喫茶店は「茶を喫する店」、なのにそれは茶の店を意味しない。コーヒーの店だ。経済ジャーナリストによる本書によると、江戸時代、長崎出島で数少ない日本人がコーヒーを飲んだことはあったようだが、「焦げくさくして味ふるに堪ず」とか言ったらしい。でもその後、黒船来襲とともに日本にコーヒーがどんどん広まる。
 日本で最初の喫茶店は明治21年、東京の上野に出来たそうだ。店の名は「可否茶館(かひさかん)」。店内にはトランプやクリケット、ビリヤードが置かれ、シャワー室まで備えられていた。昔の小説にも出てくる「カフェー・プランタン」とか「カフェー・パウリスタ」などの来歴も興味深い。パウリスタの一号店は大阪の箕面(みのお)にあった。もみじの天ぷらとか今でも道端で売っている箕面に一号店。その理由を聞きたかった(たいした理由じゃなかろうが)。パウリスタは銀座本店を筆頭に全国に店を広げたことがあり、「誰もが親しめる喫茶店の元祖」と呼ばれているという。
 当然のことながら、当時のコーヒーは「舶来の文化」でありオシャレなものであった。その後、戦争でほとんど飲めなくなり、戦後に喫茶店文化が花開き、その後ドトールやスターバックスが登場して新しい局面に、というようなことが書いてある。「なるほどねえ」と思いながら読む。だけど、これはナンシー関も書いていたけど、読んでも読んでも「どうしてそんなにコーヒー飲むことが日本人に広まったんだ」ということがわからないのである。
 女給が妍(けん)を競った時代の「カフェー」や名曲喫茶やジャズ喫茶やゴーゴー喫茶、さらにはノーパン喫茶やメイド喫茶のことまで書かれている。それを読んでいても「性的パワーでコーヒーに人を呼ぶ」のではなくて「コーヒーは基本、そこに性的なものをひきずりこんでさらに楽しむ」ように見えるのである。とにかく「コーヒーを飲む、飲ませること」の盤石さはすごい。日本はコメ文化じゃなくてコーヒー豆文化なのか。

週刊朝日 2014年12月19日号