機
もうすぐ資本主義が終わるそうだ。そう聞いても驚かないのは、ぼくたち自身うすうすそう感じているからだろう。なんだか終わりそう、いやすでにもう終わっているかも。アベノミクスで景気回復などといわれても、まるで実感がないように。  水野和夫『資本主義の終焉と歴史の危機』の主張はとてもシンプルだ。資本主義は終わる、なぜならもうフロンティアが残っていないから。  資本主義はフロンティア(周辺)を開拓することで資本(中心)を増殖させてきた。その結果、南米もアジアもアフリカも開拓されつくして、もはや地球上にフロンティアは残されていない。  空間的なフロンティアを失った資本主義は、ITを駆使した金融取引により時間的なフロンティアを開拓しようとした。しかし時間を切り刻んで1億分の1秒を競う話になると、これも限界。  その証拠に、先進国では金利ゼロ状態が続いている。金利ゼロということは、投資しても儲からないというのと同じ。資本増殖のサイクルが止まってしまったのだ。  歴史の大転換がやってきた、と水野はいう。かつて歴史家のブローデルが「長い一六世紀」と呼んだ、1450年から1640年の転換期と同じように。中世封建システムから近代資本主義システムに替わったように、近代資本主義システムがつぎのシステムに替わろうとしている。  いまさらアベノミクスだのリフレだのとじたばたしても意味はない、と水野はいう。終わりつつあるものをほんの少し延命させたところで事態が変わるわけではないのだから。  じゃあ、未来は絶望的なのか。そんなことはないだろう。中世から近代になったように、新しい時代が来るだけだ。資本主義が終わっても、人類が滅亡するわけじゃない。変化はゆっくり進む。何が何でも経済成長しなきゃ、という強迫観念を捨てれば、意外と居心地はいいかも。
ベストセラー解読
週刊朝日 5/14
嫌われる勇気
嫌われる勇気
フロイトやユングとともに「心理学の三大巨頭」と称されるものの、アルフレッド・アドラーの日本での知名度は低い。  しかし、『人を動かす』のD・カーネギーら自己啓発の大家に影響を与えた人物となれば、その思想の一端は間接的に多くの日本人、特にビジネスマンにひろがっているのかもしれない。この『嫌われる勇気』の副題に<自己啓発の源流「アドラー」の教え>とあるのも、そのあたりを意識してのことだろう。  内容は、どうすれば人は幸せに生きることができるのかと悩む「青年」と「哲人」の対話によって進み、アドラーが提唱した個人心理学の核心へと近づいていく。誰もが抱える不安や不満に裏打ちされた疑問を投げかける青年。それらの問いをしっかり受けとめ、個人心理学のポイントを丁寧に伝える哲人。  この二人のやりとりが功を奏しているのは、決してソクラテスとプラトンの対話篇を模したからではなく、青年が安易に哲人の話を鵜呑みにしない点にある。家庭、進学、就職、職場で生じる悩みと向きあってきた青年は、時に、彼なりの体験と仮説をもって哲人を罵倒したりする。哲人もそうなるのは仕方のないことと承知している。実際、ほぼ100年前にアドラーが自身の学説を公表したときも、多くの批判があったらしい。  トラウマを認めず、すべての悩みは「対人関係の悩み」と断言し、承認欲求を否定し、対人関係のゴールとして「共同体感覚」なる謎の鍵概念を持ちだすのだから、確かにハイわかりましたとはならないだろう。いわば読者の代表である青年が渋々認めていくことで、アドラーの教えが説得力を増すよう工夫されているのだ。 『アドラー心理学入門』を書いた岸見一郎とその本を読んで人生が一変したという古賀史健によって編まれた一冊は、二人が重ねた対話を基底に見事な構成となっている。対人関係に悩む若者にぜひ読んでほしい良書である。
ベストセラー解読
週刊朝日 5/1
記者たちは海に向かった
記者たちは海に向かった
