撮影:野田雅也
撮影:野田雅也

 野田さんは初漁の船に乗せてもらった。

「定置網からたも網でサケをすくうんですけれど、その柄はさっき言った造船所のおじいさんが作っていた柄なんです。造船所は船の修理だけじゃなくて、いろいろなかたちで漁師をサポートしていた」

 感謝のしるしとして、漁師たちはサケを詰めた樽を造船所に届けた。サケの腹にはすじこが入っていた。

「翌日の船大工の弁当にはいくらの一夜漬けがのっていて、そこでぼくは初めて復興というか、先が見えた気がした。つまりね、造船所が被災した船を修理して、漁師たちが海に出て、そのお返しとして魚が届けられる。故郷の味を食べることで活力が湧いてくる。そうやって人と人がつながって、社会がまわり始める。あれが復興の出発点だったのかなと、思います」

■撮っても、撮らなくて

 野田さんは軽自動車の中に寝泊まりしながら造船所に通った。

「造船所には朝7時半から夕方5時、6時くらいまで1日中張り付いていました。撮っても、撮らなくてもそこにいる、という感じでした」

 船大工の多くは避難先の体育館から造船所に通っていた。野田さんは船大工一人一人と長い時間を過ごした。

「例えば、黙々と溶接する横にいて仕事を見ている。そういう時間を過ごすことによって、一人一人と打ちとけて、その人の背景を知った」

 町の外からやってきた野田さんに気持ちを吐き出すことで少し楽になった船大工もいたという。

「仕事をしながら、ボソボソっと、話をしてくれるんですよ。例えば、ある船大工のお兄さんは助かったんですが、家や家族は流されて、自分だけ生き残ったことを悔いて翌年に自殺してしまった。そんな苦労をしながら、こんな笑顔があるんだと思いながら撮影した。ストレスでこんなに歯が抜けちゃったよ、と言いながら、がははと笑っているような写真をね」

撮影:野田雅也
撮影:野田雅也

■町に明かりがともった

 造船所の周囲にあったがれきは徐々に撤去された。17年に撮影した写真には巨大な砂利の山が写っている。無機質な風景の奥に蓬莱島が見える。その手前、造船所に置かれた漁船だけが生活のにおいを感じさせる。

 作品は22年3月11日に撮影した美しい夕景で終わる。新しい住宅が建ち並び、奥には青い残光に照らされた海が光っている。

「これはさっきの写真にあった土盛りをしていた場所です。本当に新しい街ができた。住宅地の向こうに『ひょうたん島』があって、造船所の船も見える。最初、船大工たちが大槌の町にもう一度明かりがともる日まで頑張ると言っていたので、最後はそういうシーンで終わりたいな、と思っていた。一つひとつの屋根の下に家庭があって、それぞれの物語がある。美しい街になったな、よかったな、と思いながら撮影しました」

 大津波で無残に折れた蓬莱島の灯台も立て直され、赤い光を放っていた。

アサヒカメラ・米倉昭仁)

【MEMO】野田雅也写真展「造船記 Chronicle of a Shipbuilder」
アイデムフォトギャラリーシリウス(東京・新宿御苑) 4月13日~4月19日