「具足下着」「股が割れている下着」「割褌」「籌木」「戦地での用足し」
「具足下着」「股が割れている下着」「割褌」「籌木」「戦地での用足し」

 週刊朝日ムック「歴史道Vol.5」では、戦国合戦を大特集。合戦で最も過酷な生活をしいられたのは、「足軽」と呼ばれる下級兵士と、末端の戦闘補助員だった。ここでは、彼ら雑兵たちが長年の経験から編み出した戦地におけるサバイバル術の中から、排泄(トイレ)と療法に関して考察する。

【医者も病院もない…戦地の治療法】

※雑兵・足軽たちの陣中生活「持参品と食料のQ&A」


*  *  *

Q:排泄(トイレ)はどうしていた?
A:脱がずに用をたせる下着があった!

■食事と並んで大切な行為だった排泄

 物を食べた後は、必ず排泄を行なわなければならない。戦場では野糞や立ち小便で済ませていても、後方の陣中ではそうもいかない。日本人はもともと宗教的な浄不浄観念が強い国民だが、それは雑菌の繁殖が盛んな多湿温帯の気候に生活していたからだ。 

 一番手っとり早い排泄場所は水辺で、「三尺流れれば穢(けが)れは去る」などと言い、初めは汚物を平然と流していた。が、集団でこれを行なえば、飲料水にも支障をきたす。そこで「惣後架(そうごうか)」と呼ばれる共同式のトイレが生まれた。

 深く穴を掘り、板を掛けて足場とし、糞尿が溜まると埋めて新しい穴を掘った。陣が長びくと、僅かに設備を整える。掘っ立て柱に屋根を掛け、半身を隠す扉(半戸)が付いた厠(かわや)も作られた。
 
 排泄行為にはそれを拭う用具も欠かせない。木の葉や藁、籌木( ちゅうぎ/雪隠ベラ)と呼ばれる木片で糞をかき取るのが普通だった。籌木は使い易い長さの木片を自分で削り、洗って何度も用いる。共同の厠には箱に入れた籌木が幾つも置かれ、それらを適当に使ったりもする。他人の糞ベラを使うことに、人々は無頓着だった。

 戦地で暮らす足軽らは、最も人が無防備になる排泄時間を節約することにつとめた。すなわち「早グソ」である。

 具足の下に穿く袴にも工夫がこらされ、中央部が左右に大きく割れるタイプが一般的となった。下着(褌・下帯)も股下から胸の方まで伸ばし、先端を首筋で結ぶ。排泄の時は首の結び目を外し、股間の布をゆるめて隙間から脱糞する。終わると再び結び目を首筋に引きあげ、袴の切れ目を合わせる。
 
こうした袴や股引(ももひき)は冬場のものだ。盛夏ともなれば、足軽はほとんど何も身につけず褌一丁に具足をつけて平然としていた。熱さ避けばかりではなく、排泄の便を考慮しての裸体であったのだろう。

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