園芸エッセイの名著といえば、カレル・チャペック『園芸家12カ月』。いとうせいこう『ボタニカル・ライフ』もおもしろかったな。
 園芸家のエッセイの何がおもしろいかというと、それは四季があることだ。われわれが感じる四季などはしょせん雪が降ったとか、桜が咲いたとか、暑くてたまらんとか、その程度である。園芸家はちがう。園芸家は四季に対して能動的なのだ。
 山崎ナオコーラ『太陽がもったいない』は、26歳の若さでデビューし、今年デビュー10周年を迎える気鋭の作家の園芸エッセイである。
<今年も種蒔きの季節がやってきた。期待で指が震えてくる>と著者は書くのだ。マンションの11階に住み、食べられる植物のエリアを「ナオファーム」と、花のあるエリアを「ナオガーデン」と名づけ、ベランダのテーブルで朝食を食べ、種を蒔けば<芽が出るのを「まだか、まだか」と待>ちこがれ、でもたまらずに土を掘り返してみたりする。
 夏は緑のカーテンに挑戦し、秋はベランダに生えたきのこに驚き、そんなこんなの間に、彼女はしっかり結婚なんかもしちゃっている。
<多くの人がそうだと思うのだが、ベランダ菜園といえば、まずはバジルだ>といわれても「そうなんだ」としかいえず、<最初に買った植物は、ドラゴンフルーツだった>のが普通なのか変わっているのかもわからない。そんな人は読まんでいいとナオコーラさんはいうかもしれないが、まぁいいじゃないの。私がいちばん気に入ったのはここ。<「ゴミ」は、好きな言葉だ。私はよく、「あんなものはゴミだ」「自分はゴミだ」「全部ゴミだ」といった発言をする。わくわくするからだ>
 野菜クズというゴミからも芽が出るという話のフリである。<大事そうな言葉のあとにゴミと付けるだけで台無しにできる、あの感じがなんとも言えない>。若い作家の私生活と文学観もちょっぴりのぞき見できるお得な本。チャペックも草葉の陰で親指を立てているだろう。

週刊朝日 2014年8月1日号