阪神ファンのスタンド応援(C)朝日新聞社
阪神ファンのスタンド応援(C)朝日新聞社

ロッテ応援スタンド(C)朝日新聞社
ロッテ応援スタンド(C)朝日新聞社

 セ・パ交流戦がスタートしたのは05年。新型コロナウイルスの感染拡大で中止になった昨年を除き毎年開催され、ペナントレースとは違った盛り上がりを見せる。際立つのはパ・リーグの強さだ。年度別で見ると、パ・リーグが勝ち越したのが14度に対し、セ・リーグは1度のみ。投打に豪快な野球を繰り広げるパ・リーグが、緻密な野球を重視する傾向が強いセ・リーグを圧倒する試合が多い。

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 両リーグの球団が真剣勝負を繰り広げるのは日本シリーズ以外では見られなかった光景だったため、野球ファンにとっても新鮮だった。ファンだけではない。交流戦が始まった05年からセ・リーグの選手たちの間で話題になったのが、ロッテファンによる大音量の声援だった。

 セ・リーグの在京球団でプレーした選手は証言する。

「あの応援は衝撃でしたね。個人的には甲子園阪神の応援より凄かった。ロッテファンの応援が凄くて、外野を守っていてもフライを捕る時に味方の選手の声が聞こえないんですよ。『オーライ!』っていう声がかき消されて、他の選手と衝突しそうになった時が何度もありました」

 ロッテの応援はプロ野球の歴史に「革命」を起こしたと言っても大げさではないだろう。野球の応援はメガホンを叩いて声援を送るのが主流だったが、ロッテは違った。サッカーのサポーターのように全員が立ち上がり、ユニフォームを着て声を張り上げて跳びはねる。

 福浦和也、西岡剛、今江敏晃ら主力の応援歌は他球団のファンにも大人気で、15年以上経った現在でも高校野球の応援で耳にする。得点が入った時に流れる「エリーゼのために」で球場のボルテージは最高潮に。本拠地・千葉マリンだけでなくビジターでも応援の熱が凄い。阪神ファンが9割を占める甲子園での交流戦でも、ロッテファンの大声量と一糸乱れぬ手拍子の応援に、阪神ファンからどよめきと拍手が起こるほどだった。

 大声援はチームを大きく後押しした。ボビー・バレンタインが指揮をふるったロッテは交流戦初年度の05年に24勝11敗1分で初代王者に。同年はシーズン2位でクライマックスシリーズを勝ち上がり、日本シリーズで阪神に4連勝と圧倒して日本一に輝いた。翌06年も23勝13敗で交流戦連覇の偉業を達成した。

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応援の革命とは?