内田樹さん(c)水野真澄
内田樹さん(c)水野真澄

内田:岩田先生は、わからないことは「わからない」とはっきり言われますよね。しかしパヌルー神父は宇宙にはある種の摂理があるので、ペストのふるまいは「理解可能だ」と考える。今の日本でコロナウイルスを擬人化して語る人もそうですね。コロナウイルスをマンガのように図像化する人もたぶんそうだと思う。「わからないもの」を相手にしたくないんだと思います。

岩田:ウイルスに条理はありません。極めてランダムに動く不条理な存在です。

内田:でも、ウイルスのふるまいには「条理がない」という事実そのものを受け止めることが難しい。何とか解釈して、そこから有用な「教訓」を引き出したがる習慣から、なかなか脱け出せない。

岩田:感染症をはじめこの世の多くのことは不条理ですよね。生命を研究すると、そのことが骨身に染みてわかります。患者さんの治療を続けながら、「世の中とはメッチャ不条理なんだ」という一種の諦念に日増しに支えられているのを感じるんです。そもそも感染症の流行自体や患者さんそれぞれのふるまいが非常にストカスティック(確率的な)ですからね。ある地域では大流行し、別の地域では流行しない、「なぜか」流行が収束したり、あるいは収束しなかったりする。ある患者は無症状のままでも、別の患者は重症化し、あるいは死亡する。長期の慢性症状を出す人もいれば、そうでない人もいる。ワクチンが効く人もいれば、副作用に苦しむ人もいる。そこにはある「確率」があり「傾向」もあるのですが、しかし個々の流行、個々の患者レベルで言えば、起こっていることはランダムです。善人だと重症化しないとか、そういう「摂理」はありません。

 感染症で言えば、1980年代にエイズ(後天性免疫不全症候群)が「死の病」として世界中の人々を恐怖に陥れました。当時も「エイズという病気は、同性愛者に対する神の罰だ」という言説があったんです。でも実際には、同性愛者同士の一回の性行為がもたらす感染は、1%かそれ未満の確率でした。もしもエイズが「同性愛者に対する罰」だったら百発百中で感染しなくてはならないはずです。それに異性愛者でも、エイズは発症します。つまり感染症に摂理なんて何もない。発症したら医者と患者で懸命に治療する。それがすべてです。実際、研究が進んだ現在では、エイズは克服可能な病気であり、世界の年間死亡者もゼロに近づいています。

内田:そうなんですか。その事実は、希望を与えてくれますね。

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ハードボイルドという寛容さ