岩田健太郎さん(c)水野真澄
岩田健太郎さん(c)水野真澄

■ハードボイルドという寛容さ

岩田:何をもって克服とするかには議論の余地がありますが、少なくともエイズで死ぬ人は今後ほぼいなくなるでしょう。エイズが「死の病」だった30年前を考えると隔世の感があります。最初は感染経路も不明だったので、診療する側も「自分に伝染るんじゃないか」とビクビクしていましたし、薬を飲んでも副作用が出るし、患者には「ちっとも治らない」と罵倒されるしで、さんざんでしたから。薬と副作用を巡る壮絶な闘いは、映画『ダラス・バイヤーズクラブ』(2013年)などでも描かれましたが、言い尽くせない蓄積の果てに今があるわけです。

 僕ら医者は皆、往生際が悪いんだと思いますよ。諦めない。「もう、や~めた!」とならずにジリジリ続けて薬や治療法を見つけていく。コロナもまだ着地点には至りません。しかもどんな着地をするのか予見もできませんが、必ずそれは訪れます。

内田:「往生際が悪い」という言い方はいいなあ。

岩田:昔からコロナのような感染症が起こるたびに、人間は何とかして克服してきたわけで、「神が決めたんだから仕方ない」とか言って諦めちゃったら、人類史が終わってしまう。「感染症はランダムなもの」という乾いた観念を持っているので、諦めないでいられるのかもしれません。

内田:ハードボイルドですね(笑)。

岩田:そうです、ハードボイルドです(笑)。コロナ禍のようなことが突然起こる不条理な世界で生きていくには、粘り強さというか、殴られてもめげずに立ち上がる根性のような、ある種のハードボイルドな生き方が必要だと思うんです。患者さんに対しても、何かの因果でその人が罹患したとは思いません。健康な人が急に病人になっても、それも少しも不思議じゃない。常にそう思っています。それもハードボイルド感覚なんですね。

 よくあの種の小説にありますよね、ヒーローやヒロインが突然バーンと撃たれちゃうとか。それでもストーリーは淡々と進んでいく。「世の中ってそういうもの」と受け入れて進むあのひんやりとした感覚が僕は割と好きなんですが、感染症のプロにはそういう人がけっこう多いんじゃないかな。

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寛容的な方向へ変わるために必要なこと