一方、近鉄と並行して、ロッテの内野手・山崎裕之の譲渡を申し入れていた広岡監督は、当初投手の西井哲夫、内野手の渡辺進を交換要員に話を進めていたが、交渉途中で再び安田の名が浮上する。だが、これも松園オーナーの反対で白紙に戻る。

 そこで再び西井、渡辺の線で話がまとまったかにみえたが、今度は2人が「ヤクルトを離れたくない」とトレードを拒否。そうこうしているうちに、待ちつづけることにしびれを切らした山崎が「球団とフロントの足並みが揃わないチームには行きたくない」とヤクルト以外の在京球団への移籍を熱望し、同一リーグを理由に1度は候補から外された西武が棚ぼたで獲得に成功した。

 結局、トレードで思うような成果を挙げられなかった広岡監督は、この一件がしこりとして残ったのか、翌79年シーズン途中で電撃辞任。チームもV2どころか、最下位に沈んでいる。(文・久保田龍雄)

●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍プロ野球B級ニュース事件簿2021」(野球文明叢書)。

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久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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