―――第2次大戦中はどうだったのでしょうか。

 戦争が激しくなると、スカートは禁じられ、ヘチマ襟、ズボン、モンペ姿が見られるようになります。1941(昭和16)年、文部省は標準服を制定します。セーラー襟を廃止し、ヘチマ襟になります。評判は良くなかったようです。しかしセーラー服が消えることはなく、たとえば、1944(昭和19)年、東京府立第五高等女学校(現・都立富士高校)の卒業写真は全員セーラー服姿でした。もっとも、地域によってはバラツキが見られ、標準服のほうが多い学校も少なくなかったようです。

■戦後、ブレザーに変わる動きが起きた理由は

―――戦後、高等女学校はいまの新制高校に変わります。セーラー服は残ったのでしょうか。

 浦和第一高等女学校は浦和第一女子高校(埼玉)に、千葉高等女学校は千葉女子高校になったとき、セーラー服からブレザーに変わりました。進学校で有名な桜蔭中学・高校も、前身の桜蔭高等女学校から変わるとき、セーラー服をやめてブレザーになりました。セーラー服を廃止した学校のなかには、軍服をイメージさせる、軍国主義の名残である、という理由を示したところもあります。戦争に負けて大日本帝国から日本国に変わったことで、前時代のものが全否定され、そのなかにはセーラー服も入っていたということでしょう。しかし、これは歴史的事実を無視した主張です。戦争中のモンペ姿のほうが軍国主義的だった、セーラー服は平和な時代の象徴だったと振り返る生徒もいました」

―――いまでもセーラー服の伝統を守っている学校があります。

 有名なのが学習院女子中・高等科(東京、旧・女子学習院)、東京女学館中学校・高校(旧・東京女学館)、フェリス女学院中学・高校(神奈川、旧・フェリス和英女学校)などです。いわゆる伝統校であり、ブランド意識を強く持っており、制服を変えようという考えはまったくありません。祖祖母のころからこうした学校に通い、4代続けて同じセーラー服を着ている家系もあります。誇りを持って着続けてほしいです。セーラー服をやめてしまった学校も、「後世に伝える」という意味で、復刻ブランドを立ち上げるのもいいかもしれません。

次のページ
学ラン、セーラー服が消えつつある