作新学院・小針崇宏監督
作新学院・小針崇宏監督

 プロ野球とは違い、毎年選手の入れ替わる高校野球の世界では良くも悪くも監督の持つ影響力というものは大きくなる。実績のある監督が異動することで県内の勢力図が変わることも珍しくないが、今回は一時期苦しんでいたものの新たな監督就任で復活した、また復活が期待できるかつての強豪校にスポットを当ててみたいと思う。

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 今回のテーマで真っ先に思い浮かぶのはやはり作新学院(栃木)になるだろう。1962年には八木沢荘六(元ロッテ)、加藤斌(元中日)という後にプロ入りする二人の好投手を擁して史上初となる甲子園春夏連覇を達成。また今でも語り継がれているのが“怪物”と呼ばれた江川卓(元巨人)だ。甲子園での優勝こそなかったものの、1973年のセンバツでは現在でも大会記録である60奪三振をマークし、その名を全国に轟かせた。しかし江川の卒業後は1970年代後半に春2回、夏1回甲子園に出場したものの、いずれも初戦で敗退している。

 そして1980年から1999年の20年間の間、甲子園出場から遠ざかることとなったのだ。そんなチームを再び全国屈指の強豪へと復活させたのが小針崇宏監督だ。23歳の若さで監督に就任すると、4年目の2009年に31年ぶりとなる夏の甲子園出場を果たし、2016年夏には今井達也(西武)、入江大生(DeNA)などを擁して全国制覇も成し遂げた。2011年からは夏の栃木県大会では一度も負けておらず(2020年はコロナ禍で独自大会。ベスト8で打ち切り)、昨年で夏の甲子園10大会連続出場となっている。

 伝統的に投手中心の守り勝つ野球が持ち味だったチームを、送りバントをほとんど用いない攻撃的なチームへと作り替えた手腕は見事だ。伝統校というと学校やOBの圧力も強いイメージがあるが、以前岩嶋敬一部長に話を聞いた時にはそういったことは一切なく、現場については監督に任せる体制ができているとのことだった。全日制の学校としては全国トップの生徒数を誇るマンモス校で、大学を思わせる雰囲気もある同校だが、やはり野球部に対する期待も大きく、今後も栃木県、北関東をリードする存在となりそうだ。

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西尾典文

西尾典文

西尾典文/1979年生まれ。愛知県出身。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究し、在学中から専門誌に寄稿を開始。修了後も主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間400試合以上を現場で取材し、AERA dot.、デイリー新潮、FRIDAYデジタル、スポーツナビ、BASEBALL KING、THE DIGEST、REAL SPORTSなどに記事を寄稿中。2017年からはスカイAのドラフト中継でも解説を務めている。ドラフト情報を発信する「プロアマ野球研究所(PABBlab)」でも毎日記事を配信中。

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