「3.11を忘れない」というけれども、わざわざ「忘れない」と叫ぶこと自体が、もう忘れていることを示しているのではないか。  先日、東北在住の作家にインタビューした際にいわれた言葉だ。彼の家は半壊したままだ。  たとえば原発にしても、政府は再稼働に前のめりだ。東京電力福島第一原発の事故収束すらままならないというのに。被災地以外の人は3.11を忘れている、といわれても返す言葉がない。  門田隆将の『記者たちは海に向かった』の発行日は3月11日。帯には「時を経たからこそ語られる、地元記者たちの感動の実話」とある。そう、3年たったからこそ、振り返るべきであり、考えるべきこともあるのだ。  本書は「福島民友新聞」という地元紙の記者たちが、どのように地震に遭い、津波に遭い、放射能汚染に遭ったかを、詳細に取材したドキュメントである。  地元紙をつくる人びとに視点を置いたことで、震災の全体が見える。なぜなら彼らは被災者であると同時に取材者であり報道者であるからだ。地震・津波・放射能から避難しつつ、同時に新聞の発行を続けようとする。実際、電源が止まり、電話もつながらないなか、同紙の「紙齢」=創刊以来の連続発行番号は途切れなかった。  津波で1人の記者が死んだ。24歳の若い記者だった。地震直後に海岸を取材していて逃げ遅れた。被害状況を確認しに来た役場職員を残して逃げることができなかったのだろうと推定される。  震災は生きのびた者の心にも深い傷を残す。ある記者は津波から逃げる際、老人とその孫の姿を目撃した。津波の写真を撮らなければと思った彼は、視線をカメラに移した。結局、老人たちを救助するタイミングを逸してしまった。記者はそれを悔やみ、自分を責め続けて慟哭する。  あの時に何が起きたのか、そして何が今も続いているのか、ぼくたちは考え続けなければならない。
ベストセラー解読
週刊朝日 4/24
アンのゆりかご 村岡花子の生涯
アンのゆりかご 村岡花子の生涯
3月末日からはじまった新しいNHK連続テレビ小説「花子とアン」は、この『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』を原案としている。作者は村岡の孫娘、恵理である。  明治26年に山梨県甲府市の貧しい葉茶屋に生まれた村岡がいかなる人生を歩んだか、恵理は祖母の足跡を丹念にたどり、客観性を見失わずに書いている。たとえば遺品を預かる立場を活かし、友人や夫らと交わした手紙も多用して村岡の人柄を紹介。そこには美点も欠点もあり、それ故に村岡の人物像が色濃く浮きあがってくる。  村岡の人生に決定的な影響を与えたのは、10歳のときに編入学した、カナダ系メソジスト派の東洋英和女学校で過ごした日々だった。高等科を卒業するまでの10年間を同校の寄宿舎で暮らし、キリスト教はもとより、英語、文学、そして困窮者救済や女性差別撤廃への問題意識を身につけた。  卒業後は教師、翻訳家、作家、編集者、社会運動家、ラジオの子ども向けニュース解説者といくつもの仕事をこなす一方で結婚して出産し、関東大震災によって倒産した夫の会社の負債を抱え、疫痢で長男を亡くしてしまう。それでも働きつづけ、市川房枝ら同時代を生きる女性たちとの関わりも深めつつ迎えた昭和14年、国際紛争による影響でカナダにもどる宣教師のミス・ショーから『アン・オブ・グリン・ゲイブルス』を贈られ、翻訳を開始。日本が太平洋戦争に突入すると人目を憚りながら訳し、空襲にあえば、原書と原稿を抱えて防空壕へ逃げこんだ。 『アン・オブ・グリン・ゲイブルス』が『赤毛のアン』として世に出たのは、昭和27年だった。同作にある「いま曲り角にきたのよ。曲り角をまがったさきになにがあるのかは、わからないの。でも、きっといちばんよいものにちがいないと思うの」を実践するような村岡の生涯は、波乱の時代を生きた人々の痛みと逞しさを鮮やかに見せつけ、たしかに、ドラマ化したいと思わせる。
ベストセラー解読
週刊朝日 4/17
片づけの解剖図鑑
片づけの解剖図鑑
ベストセラーの定番はダイエットと英会話入門、そして整理術だ。共通しているのは楽で簡単で即効性があること。しかし、繰り返しこの種の本が出てくるのは、いずれも長続きしないからだ。  付け焼き刃的な小手先のテクニックではだめだ。昔、「くさいニオイはモトから絶たなきゃダメ!」となにかのCMでいっていたけど、なにごとも同じだ。 『片づけの解剖図鑑』は整理整頓のハウツー本ではない。整理しやすい家をつくるにはどうすればいいのかという本。分類するなら建築書である。しかも、考え方について素人にも易しく図解している。これから家を建てよう、リフォームしようという人は必読だ。著者の鈴木信弘は横浜市に事務所をかまえる建築家で、これまで100件以上の住宅を設計した。  家づくりは収納を考えて、とはよくいわれることだ。でもたいていの人は舞い上がっているから、目立つところを優先してしまう。たとえば本書に、掃き出し窓を大きく取ったリビングの例が出てくる。素人は壁よりも窓を優先したくなる。