※写真はイメージ。本文とは関係ありません(TheLux / iStock / Getty Images Plus)
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 でもノルマルへキサンを使わなければ、搾りかすのなたねは、畑に入れるとてもいい安心な肥料になる。事実、創業した最初のころは、歩留まりが悪く値段が高めになってしまう油よりも、肥料としての油かすの人気のほうが高かったくらいなんですよ、とお聞きしました。

 溶剤を使わないから搾りかすの中に多少油分が残る、でもだからこそいい肥料になる。油をとることだけを考えて、もっと安くもっとたくさん、最後の最後まで搾り切るために薬剤を使う。そうすると、逆にその添加した薬剤の分の不安が残るのではないかと思いました。薬剤を使わないことで畑に撒かれても安心な、作物を<育てるもの>に変わる。いい循環、ってこういうことじゃないかしら、と思ったのでした。

 油そのものだけを考えれば、環境や人の健康に負荷のかかる遺伝子組み換え作物を原料にして、薬剤を使って搾れるだけ搾って捨てるほうが、安いに違いない。でも、循環していくことを考えたら、原料に除草剤を使わないことで土中微生物を殺さずにすみ、それが人の腸内細菌を殺さないことにもつながり、油の搾りかすは肥料となって土に還る。

 作物の種を守りどう育てていくかという農業の未来も含めた大きな視点を持ったら、そのほうが健康的に循環するということになるのではないでしょうか。

 捨てることが前提のシステムが持つ息苦しさは、常に値踏みされ競わされる私たちの苦しさのようにも思えてきました。<フードロス>を考えることは、<未来>を捨てないことにつながっていくのだ、そうも思えてきました。

 フードロスのことを考えたいと、改めて思いました。

 想像もしなかったパンデミックの広がりといつまで続くのかわからない不安、どう考えたらいいのかわからず立ち尽くしてしまうような戦争の現実。世の中の、そして自分の心の底に流れる解決の糸口が見えにくい問題の数々。そのことに向き合おうとすると、それは自分の小さな台所や食卓とつながっていたのでした。

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できることはきっとたくさんある