ある日曜日の朝、テレビをつけて新聞を読んでいると、すでに知っている文章が聞こえてきた。
 モニターにはおばさんの絵があった。短髪、フレームの薄い眼鏡、上唇の右上に黒子……。落ちついた女性の語りに耳をかたむけながら見つめ、私はほどなく、それが佐野洋子のエッセイを題材にした番組なのだと理解した。紙芝居のように展開するのどかな絵は、佐野の文意を的確に表していた。
 番組タイトルは「ヨーコさんの“言葉”」だった。毎週日曜に5分間だけEテレで放送されているこの番組が、同名のまま本になった。佐野の文と北村裕花の絵が絶妙に連なって行間の深みがより濃くなり、大人が愉しめる絵本となっている。
 佐野は『100万回生きたねこ』で有名な絵本作家だが、エッセイストとしても多くの読者に支持されてきた。私もそのひとりで、佐野が亡くなってからも何度もエッセイ集を読みなおしては、笑い、うなずき、感じ入ってきた。だから、初めて見た番組であっても、語りを聞いただけで佐野の作品だとわかった。
〈私、わかりません。わかりませんけど、私「正義」というものが大嫌いです。それが、右でも左でも上でも下でも斜めでも嫌いです〉
 これは、『ふつうがえらい』に収録されている「ハハハ、勝手じゃん」の冒頭部分。戦中戦後に子ども時代をすごした佐野ならではの「正義」への懐疑は、政治的な「主義」だけでなく、子どもを保育園に通わせているときに経験した母親たちの同調圧力にも向けられる。そして、自分もふくめた一般大衆が一番恐ろしいと語り、戦時下にもド派手なスタイルを変えなかった淡谷のり子を讃えてこう結ぶ。
〈何主義でも、私は私だよと言えればいいんです〉
 思えば、人としてまっとうな感覚の在りようを確認したいとき、私は佐野のエッセイを読んできた。いろいろ騒々しい昨今、佐野の言葉の魅力はさらに増している。

週刊朝日 2015年9月11日号