明るいし、庭も眺められるし、と。ところがリビングには大型テレビだのソファだのチェストだのと、置くものがいっぱいある。片づけやすさを考えると、壁面が多い部屋の方がいいのだ。  キッチンもそう。ひところ流行った対面型(アイランド型)は鍋釜包丁類の収納場所に困る。食洗機も場所を取るし。そこで著者が提案するのは壁面も使ったL型などの準対面型。工夫次第でなんとかなるし、このアイデアを出すのが建築家の仕事だ。  ところで、ぼくの家はよく片づいている。ただしぼくの書斎以外は。書斎は本棚から本があふれて悲惨なことになっている。増殖のスピードに整理がついていかないのだ。心地よい住まいのためには「片づけやすい仕掛け」も必要だけど、片づけるための時間も必要だ。著者には次に片づけの時間管理術の本を書いてほしい。
ベストセラー解読住宅
週刊朝日 4/9
「一体感」が会社を潰す
「一体感」が会社を潰す
日本の企業の美点を語るとき、一体感はその一つとして必ず取りあげられてきた。実際、今でも多くの企業が社員の一体感を重視して組織を運営しているが、そこに『「一体感」が会社を潰す』と訴える本が出た。  著者の秋山進は経営・組織コンサルタントとして25年間、規模も業種も異なる30社以上の日本の企業で働き、「組織は本当にコドモだ」と実感したらしい。秋山がそう感じた事例は、まず<個人がコドモ?><組織文化がコドモ?><マネジメントがコドモ?>に三分類され、それぞれに5パターンずつ列挙されている。  少々くどく感じるほどの現場の事例を読むと、バブル崩壊までは通用した、一体感に裏打ちされた一致団結型の企業の問題点がよくわかる。当事者意識が低く他者批判に長け、そのくせ忠誠の証しをたてるように上司に従い、失敗から学ばずにまた同じ失敗をする人と組織……秋山が「コドモ」と呼ぶそれらの現実は、では、どうすれば改善されるのか。  そこはやはり「組織は人なり」の箴言に倣い、組織を構成する一人ひとりが「大人」になるしかないようだ。経済的に自立できる一流の技術をもち、外部からの支配や制御を受けずに自律して仕事ができる人。大人の定義を「自立と自律」に求める秋山の主張に私は賛同するが、そういう人物はほぼ間違いなく、企業では変人とみなされるだろう。若い頃から大人だった秋山自身もその点に言及し、企業における変人の身の処し方までアドバイスしている。  しかし私がもっとも感心したのは、秋山が現在、代表取締役をつとめる組織の内実だった。隣接した専門分野をもつ優秀な技術者9人が、仕事の内容によって「自律した生態系」のようにチームを組んでリーダーを立てるという運営は、貴重な変人が活躍する方法論として実に興味深い。企業でくすぶる大人たちのためにも、次はぜひ、この組織の実状について書いてほしい。
ベストセラー解読
週刊朝日 4/2
この話題を考える
大谷翔平 その先へ

大谷翔平 その先へ

米プロスポーツ史上最高額での契約でロサンゼルス・ドジャースへ入団。米野球界初となるホームラン50本、50盗塁の「50-50」達成。そしてワールドシリーズ優勝。今季まさに頂点を極めた大谷翔平が次に見据えるものは――。AERAとAERAdot.はAERA増刊「大谷翔平2024完全版 ワールドシリーズ頂点への道」[特別報道記録集](11月7日発売)やAERA 2024年11月18日号(11月11日発売)で大谷翔平を特集しています。

大谷翔平2024
アメリカ大統領選挙2024

アメリカ大統領選挙2024

共和党のトランプ前大統領(78)と民主党のハリス副大統領(60)が激突した米大統領選。現地時間11月5日に投開票が行われ、トランプ氏が勝利宣言した。2024年夏の「確トラ」ムードからハリス氏の登場など、これまでの大統領選の動きを振り返り、今後アメリカはどこへゆくのか、日本、世界はどうなっていくのかを特集します。

米大統領選2024
本にひたる

本にひたる

暑かった夏が過ぎ、ようやく涼しくなってきました。木々が色づき深まる秋。本を手にしたくなる季節の到来です。AERA11月11日号は、読書好きの著名人がおすすめする「この秋読みたい本」を一挙に紹介するほか、ノーベル文学賞を受賞した韓国のハン・ガンさんら「海を渡る女性作家たち」を追った記事、本のタイトルをめぐる物語まで“読書の秋#にぴったりな企画が盛りだくさんな1冊です。

自分を創る本
USJのジェットコースターはなぜ後ろ向きに走ったのか?
