●自治と自律の空間がどれだけあるかが重要

 たいていの番組は2、3日とか、2、3週間とか、せいぜい2、3年のスパンで片がつく話題をやってますよね。毎日24時間、1年365日、休まずに放送しているんだから、制作者が近目になるのはしょうがない。私もときどきテレビの仕事をやりますが、風呂でいうとシャワーでしょ、テレビは。長風呂じゃないし、まして温泉にゆったりつかる、という雰囲気じゃないもんね。

 だけど、BPOは20年、30年、ひょっとしたら200年、300年先のことを考えなくちゃいけない。みんなが風呂に入ろうと裸になって震えているのに、これからどこに温泉を掘ろうかみたいな話をしてて、見方によっちゃ、顰蹙ものでしょ、これ。でも、掘り当てたとき、この国と世界がなるたけ壊れないで、みんながそこそこ幸せに暮らせているかどうか、そこを片目で見据えながら、いまの番組ひとつひとつを見る。

 結局、これって、民主主義の問題なの。

 前から言ってることですが、その基本は主権在民と立憲主義と三権分立。だけど、立法・行政・司法がむきだしでわれわれに「ああせい」「こうせい」と指示しているうちは、世の中も幼稚な段階で、成熟すればするほどわれわれは三権なんかに関わり合わないで、自由に動く。だから仕事に創意工夫するし、趣味やボランティアに精出したり、放送や活字やネットでいろんな表現もする。要は自治なんですよ。自治と自律の空間がどれだけあるかが、民主主義の成熟度のバロメータでしょ。

 この肝がわかっていないと、先日のNHK総合「クローズアップ現代」問題のときのようなことが起きる。総務大臣が法律の条文を盾に行政指導し、権限もない自民党の一委員会が局幹部を呼んで事情聴取するなんて、幼稚でしょ。放送法は放送インフラや技術進展のたびに何十回も改定をかさねてきたせいで、主語や述語や目的語がばらばらでわかりにくいけど、何より彼らは民主主義がわかってない。

 BPOも放送界の自治と自律の一環だからね。法律の裏づけがないなんて言う向きもあるけど、だからいいんですよ。法律に根拠づけられたら、それこそ権力のむきだしの行使になってしまって、世の中は後退する。

 だいたいね、日本の放送行政は相変わらず政府が放送局を監理監督することになっている。放送法をめくってみればわかるけど、届け出だ、許認可だって、「総務省令」「総務大臣」のオンパレードだよ。権力を監視する放送が、権力にコントロールされている。こんなの先進国では日本だけ、中国やロシアや北朝鮮並みじゃないですか。この事実すら知らない現場スタッフって、けっこういるんだよね。「BPOがうっとうしい」なんて言ってる暇があったら、こっちを問題にすべきでしょ。

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