「伸びるときは、垂直線で一気に伸びるのだと知りました。点数だけは、努力を認めてくれる。それを信じて頑張ってきました」

 開始2年で番組企画は終了したが、諦めきれず、3年目以降はプライベートで受験勉強に励んだ。3年目の模試で最高点の698点をたたき出して順調かと思いきや、その後は平行線。これまでに7回センター試験を受けたが、2次試験にたどりつくことなく落ち続けている。結局、「698点の壁」を超えることができなかった。

「ある一定まで伸びたら頭打ちになって、そこから伸ばすのは本当に難しい。野球でいう“地肩”の問題なのかもしれないですね。僕に大谷翔平の肩があれば、と思うのです。入試では解く速度も必要ですが、僕は暗算ができないんです。10代からちゃんと勉強していれば……」

 特に、数学の壁が厚かった。

「数学IAまでは努力で補えますが、数学IIBになって3次関数や空間の計算が入ってくると、理系の地肩が必要。いつまでたっても解くことができず、悔しかったですね」

 山田を指導した家庭教師は、現役の東大生だった。現役東大生と接するなかで、頭脳の「差」を痛感したという。

「東大に入れるような頭のいい人は、生まれ持った素質がある人が多いと感じます。彼は受験生の時、予備校に行かずにセンターで900点中898点を取るような子。僕を教えるために、履修していなかった地学を2日間勉強しただけでマスターしてしまった。天才なんですよ」

 山田が受験に臨んだ期間は、46歳から53歳までの7年間。その後は勉強時間の制約があるため、受験がかなわずにいる。『かたりのせかい』(ライフワークである語り芸)を手掛けるようになり、勉強時間の確保ができなくなったためだ。

「勉強もしないで“出場”だけするのは、頑張っている受験生たちに対して失礼だと思ってね。ただ、60歳になった今も、チャレンジしたいという思いは消えていない。数学の参考書も、まだずっと取って置いています。大事なのは、諦めないこと。僕に足りない“地肩”の部分をどう補うか、模索していきたいですね」

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生物や物理の「確率」が鬼門