航空写真のパネルに、草木染をして微妙に色彩の異なるスポンジで作った樹木を配植したお手製の「外苑の模型」を前に説明する石川幹子さん=2023年3月、東京都文京区の中央大学研究開発機構
航空写真のパネルに、草木染をして微妙に色彩の異なるスポンジで作った樹木を配植したお手製の「外苑の模型」を前に説明する石川幹子さん=2023年3月、東京都文京区の中央大学研究開発機構

――東京都や事業者はなぜ真剣に検討しないのでしょうか?

 開発利益があるからです。本来、外苑のような「都市計画公園」には、超高層ビルは建てられません。しかし「公園まちづくり制度」という新しい制度がつくりだされ、民間事業者の力を活用し「再開発等促進区」を定め、制限をなくすという、とんでもないことが行われました。この制度は「長い間公園整備ができず、開園していない未供用区域」で、かつ「建築制限により市街地の更新が進んでいないところ(密集市街地等)」に適用されるものですが、今回は、計画的に整備された外苑に、秩父宮ラグビー場が「常時、開放されていない」というだけの理由で適用されてしまったのです。15mの高さ制限がある風致地区に、185mの超高層ビルが建つのですよ。考えられますか? 法の秩序はどこにいってしまったのでしょうか?

 外苑って、みんなの財産なんです。「苑」って特別な字でしょ? 新宿御苑の「苑」で、公園の「園」ではない。明治時代にここで万国博覧会を開こうとしたんですが、日露戦争後の財政難を理由に中止となり、まもなく明治天皇が崩御された。そこで伊勢神宮の内宮と外宮にならい、内苑は「聖なる森」として、外苑はみんなが美しい景色の中でゆったりと楽しめる場として整備されたんです。

 内苑について書かれた『明治神宮造営誌』と、『明治神宮外苑志』を読むと、この2つの緑地の意味がわかります。外苑のほうは「志」という字を使っていて、ゴンベンがありませんね。自分たちが「志」を持ってつくった、ということがここに出ているんですよ。国内外の献金と献木、そして青年団の奉仕によって外苑はでき、1926年には日本最初の風致地区に指定されました。度重なる変更はありましたけど、基本的骨格は約100年継承されています。伊勢神宮という日本の伝統が、近代にしっかりトランスファーされているところが本当にすごい。

――ご説明を聴くと、貴重な歴史的資産なのだとよくわかります。

 私の研究は、社会的共通資本(コモンズ)としての緑地がどのようにつくり出されてきたのか、守られてきたのかを、近代都市計画の原本に遡りながら明らかにしていくことでした。困難な仕事でしたが、誰も研究していない未知の領域で、「旅」をするように心ときめくものでもありました。

 コモンズとしての緑地をつくるには理念が必要です。でも理念だけではできません。社会に実装するには法と政策が必要で、具体的なデザインと具体的なお金もいる。理念、計画、施策、デザイン、財源の5点セットがないと新しい社会的共通資本はつくれません。

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建築家の伊藤豊雄さんと組んで1位に