口から出るのは悪態ばかりで、愛用の武器は357マグナム。ラッキーストライクを手放せないチェーンスモーカーでもある。まるでタフガイのカリカチュアのような男。ダニエル・フリードマンの長編小説『もう年はとれない』の主人公、バックである。元刑事が活躍するミステリーは珍しくないが、彼の年齢が87歳となると話は別だ。
 バックは第二次世界大戦の戦友から呼び出される。臨終に際して戦友が告白・懺悔したのは意外な事実だった。捕虜収容所でバックを痛めつけたナチスの将校が生きているかもしれないというのだ。自分は戦後、彼を見逃してやった、金の延べ棒と引き換えに、と。
 バックが元将校を探しはじめるのは、彼に対する復讐のためだけではない。元将校が見つかれば、彼が持っていたという大量の金塊の行方もわかるからだ。
 とはいえなにしろ87歳。目はかすみ、足腰は衰え、記憶力もかなり怪しくなっている。長距離の運転もままならない。そこで相棒となるのが孫のビリーだ。ITに強い法律家の卵である。
 ところが捜査を始めたとたん、バックの周辺が騒がしくなる。金の匂いに引き寄せられたのか。ついには殺人まで起きて、物語はどんどん血なまぐさくなっていく。追う側だったバックは、やがて追われる側となり……。
 典型的なミステリーの枠組みの中に、いろんな要素が詰まっている。たとえばアメリカのユダヤ人社会とナチ・ハンターのこと。ナチスによるユダヤ人虐殺は終わった話ではないのだ。
 高齢化社会に悩むのは日本だけでないこともわかる。老人だけで暮らせなくなったときはどうするか。訪問介護か、施設に入るか。バックがスマートフォンやインターネットについていけないことが滑稽に描かれるが、これも世の中の動きから置いていかれるほうからすると深刻だ。
 バックと同世代の読者の感想を聞きたい。

週刊朝日 2014年10月17日号