いわゆる文豪と言われる人の、食に関してのうんちくを拾い出している。鴎外、漱石、楠、子規と始まって、三島由紀夫と向田邦子と開高健でシメる、という構成。各作家について、「こんな生まれでこんな育ちでこんな作家になった」という簡単な紹介から、その作家が食べ物に触れた文章の断片を取り出して、そこからその作家の人間性を浮き出させる。
 そういう本ですが、はじめて読むのにぜんぜんはじめて感がない。文学者を食の面から語る本て、これまでに何冊も出てる。しかし「こういうの、前も読んだことある」と思っても、次に出たらまた買ってしまうのである、作家の食べ物本。なぜだろうと考えてみて、こういう作家の食本に出てくる食べ物が、どれもうまそうだからだ。
 昔の文士が食べてるものは、当時としては高そうなものばっかだ。洋食、油っこいもの、味の濃いもの、甘い物。あとは酒と肴。志賀直哉はキャビア、ブルーチーズ、フォアグラ好きで、家族は「皆がコーンフレークを食べていた」そうだ。「洋食なら幾ら続いてもいい」とし、「豆腐なんか全然興味が無い」と発言している。白樺派というものに対して考えを改めなければと思ってしまう。
 文士やその家族たちによる食べ物の描写がうまい。さらっと書いただけでその旨さがしみこんでくるような文章。鴎外の好物の「饅頭のお茶漬け」や、徹夜の際の常食だった熊楠の「あんパン」、スイーツ男子だった芥川龍之介の「最中」。向田邦子は「手の切れそうなとがった角がなくては、水羊羹といえないのです」と書いている。読んだこちらも食べたいという気持ちが高じる。
 というわけで、この本もそうですが、文士モノの食い物本は、文学ではなくグルメ本として読むべきものであり、どう見ても今のグルメ本より食べ物の描写がうまいし、何回読んでも飽きない。今後もこういう本はまだまだ出るだろうし、また私も買うだろう。美味しそうだから。

週刊朝日 2015年1月30日号