「百戦錬磨、自民党で最も政治的技術をもった方」と持ち上げ、二階は呼応するように、自民党総裁3選に向けて党則改正にいち早く言及し、「任期がまだまだある、というゆとりがあってもいいんじゃないか」と議論をリードした。権限行使に慎重だった谷垣から、躊躇なく権力をふるう二階に幹事長が代わり、安倍の1強体制はさらに強固になった。

 17年3月には総裁連続3選を可能にするよう党則が改正された。安倍は同年5月、悲願の憲法改正に向けて、9条に自衛隊を明記する案を提案。党内からは支持の声が相次いだ。

 しかし、その勢いにかげりが見え始める。「満月」はいつまでも続くわけではない。1強が完成した直後に「強すぎる首相官邸」の弊害が次々と噴出する。

 17年2月には、森友学園への国有地売却をめぐる問題が表面化。安倍は国会で「私や妻が関係していたということになれば、首相も国会議員も辞める」とたんかを切った。同年5月には、「腹心の友」と評する自らの友人が理事長を務める加計学園の獣医学部新設も政治問題化した。安倍は「私が友人である加計さんのために便宜をはかったという前提で恣意的な議論だ」と全面否定。官房長官だった菅義偉は「総理のご意向」と書かれた文書を「怪文書のようなもの」と言い放った。こうした出来事は「選挙の安倍」の看板を傷つけた。

 17年7月の東京都議選では、都知事の小池百合子率いる都民ファーストの会の躍進で、自民党は歴史的惨敗を喫した。安倍が「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と発言したことも批判を浴び、支持率は急落した。ただ、選挙で落ちた支持率を再び上昇させたのも選挙だった。安倍は北朝鮮からのミサイルが発射される中、衆院を解散した。小池による野党再編の失敗劇も重なり、自民は再び圧勝。支持率とともに党内でも「選挙の顔」としての神通力を取り戻した。

 しかし、その後も、長期政権のうみは次々に噴出し、森友学園をめぐる公文書改ざんの問題も発生した。石破は安倍の対応を批判したが、自民党はかつての活力を失っていた。小泉進次郎が「平成の政治史に残る大きな事件」と政権に批判的な発言をしたり、元行革相の村上誠一郎が党総務会で声を上げたりしたが、それ以上の追随はなく、石破に同調する声は広がらなかった。問題が発生するたびに、支持率が下がるものの、しばらくするとまた戻っていった。(敬称略)