大河「鎌倉殿の13人」で描かれる鎌倉時代に神社が作られ続けた理由とは (1/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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大河「鎌倉殿の13人」で描かれる鎌倉時代に神社が作られ続けた理由とは

連載「あなたの知らない神社仏閣の世界」

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5代執権・北条時頼により建立された建長寺

5代執権・北条時頼により建立された建長寺

東勝寺跡地の一角にある「腹切りやぐら」

東勝寺跡地の一角にある「腹切りやぐら」

修善寺・指月殿

修善寺・指月殿

 先日の豪雨被害のニュースを見ながら「ああ走湯権現(現・伊豆山神社)の近くだなぁ」と思い、「そういえば来年のNHK大河ドラマは執権・北条氏の話だったっけ」と連想が飛んだ。たぶん、鎌倉幕府に興味のない方々にとって、このつながりはあまりピンとこないかもしれない。だいたいにおいて鎌倉時代というのは謎が多すぎるのだ。

●鎌倉時代とはいつから?

 まず、鎌倉時代がいつからを指すのかからして定かではない。私の子どもの頃には1192年(源頼朝が征夷大将軍に任命された年)とされていたが、今の教科書では1183あるいは1185年という記述になっている。また、鎌倉幕府を開いた源頼朝を何と呼ぶのか、もちろん将軍なのだろうがこの時代に使われていた役職の意味では頼朝の立場は語れない。頼朝が伊豆で隠遁していた頃の話もはっきりしないし、挙兵したのも強い意志からだったとも感じられない。ただ、隠遁生活時に走湯権現や箱根権現への参拝は頻繁に行っていたようで、伊豆で世話になっていた伊東祐親から命を狙われた際、走湯権現へ逃げ難を逃れたとある。この後から北条氏との関わりが始まるのだ。頼朝が立身できたのは神仏のおかげ──そう考えても不思議はない流れがあった。

●令和4年の大河ドラマの主人公は

 大河ドラマの「鎌倉殿の13人」というタイトルには、そんな鎌倉時代の中途半端な幕府の立場が盛り込まれている。鎌倉殿とは、朝廷が鎌倉幕府の将軍を指していた言葉だ。狭義では源頼朝だけを指すこともある。つまり「鎌倉にいる偉い人」くらいの意味合いで、なんとなく朝廷からは下に見られている感じさえする。頼朝は、壇ノ浦で平家を滅ぼしてから14年後に死因も解明されずに没する。2代目・頼家は北条氏の手にかかり暗殺され、3代目・実朝は頼家の子・公暁に殺される。公暁はもちろん討ち取られ、頼朝の血脈は、鎌倉時代が終焉するはるか前に絶えてしまうのである。これを実行したのが、頼朝の妻・政子の実家である北条氏なのだ。


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