結局、上杉家は加勢へ向かわなかったので潰せなかったが、吉良家は断絶となり、領地は天領に組みこまれた。

 そんなわけで、討ち入りが終わっても浪士を逮捕しなかったのは、上杉家が泉岳寺に攻め込むのを待っていたのかもしれない。実際、吉良邸で上野介を討った後、内蔵助は上杉家と戦うつもりだった。赤穂浪士を預かった本藩の記録に、「上杉軍と戦うつもりで武器を多く用意したが、無駄になった」と内蔵助が語ったとあるからだ。

 将軍綱吉は、四十以上の大名を改易や減封に処している。もちろん跡地の多くは幕府のものになる。

 けれど、人傷沙汰がおこった時点では、どう考えても吉良側に非はなかった。そこでわざと赤穂藩再興という遺臣たちの夢を砕き、討ち入りに導く作戦をとった。つまり、「忠臣蔵」の元になった元禄赤穂事件は、皮肉なことに幕府に仕組まれた芝居だったというわけだ。

 なお、あまり知られていないことだが、赤穂浪士たちが吉良邸に討ち入る前から、庶民はいつ復讐の日が来るのだろうかと楽しみにしていたといわれる。

 また、大石内蔵助が伏見で遊蕩していたときなど、いい加減にして早く仇討ちせよという、怒りの落首もあったほどだ。こうした庶民の熱望と、プレッシャーに押されて、仕方なく内蔵助たちは吉良邸に押し入ったのだという説さえある。もちろん、それは極論というものだが、こうした庶民の期待と応援があったればこそ、彼らも覚悟が固まったのかもしれない。

◎河合 敦(かわい・あつし)
1965年、東京都生まれ。歴史研究家。多摩大学客員教授。早稲田大学非常勤講師。青山学院大学文学部史学科卒業。早稲田大学大学院博士課程単位取得満期退学(日本史専攻)。「歴史探偵」(NHK総合)他に出演。著書に『殿様は「明治」をどう生きたのか』『関所で読みとく日本史』『徳川15代将軍 解体新書』『お札に登場した偉人たち21人』など多数。

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河合敦

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●河合 敦(かわい・あつし) 1965年、東京都生まれ。歴史作家。多摩大学客員教授。早稲田大学非常勤講師。青山学院大学文学部史学科卒業。早稲田大学大学院博士課程単位取得満期退学(日本史専攻)。テレビ番組「歴史探偵」(NHK総合)他に出演。著書に『徳川15代将軍 解体新書』『お札に登場した偉人たち21人』『江戸500藩全解剖』『徳川家康と9つの危機』『日本史の裏側』など多数。

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