■80年以上続いた「バンビーノの呪い」とは

 ルースには「バンビーノ(赤ちゃん)」の愛称もあった。19年オフ、レ軍はルースを同じア・リーグのニューヨーク・ヤンキースに金銭トレードで放出。年俸で揉め、追い出したとされる。その後、ルースは大活躍し、ヤ軍は黄金時代を築く一方、レ軍は2004年までワールドシリーズの王座から遠ざかった。これがルースの怨念によるものとされ「バンビーノの呪い」と言われ続けた。

■新球場は「ルースの建てた家」

 ヤ軍に加入したルースは外野手に転向し、20年は54本、翌年は59本と、それぞれ大リーグを更新する驚異的な数の本塁打を放った。ちなみにナ・リーグの本塁打王は20年がわずか15本、21年が23本だから、ルースの記録の偉大さがわかる。ルースによってファンが一気に増え、大観衆が詰めかけて球団経営は潤い23年に球場を新築した。まさにルースさまさまで、豪華な新球場は「ルースが建てた家」と呼ばれ、長くファンに親しまれた。

■怒ったら審判もファンも殴る

 素行に問題のあったルースは、グラウンド内外で破天荒ぶりを見せつけた。判定に激高することが多く、審判を殴ってしまうこともあった。野次られたのか、観客を殴ったこともあったという。監督と衝突し遠征先から勝手に帰ったり、大リーグが出場を禁止していた、ある興行に参加したり、罰金や出場停止処分の“常連”と化していた。

■大酒と暴食続き、卵18個のオムレツを食べた?

 良くも悪くも天衣無縫な性格のルースは、ヤ軍に移籍後はグラウンド外でも破天荒ぶりが悪化し、遠征先ではひとりだけ高級ホテルに泊まった。14年に結婚したにもかかわらず女性関係が派手になり、車に乗ればスピード違反の常習。大酒と暴食を繰り返した末、ぶくぶくに太って体調を崩し、成績を落とすシーズンもあったほど。卵を18個使ったオムレツを食べていたという話もある。

 ルースの荒れっぷりに手を焼いた関係者は、たびたびマシアス修道士に来てもらい、ルースを諭してもらっていたようだ。

■最初の妻ヘレンは悲劇の焼死

 ルースは14年にヘレンという女性と結婚した。だが、生活や女性関係がどんどん派手になっていくルースに嫌気がさし、ルースがヤ軍にいたころに別居。29年、住まいが火災になり焼死した。遊びに走っていたルースも、さすがにこのときは落ち込んだようだ。ルースはその後、妻の死亡時にはすでに交際していたクレアという女優と再婚している。

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