季節が変わったなぁと感じる瞬間。通勤時の新緑の青々しいまぶしさとか。(写真:著者提供)
季節が変わったなぁと感じる瞬間。
通勤時の新緑の青々しいまぶしさとか。
(写真:著者提供)

 言葉で伝えることがコミュニケーションのすべてではありません。むしろ、あなたの言葉が持つ信頼性、信用を自分で下げてしまわないためにも、ときには「言葉を使わない」という選択が必要な場面もあります。

 消しゴムで消せない、デジタルで「元に戻す」ができないたくさんのエラーを続けてようやくたどりついた結論は、「とってつけた言葉よりも、3秒の沈黙」。

 聞くだけでつらくなったり、哀しみでやりきれなくなってしまうニュースやエピソードに対して、「言葉が出ない」「何も言えない」というのが本心ならば、「沈黙」こそが自分の気持ちを伝える最善の手段なんじゃないか、と。

「そうでしたか……」「大変でしたね……」という言葉のあとの「……」、その数秒の間こそに、あなたの思いやりやいたわり、共感が自然な形で表れるもの。はっきりとした言葉がないからこそ、相手に解釈してもらう幅が生まれます。その人の気持ちにやわらかく形を変え、やさしくフィットする返事になるのでは、と思うのです。

■伝えたいことを浸透させる効果も

 また、無言の「間」には、言葉にならない気持ちを伝えるだけでなく、すでに発した言葉を相手の中に深く染み込ませる役割もあります。

 例えば、ラジオでリスナーからのメッセージを紹介するとき。時間通り、予定通りに進行することに気をとられると、無言の時間ができることが怖くて、「次は◯◯さんのメッセージ、次は▲▲さん……」と、間髪を容れずに喋ってしまいがちです。

 これでは内容が頭に入ってきません。どんどん詰め込まれるような感じもして、聞く気も失せてしまいます。「間」のない話は、理解してもらえないし、聞いてもらえない。

 反対に、ほどよく「間」のある話は、聞きやすく理解しやすくなります。

 番組中気をつけているのは、例えばリスナーからいただくお便りとお便りの間だけでなく、文章を構成する「。」のあとや新しい段落に行く前にも、数秒の「間」を作る。そうすることで、聞き手はその言葉が持つイメージを頭の中で描き、自分なりに味わうことができます。

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責任感の強い人ほど陥る沈黙破り