刑部芳則さんの著書「セーラー服の誕生」
刑部芳則さんの著書「セーラー服の誕生」

■「セーラー服邪馬台国論争」に決着

―――そこで、刑部さんは何から取り組んだのでしょうか。

 セーラー服邪馬台国論争を終わらせなければならない。そのためにセーラー服をしっかり定義することからはじめました。日本にセーラー服が入ってきたのは幕末のことです。幕府の海軍がイギリスの海軍水兵のセーラー服姿を見て採り入れました。水兵のセーラー服はセパレート型で上下分かれているので脱ぎやすく機能的です。したがって、ワンピース型はセーラー服とはいえない。平安女学院の起源説はなくなります。実際、ワンピース型は他校でまったく見られませんでした。

―――すると、セーラー服起源校はどこになるのでしょう。福岡女学院ですか。

 いや違います。わたしは北海道から沖縄まで全国に900以上存在した高等女学校の制服を調べてみました。すると、福岡女学院よりも早くセーラー服を着用した可能性がある高等女学校がいくつか見つかったのです。そのなかでもっとも有力なのが、金城女学校(愛知、現・金城学院高校)でした。1921(大正10)年9月にセーラー服が制定されており、女子生徒の集合写真が残っています。金城女学校がセーラー服の起源であることに疑問の余地はありませんでした。

―――セーラー服邪馬台国論争はどうなりましたか。

 最近、話題になりません。平安女学院、福岡女学院の名前は出なくなり、金城女学校がセーラー服の元祖ということが定着しています。ただし、2022年3月、京都の地元紙でセーラー服が廃止されたと報じられましたが、「日本で初めてセーラー服を学校制服に採用したのは京都市上京区の平安高等女学校(現平安女学院)とされる。1920年に、はかまから洋式制服に代わった。ウエストにベルトが付いた紺色のワンピースで、大きな襟が特徴だった」とわざわざ写真付きで紹介されていました。メディアとしてまったく検証していない。いかがなものかと思います。残念でなりません。

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セーラー服と関東大震災