12月8日放送の「FNS歌謡祭・第2夜」(フジテレビ系)で桑田佳祐がトリを務めた。大みそかの「NHK紅白歌合戦」には今のところ出場はなさそうだが、サプライズ登場への期待も根強い。CMでも彼の曲が盛んに流れており、Jポップ界きってのカリスマぶりは健在だ。
しかし、今から43年前のデビュー時点において、彼がこうなることを予想できた人はいなかった。じつはこんなエピソードがある。1995年に雑誌「VIEWS」で明かされたものだ。
「その時スタッフがカセットに録音して持っていったのが、サザンオールスターズの『勝手にシンドバッド』だった。『いい曲だけど顔が悪いから売れないと思うよ』と、3人のうちの誰かが言った」
3人というのは、キャンディーズだ。サザンの育ての親でもあるアミューズの創業者・大里洋吉は渡辺プロダクション時代に彼女たちを担当。独立後も頼まれてその解散ツアーを手伝った。その縁で、彼女たちはサザンの品定めにつきあうことになったわけだ。
桑田はのちに長門裕之に似ているといわれるなど、それなりに味のある顔だが、アミューズが最初に手がけた原田真二(77年デビュー)のようなアイドル顔ではない。原田は「ザ・ベストテン」(TBS系)で黒柳徹子に「ビーバーちゃん」というあだ名をつけられ、世良公則&ツイストやCharとともにロック御三家と呼ばれた。
彼の場合、吉田拓郎のプロデュースや、松本隆の作詞、トリプルデビュー(3カ月連続のシングル発売)の衝撃といったものに加え、ルックスのよさもプラスに働いたのだ。
しかし、そんな原田はアイドル的な売られ方を嫌ってわずか半年で独立。その2週間後に所属したのがサザンだった。いわば、原田で稼いだカネと、原田が抜けたことで生まれた労力をそこに注ぎ込めたのである。
そんな幸運もあって、デビュー曲はヒットしたものの、短パンで歌うその姿は一発屋的にも映った。「ザ・ベストテン」では黒柳に「あなた方はミュージシャンなんですか」と問われ、
「いいえー、ただの目立ちたがり屋の芸人でぇーす」
と、答えている。3枚目シングルの「いとしのエリー」では正統派ぶりものぞかせたが、アリスやゴダイゴ、さだまさし、松山千春、中島みゆきらに比べると、二番手グループだった。ニューミュージック系の人気のバロメーターというべきオリコンのアルバムチャートでも、初の1位を獲得するのはデビュー翌々年、3作目でのことだ。