――何とも言葉がありません。大変な苦労の連続でしたね。

 いやいや、周りの人にすごく恵まれていました。だから仕事を続けることができた。

 17歳年下の彼は受けた教育も家庭環境も全然異なる人でしたが、ものすごくよく本を読み、勉強する人でした。母は結婚にずーっと反対していましたけど、私は2005年から一緒に住み、2006年に教会で結婚式を挙げました。

 私はクリスチャンなので、1度目も教会です。最初の離婚のとき、名字が変わることで論文の著者として嫌っていうほどの面倒な経験をしました。それもあって、2度目は事実婚を選んだ。でも、自分が信じている神様の前で誓ったので、私にとっては「結婚」です。

■60歳を超えてようやくわかったこと

――まあ、命の恩人だったわけですからね。

 そうなんです。それは大きいですね。あと、何だろうなぁ。あんまり皆が寄ってきてくれないんですよ。大学院のころから、「物理をやっています」と言うと途端に男性は2、3歩奥に行っちゃう。

 先日、理研で昔秘書をやっていた年配の方に言われたんですけど、「先生はさぁ、男の人の前で甘えるとか、抜けをつくるとか、可愛く見せるとか、そういうことを覚えなさい」って。今更そんなこと言われてもねぇ(笑)。

――それで2度目の「結婚」はどうなったのですか?

 家族が亡くなってから、祖父母の家と実家を手放して中古マンションを買ったんです。私が研究者になることを後押ししてくれて、研究者であることを喜んでくれていた家族が残してくれたものだから、肉親すべてを失った私の生活がスムーズになる形にしたくて。

 彼はIT関係の仕事をしていました。でも、根本的な価値に関わるいろんな話は合わなかった。車が欲しいと買って、ローンが払えなくなって代わりに私が払ったこともあった。結局、生活に必要なお金のほとんどを私が払っていました。駄目なんですよね、こういうことをしちゃ。60歳を過ぎてようやくわかりました(笑)。

 コロナ禍になって一緒にいる時間が増え、家事の負担が私に集中してきて、「理不尽だ」という思いがようやく膨らんできた。それに2020年に60歳になったことも大きい。理研は60歳が定年で、その後は雇用形態が変わる。そのタイミングで「もう人の面倒を見るのはいいや」と思ったんです。

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60歳を超えて、別の課題に気づいた