写真はイメージ/GettyImages
写真はイメージ/GettyImages

 日本語には、人の行為を表すさまざまな表現があります。それらには、その漢字が使われている意外な理由があったり、漢字で書くと意味が分かりやすくなったりするものがあります。現在2021年7月号が発売中の朝日新聞出版『みんなの漢字』から紹介。※監修・久保裕之(立命館大学白川静記念東洋文字文化研究所)

*  *  *

「齷齪(あくせく)」
→歯と歯の間が狭いという意味が心が狭いに転じた

「齷齪」はもともと、「あくさく」と読む漢語で「歯と歯の間が狭い」という意味でした。日本では「あくせく」という慣用音で広まり、意味も心が狭いこと、すなわち「心にゆとりがなく、目先のことに追われて、小さなことにかかわること」に転じました。

「接待」
→お布施の一つとして人々に湯茶をふるまう

「客をもてなすこと」という意味ですが、企業で行われるイメージもあって、裏には見返りや利益を求める気持ちがあるように感じられます。しかし、本来は仏教に関連した無償の行為です。お布施の一つとして、修行僧や往来の人々に門前で湯茶を供する意味なのです。現在も四国のお遍路などで見られます。

「稽古(けいこ)」
→昔のことを考えて物事の道理を学ぶ

中国最古の歴史書とされる『書経(しょきょう)』にある「古(いにしえ)の帝堯(ていぎょう)を稽(かんが)う」に由来する言葉です。「稽」には「考える」という意味があり、「稽古」の本来の意味は「書物を読んで昔のことを考え、物事の道理を学ぶこと」です。現在の国語辞典にも、この意味が記載されています。そこから、学問、学習の意味が生まれ、芸能や武術の修練の意味にも用いられるようになりました。

「地団駄を踏む」
→「地蹈鞴」という足踏み式のふいごが由来

「地団駄」は、足踏み式のふいごである「地蹈鞴(じたたら)」が変化した言葉です。悔しがって地面を踏みつける様子が、地蹈鞴を踏む動作と似ていることから、「地蹈鞴を踏む」というようになり、「地団駄を踏む」に変化しました。「地団太」とも書きますが、いずれも当て字です。

次のページ
「図」は仏教僧が唱える声明の転調