30分ほど話して靖さんの様子を見に行こうとした時、山本被告のスマートフォンが鳴った。探していた病院からだった。大久保被告は先に部屋に入り、山本被告は数分間、外にいたという。

「部屋に入ると奥の方に布団が敷いてあり、父が横になっていた。寝ているのかと思ったが、大久保被告が『心肺停止している』『これ以上やることないので荷物を片付ける』『もう戻らない』と言ったので驚いた。頭が真っ白でした」

 山本被告は父親の脈をとり、目で瞳孔を確認すると、亡くなっていたという。

「なんで勝手にむちゃくちゃなことするんやと大久保被告に抗議すると、『キミが言ったことや。とやかくいう資格はない』と反論されて腰が抜けそうになり、目の前の現実が信じられなかった」

 山本被告は大久保被告に、どのように靖さんを死なせたのか聞くと、

「キミは知る必要はない」

 と言われた。どんな薬物がどのように投与されたかは知らないという。

 大久保被告は靖さんの鼻や肛門(こうもん)に脱脂綿を詰め、カテーテルで尿を出すなど手慣れた様子で遺体の処理をすると、部屋を出て、レンタカーで帰ったという。

 山本被告は、

「こうなってしまった以上、計画していた通りにやるしかない」

 と考え、淳子被告を呼び寄せ、死亡届を記入させて役所に提出し、火葬許可書を入手。靖さんの葬儀はせず、3月10日に火葬した。

  *  *

 こうして弁護側は、計画は中止したのに、大久保被告が単独で犯行に至ったと主張した。

 一方、検察側は、山本被告が靖さんの救護をしなかった点や、靖さんの遺骨をアフリカ南部の国で埋めた後に、大久保被告にメールで「大仕事をしたので打ち上げをしよう」と誘い、実際に“打ち上げ”の席で靖さんの遺骨を埋めた話などを「土産話」として話していた点などを指摘。

 そして、19年7月の京都アニメーション放火殺人事件が起きた時、山本被告はLINEで、

<京都の放火事件やばすぎる>

 と淳子被告に送信した。

次のページ
証拠が残らない殺人の実験台だった