「気持ちの区切りは必要?」 つらい過去を思い出す人にカウンセラーはどう答える? (1/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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「気持ちの区切りは必要?」 つらい過去を思い出す人にカウンセラーはどう答える?

連載「男と女の処世術」

写真はイメージです(C)GettyImages

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カップルカウンセラーの西澤寿樹さんが夫婦間で起きがちな問題を紐解く連載「男と女の処世術」。今回のテーマは「気持ちの区切り」。つらい過去の経験を思い出して、「区切りをつけないといけないのか」「区切りをつけられない私はダメなのか」などと思ったことのある人も多いことでしょう。そんな思いに対して、プロのカウンセラーはどうアドバイスするのでしょうか。
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 3.11から10年の「節目」ということで、新聞やテレビで特集や特番がたくさん流されました。

 そういうのに浸っていると、被災者でない私すら、なんとなく、10年でひと区切りなのかなあという思いになったり、10年経ったのだから次のことに目を向けないとね、という無言の圧があったりするような気がしてきます。もちろん誰もそんなことを言っていませんし、まだあちこちに震災の傷跡が残っている現状で、被災者はもう気持ちに区切りをつけるべきだ、なんてことを言ったら逆にバッシングされる気がしますが。

 社会政策としては、どこかで区切りをつけて政策を変えていかなければならないというのは理解できます。そういえば、延期になっているオリンピックも復興を掲げたものでした。

 しかし、気持ちの区切りは人それぞれで、つらかった体験を受けとめ、あるいは横に置いて、さっさと区切りをつけた人もいるでしょうし、いまも全然区切りなんかつかない人もたくさんおられると思います。

 そんな状況の時、カウンセラーはこういったことをよく聞かれます。

「もう区切りをつけないといけないのでしょうか」
「まだ区切りをつけられない私はダメなのでしょうか」

 もちろん、「区切りをつけなければいけない」ということはありませんし、ダメだということもありません。区切りがついていない、というのは単に状態にすぎません。

 たとえば「室温16度」というのは単なる状態ですが、その部屋にいて、

「快適だと感じないといけないのでしょうか」
「寒いと感じる自分はダメなのでしょうか」

 というのと同じだと思うのです。

 16度を快適だと感じる人もいれば、寒いと感じる人もいて、それが今のその人なので、いいも悪いもないはずです。

 それでも「区切りをつけるべきなんでしょうか」という人もいるのでしょう。ただ、そもそも16度の部屋を「快適だと感じるべきでしょうか」という質問がナンセンスなように、「区切りをつけるべきか」も(聞きたくなる気持ちは想像できますが)ナンセンスな質問です。

 寒くて、その状況を変えたいなら、変える方法を考えればよいだけのことですし、清少納言が「冬はつとめて」といったように寒さに浸っていたいなら、変える必要もありません。

 問題があるとしたら、
(1)本人は変える必要性を本当は感じていないのに、周りの人や自分の頭の中にある考えによる圧力で変えなければいけないと思い込んでいる場合か、
(2)その状況を変えたいし、変えられるはずだと心のどこかで思っているのに、変えられないと自分に言い聞かせている(信じている)状況です。

 大筋でいえば、(1)は「自分は変える必要を(少なくとも今この瞬間は)感じていない」ということに気づけばすっきりするはずです。自分の気持ちに区切りをつける、つけないは自由ですから、自分にとって必要なければ、変わらなくていいのです。それにもかかわらず、もし外から内心の区切りを強要することがあるとすれば、それは暴力的なことだと思います。しかし、長期間つらい思いをしている人を見るのはつらいので、外野の人たちは、良かれと思って「もうそろそろ……」と言ってしまいがちです。


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