USJのジェットコースターはなぜ後ろ向きに走ったのか?
ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)の年間入場者数が、1000万人突破確実となった。USJは2001年の開業初年度こそ1100万人を達成したが、その後は低迷、10年度には750万人にまで落ち込んだ。ところが12年度から盛り返す。この奇跡のV字回復を成功させたのが同社CMO(チーフ・マーケティング・オフィサー)の森岡毅。『USJのジェットコースターはなぜ後ろ向きに走ったのか?』は、彼が成功秘話と思考法について明かした本だ。  もともと森岡は化粧品のマーケティングが専門だった。テーマパークはまったくの異業種だ。ところが森岡が着任した10年からの3年間でUSJは甦った。何があったのか。もともとテーマパークが大好きで、世界中のめぼしい施設は体験済みであることや、ゲームも大好きで家庭用ゲーム機を各種揃えているという趣味嗜好も幸いしただろう。だが、いちばん大きいのは彼の戦略の立て方、そして思考方法である。  物語としては表題のエピソードなどが面白いが、重要なのは第6章「アイデアの神様を呼ぶ方法」である。著者が「イノベーション・フレームワーク」と呼ぶ発想法は「フレームワーク」「リアプライ」など四つからなる。  応用できそうなのは「数学的フレームワーク」だ。問題の原因や可能性を発見するときの論理的思考法で、「足して100になる仮説を立てて検証する」という。集客が下がったとき、「子連れ家族の客が減ったのか、女性客が減ったのか」と考えるのはだめ。「女性客が減ったのか、男性客が減ったのか」「子連れ家族の客が減ったのか、それ以外の客が減ったのか」というふうに、条件を足すと100パーセントになるように仮説を立てる。経験や勘も大事だけど、論理的に思考できなきゃダメだよね、というお話だ。  USJでは、もうすぐ「ハリー・ポッター」のアトラクションが始まる。
ベストセラー解読
dot. 3/26
なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか
なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか
私が暮らす地区の氏神は、慶應大学三田校舎の東門脇にある春日神社だ。その神社の総本社が藤原氏の氏神、奈良の春日大社と知りつつ、私は毎年、初詣に出かける。おそらくは藤原氏の末裔が勧請したのだろう、このような分祀がくり返された結果、春日神社は全国に1000社以上あるらしい。  神社本庁の「全国神社祭祀祭礼総合調査」によれば、全体で7万9355社ある神社のうち、八幡信仰にかかわるものがもっとも多い。その数、7817社。春日信仰の7倍強だ。ちなみに、2位は伊勢信仰の4425社。これらの数字を比較するだけでも、八幡信仰の圧倒的な広がりがわかる。  しかし、『古事記』にも『日本書紀』にも登場しない、日本神話とは無縁の八幡神がどうしてこれほどまで信仰を集めてきたのか? 島田裕巳はタイトルどおりの疑問を解明しつつ、天神、稲荷、伊勢、出雲、熊野などの系統についても解説し、宗教としての神道の特異性も明らかにしていく。 <開祖もいなければ、教典も教義もない。当初は、神社の社殿さえ存在せず、神主という専門的な宗教家もいなかった>  いわば、あれもこれも「ない宗教」が故にわかりにくく、初詣や七五三やお祓いなどで身近なはずなのに理解しにくい神道。その上、仏教が伝来してから明治になって禁止されるまでつづいた神仏習合の影響もあり、同じ神でも名称が変化してきた歴史もある。たとえば八幡神は弥勒菩薩と合体して、長らく八幡大菩薩と称されていた。  そしてさらに混乱するのは、八幡神がもともと新羅の神であった可能性が高いという点だ。渡来神ながら宇佐神宮に祀られ、弥勒ばかりか応神天皇とも習合して皇祖神にもなり、武神として武家が崇め、庶民にも広く信仰されてきた不思議。八幡神だけでなく、私たちの身近な神々は謎だらけだ。  灯台もと暗し。この本は日本の神々の足もとを照らす良きライトとなっている。
