■史上最長を支えた「二つのライバル不在」

 安倍の総裁任期延長を決めた時も、副総裁の高村正彦や茂木ら執行部が案をまとめ、異論はほとんど出なかった。天皇退位のとりまとめもこれと同様だった。首相となる党総裁の選出、天皇の地位、いずれも国のありように直結するきわめて重要なテーマだが、表だった議論がない。執行部が打ち出せば、ベテランも含めてひたすら追認する。石破のような異論があっても、言えば少数派として相手にされず、黙っていれば賛成とみなされる――。「1強」を前に、こんな風景が当たり前のようになっていた。

 第2次安倍政権が「1強」となり、史上最長になった土台には「二つのライバル不在」があった。一つは自民党政権を脅かす強い野党の不在だ。政権を奪還した安倍は「決められない政治」を反面教師に、経済政策「アベノミクス」など新政策を次々と打ち出した。民主党政権の失敗による有権者の失望は根強く残り、野党は支持率低迷を続けた。

 もう一つは党内におけるライバルの不在だ。「麻生降ろし」などの党内抗争で政権を失った反省から、政権復帰後、党内の安倍批判はなく、「1強」状態を作った。石破が批判の声を上げるようになったが、共感が広がる土壌は党内から消え失せていた。

 弱い野党を相手に国政選挙で、安倍自民党は6連勝した。特定秘密保護法や安全保障法制など有権者に不人気の政策は選挙がない時期に推し進める一方、選挙前には、アベノミクスなどの経済政策を前面に打ち出し、党は大勝した。森友、加計学園問題など安倍を直撃する疑惑が発生すれば内閣支持率は一時的に下がったが、元に戻った。

■国政選挙4連勝「選挙の顔」

 話はさかのぼり、2015年9月、安倍の自民党総裁の無投票再選が決まった後も、石破は閣内に残る。ただ、次を見据えて、「政権をめざしたい」と石破派を立ち上げた。一方、党内基盤を固めた安倍は、悲願の憲法改正に向けて照準を16年7月の参院選に合わせ、自民はまたも大勝した。自民、公明に加えて、安倍政権下での改憲に前向きなおおさか維新の会や無所属議員を加えた「改憲勢力」で、改憲に必要な3分の2を確保した。さらに、自民は平成最初の参院選だった1989年に失った単独過半数を、平成最後の16年参院選を経て、27年ぶりに回復。国政選挙4連勝で「選挙の顔」としての安倍の評価はさらに高まった。

 安倍が絶頂期を迎える中、石破は16年8月の内閣改造で閣外に出て「無役」となる。幹事長、閣僚として支えた安倍政権から、石破が去ることで「安倍1強」は完成した。政敵を外に追いやった安倍は、自転車事故でケガをした谷垣禎一に代わり、二階俊博を幹事長にした。

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「強すぎる首相官邸」の弊害が次々と…