では、どんな工夫が有効だったかといえば――。まず、画面の暗さをなんとかしてほしかった。全編を通して、都会の屋内でのシーンが多く、自然の美しさ、特に明るい緑が足りなかったのだ。100作記念の朝ドラ「なつぞら」でも北海道パートが人気で、東京編は今ひとつ盛り上がらなかったように、画面の暗さが数字にも響いた気がする。

 そのぶん、物語が明るければいいが、むしろ逆だった。朝ドラ史上最悪と評された父親による虐待、再会したかと思えばやくざ者になっていた弟による妨害、あげくは公私にわたるパートナーだった夫が若い後輩女優をはらませたため、離婚して家を出るハメに。そのつど、救いとなる展開も用意されていたものの、そこに到達するまでに暗さに耐えきれず、離脱した人もいるだろう。

 秦基博の歌う主題歌のタイトルは「泣き笑いのエピソード」。それはまさに、この作品のテーマでもあったが「泣き」と「笑い」のバランスが前者に偏りがちだった。しかも、泣かせようとする気合が強すぎて、かえって泣けなかったりもしたのである。

 じつはこの背景には、ある先行作品が影響している。同じく大阪制作の「カーネーション」(2011年後期)だ。熱烈なファンも生んだが、古くからの朝ドラファンには不評で、視聴率も20%には届かなかった。

 その原因はやはり、画面と物語の暗さだ。前年の大河「龍馬伝」で注目されたプログレッシブカメラによる映画風の映像は、朝ドラにはややそぐわないもので、違和感をもたらした。また、ヒロインたちの荒っぽい言葉遣い、柄の悪いキャラクターも、朝からあまり爽やかな気持ちにさせてくれなかった。ドラマとしての出来自体はまずまずだったから、夜の枠ならよかったのにと思ったものだ。

 もっとも、いまや朝ドラは朝に見るものとは限らないと言いたい人もいるだろう。実際、昼や夜、あるいは土曜の一挙放送でとか、録画したものを好きなタイミングでという見方も増えてきているはずだ。

次のページ
じっくり見ないと入ってこない