ベストセラー解読
週刊朝日 3/19
アトミック・ボックス
アトミック・ボックス
サラリーマンを辞めて漁師になった父が、臨終にあたって娘に託したのは国家機密だった……。  池澤夏樹の『アトミック・ボックス』は、機密ファイルを持った娘が公安警察に追われながら、父の秘密と謎を解いていくという冒険小説である。  スピード感あふれる展開が気持ちいい。読んでいるうちにヒロインの美汐とともに自分も駆けたり泳いだりしている気分になる。  追われる者と追う者という古典的な枠組みのなかで、扱われていることは今日的かつ壮大だ。  美汐の父は大学で数学を専攻し、コンピューターの専門家になった。メーカーで設計の仕事をしていたが、上司からの命令である極秘プロジェクトに参加する。それは国産の原爆をつくるシミュレーションだった。ところがプロジェクトは突然中止、チームも解散する。前後して父は自分が胎内にいるとき広島の原爆で被爆していることを知る。被爆者である自分が新たな原爆をつくろうとしていたという事実にショックを受けた父は、故郷に戻って漁師になっていた。やがて福島で原発事故が起き、父は癌になった。そして、原爆開発計画の証拠ファイルを、娘に託す決意をする。  登場人物たちの口を通じて語られる、核に関する情報や見解が、「考えろ」とぼくたち読者の背中を押す。 「ずっと運転しつづける発電所に比べたら、出番を待って眠ったままの爆弾の方が作る方が気が楽さ」と極秘計画のスタッフがいう。核の連鎖反応をずっと続ける原発の方がコントロールが難しいのだ。  アメリカのスリーマイル島原発事故が一九七九年、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故が86年、そして東電福島第一原発事故が3年前。大きな事故だけでも、すでにこんなに起きている。「安全が確認されたものから再稼働」という言葉がいかに無意味であるか、ちょっと考えただけでもわかる。それなのに……。
ベストセラー解読
dot. 3/12
人に強くなる極意
人に強くなる極意
新聞を開くと、年に何度も佐藤優の新刊広告を目にする。私が定期購読している多くの雑誌でも佐藤は連載していて、同じ1960年生まれとしては、その尋常ならざる仕事量に畏怖の念すら抱いている。  そんな人気作家の佐藤が、青春出版社から『人に強くなる極意』を出した。タイトルと出版社名を見たとき、私はすぐに対人関係に悩む若者向けのハウツー本だと思った。そう思って巻頭を読むと、<本書には、近未来、日本が大きな変化に巻き込まれることを想定したうえで、われわれ一人ひとりが生き残るにはどうすればよいかというノウハウを記している>とあった。青春新書の一冊とあって早合点してしまったが、佐藤は、「グローバリゼーションの本格化」と「国家機能の強化」という大きな時代状況に対応せざるを得ない日本人の人間力向上を願い、いつもよりわかりやすくこの本を書いた。  内容は、「怒らない」「びびらない」「飾らない」「侮らない」「断らない」「お金に振り回されない」「あきらめない」「先送りしない」という八つのテーマ順に構成されている。その上で<真理は具体的であると考える>佐藤らしく、自身の体験を中心に「極意」を紹介。面白いのはテーマに反する必要性についてもそれぞれ言及している点で、「びびらない」では、自分の力よりも圧倒的に大きな、たとえば国家に対してはびびるべきだと説く。外務省の主任分析官として対ロシア外交で活躍し、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕されてからは国策捜査に異を唱えて512日間も拘置所生活を送った佐藤。国家権力の怖さを熟知しているだけに大いにびびり、つけこまれないよう領収書の管理や交通規則の遵守などは徹底しているらしい。  このように自身の日常までも披瀝した内容について、<標準的な努力ができる人なら確実に実行できる>と佐藤は断言している。標準的な努力……真理の活用はやはり読者次第だ。
