広島は最終戦でようやく勝ち、全敗こそ免れたが、「キューバは日本のプロより強い」という印象を抱いたファンも多かったはずだ。

 そんな“世界最強”キューバの好敵手として何度も名勝負を演じたのが、新日鉄堺時代の野茂英雄だ。

 88年9月、イタリア・パルマ開催の世界選手権決勝トーナメントでキューバと対決した野茂は、初回にアントニオ・パチェコに先制2ランを浴びるが、2回以降立ち直り、試合は2対2のまま終盤へ。

 8回に3対2と勝ち越した直後、野茂は2安打と併殺崩れで同点を許し、さらに安打で一、三塁とピンチを広げたところで無念の降板となったが、20歳の主砲、オマール・リナレスに対し、気迫を前面に出して力勝負を挑む野茂の雄姿は、今も関係者の間で語り草になっている。

 野茂は翌89年5~6月に日本で開催された日本・キューバ野球選手権では、与田剛、潮崎哲也とともに投手陣の中心を担い、2勝1敗の成績でMVPを獲得した。当時の野茂はキューバ打線について、「やっぱりすごいですよ。バットを振った音がビューンとマウンドにまで聞こえてきますからね」と評している。

 さらに同年8月、プエルトリコで開催されたインターコンチネンタルカップ決勝、キューバ戦に先発した野茂は、初回の先頭打者からオレステス・キンデラン、ルルデス・グリエルの4、5番まで5者連続三振という快投を見せる。

 だが、1対0の4回、パチェコの捕ゴロが拙守で内野安打になったあと、リナレスの三塁線バント安打でリズムを崩され、キンデランに同点打、グリエルに3ランを浴びた。

 5回8安打4失点で降板した野茂は「キューバは目の色が変わっていた。投げていても、すごい迫力を感じた」と大技小技織り交ぜてくるキューバの勝利への執念に脱帽した。キューバの各打者が「日本にこんな投手がいたなんて、驚きだね」(リナレス)と野茂の実力を認め、世界最強の誇りをかけて、全力でぶつかっていった結果でもあった。

次のページ
そんなキューバも近年は低迷…