セーラー服を採用した金城学院。1921(大正10)年の集合写真(写真提供/金城学院)
セーラー服を採用した金城学院。1921(大正10)年の集合写真(写真提供/金城学院)

 日本で最初にセーラー服を着用した学校はどこか。日本大学商学部准教授で歴史学者の刑部芳則(おさかべ・よしのり)さんは、旧制の高等女学校(現在、その多くは新制高校に継承)の記録など膨大な史料にあたって検証し、セーラー服の起源校を明らかにした。刑部さんは新刊『セーラー服の誕生』(法政大学出版局)のなかで、その研究成果をまとめている。刑部さんに話を聞いた。

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―――なぜ、セーラー服の起源を調べようと思ったのでしょうか。

 セーラー服の起源をめぐっては、さまざまな説が取り沙汰されていました。しかし、どれもデータが乏しいなど信用できなかった。わたしは歴史学者としてしっかり調査しようと思ったわけです。たとえば、2000年代半ばまで福岡女学院(福岡女学院中学校・高校)の「セーラー服を最初に制定」が長い間、定説になっていました。ところが、2007年、制服販売会社の研究室長が平安女学院(京都、平安女学院中学校・高校)が起源という説を発表します。これによって、福岡女学院は1921(大正10)年12月、平安女学院は1920(大正9)年11月にセーラー服を制定ということになりました。

―――当時、メディアは平安女学院が1年以上早く日本で最初のセーラー服校と伝えています。どっちが先か、ちょっとした論争になりました。

 わたしは「セーラー服邪馬台国論争」と呼んでいます。

―――実際、どうなのでしょうか。

 福岡女学院は上下分かれたセパレート、平安女学院はワンピースタイプでした。制服販売会社の研究室長はセーラー服の元祖はセパレートならば福岡女学院、ワンピースならば平安女学院と2通りあるような見解を示したわけです。セーラー服を定義しなかったので、起源はどっちつかずで、いい加減な話になったのです。それがメディアで語り継がれるわけですが、これではだめでしょう。セーラー服の起源が二つあるという見方はおかしい。極端な話、日本で最初の幕府は鎌倉、室町、江戸と何通りもできてしまう。また。この研究室長は約15校を調査したとありますが、いくらなんでも少なすぎます。残念なことに、制服を研究している学者のなかにこの説を信じる者がいます。わたしは歴史学者として看過できませんでした。

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セーラー服「邪馬台国論争」