ベストセラー解読
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首折り男のための協奏曲
首折り男のための協奏曲
今年のぼくの読書テーマは『平家物語』で、元旦からずっと読んでいる。『平家物語』には二つの大きな要素がある。一つはよく知られた諸行無常だ。しかしそれと矛盾するようだが、因果応報という要素もある。平家が滅びるには、それだけの原因があったのだ。  諸行無常だけだと、読者や聴衆は不安で楽しめない。因果応報ですっきりする。もしかして、エンターテインメントというのは、すべて諸行無常と因果応報のブレンドではないか……。  ってなことを伊坂幸太郎の新作『首折り男のための協奏曲』を読みながら考えた。もしも伊坂の作品を読んだことがない人がいるなら、本書は最適の伊坂入門となるだろう。  本書は七つの作品からなる短編集である。発表時期も、発表媒体も、作品の長さもそれぞれ異なる。もともと連作となることを意図して書かれたものでもない。しかし、一冊にまとめるために手を加えられ、並べられると、短編集というよりも変わった趣向の長編のように見えてくる。  冒頭の、そして七つのなかで最も早く発表された作品である「首折り男の周辺」には、伊坂的要素がたっぷり詰まっている。連続殺人犯であるらしい首折り男と、彼に瓜二つの気弱な男。クラスでいじめに遭い、不良たちに金銭を要求される少年。重い題材なのに、文体は軽やかで、ときどきユーモラスで、だからこそ読者はいじめられる少年に感情移入してしまう。悲劇と喜劇が同居すると喜劇になってしまい、そして読者の期待通り(でも読者の予想とは少し違う)ハッピーエンドとなる。  最後に収められた「合コンの話」は、若い男性会社員が合コンに行くだけの、これ以上はないぐらいくだらない題材を、徐々に肉付けして短編に仕上げていく小説である。ほんとうに伊坂幸太郎がこんなふうにして小説を書いているとは思わないけれども、まるでマジックでも見ている気分だ。
ベストセラー解読
dot. 2/26
赤ヘル1975
赤ヘル1975
1975年5月、広島市内のある中学校にマナブという転校生がやってくる。一攫千金をねらっては失敗をくりかえす父親とともに引っ越しを重ねてきたマナブは、「よそモン」として新しい土地で無難に生きるため、いつしか「観察の達人」と化していた。そんなマナブの目に映る広島は、他の街とは明らかに何かが違った。そこには、原爆被害の陰と広島カープへの熱狂がいつもからみあうようにあった。  マナブは、すぐに仲良くなったヤスとユキオやクラスメート、そして近所に暮らす人々を通して、戦争が、原爆が及ぼした激烈で哀しい実態を知り、「よそモン」の域を超えて広島を学んでいく。ヤスをはじめ、自分の同級生が原爆の後遺症で家族を失っている現実……敗戦から30年、1975年はまだそういう時代だった。  その一方で、1975年はカープが初優勝した年でもあった。それまで濃紺だった帽子を赤に変えたカープは赤ヘル軍団と呼ばれ、球団創立26年目にして、ついにセ・リーグを制した。前年も含め最下位の常連だった弱小貧乏チームの優勝は奇跡とさえいわれたが、広島の人々は、時に暴動をおこすほどチームを愛し続けていた。 <「『明日こそ』いうんは今日負けたモンにしか言えん台詞じゃけえ、カープは、セ・リーグのどこのチームよりもたくさん『明日こそ』をファンに言うてもろうとるんよ……」>  ユキオが語ったとおり、カープとファンは一体化していた。カープが優勝に迫っていく日々は、だから、ファンにとっても奇跡に近づく体験だった。マナブはその数カ月間を目撃し、優勝パレードの日、「よそモン」から少し脱した広島を去っていった。  なかなか来ない明日がついに広島に訪れるまでの二度とない時間、1975年。そこで変化していく少年少女の姿を、重松清は小説の力を駆使して描き上げた。繊細な叙述と広島弁がからみあって生まれた、うなるほどの傑作。
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