阪神の金本知憲元監督 (c)朝日新聞社
阪神の金本知憲元監督 (c)朝日新聞社

 阪神・金本知憲前監督はチームに何を残したのか。

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 就任中は前時代的などと、批判が飛び交った。しかし当時の若手が、ここ数年で伸びている現実もある。賛否両論入り乱れる『アニキ』の真の評価とは……。

「やり残したというのは多々ありますけど、結果の世界ですから。成績不振です。何より最下位というね。『もう少し、頑張ってみてよ』ということは言われましたけど、僕の意思も固かった。しんどかったというのが一番ですね。でも若い選手が良い成績を残してくれた時とかは本当にうれしかったし、逆に僕の方がワクワクしてね。『このまま良くなってくれよ』とか。そういう楽しい思いもあった」(金本監督・当時)

 18年10月11日、契約期間が残っていた金本監督が電撃的な辞任を表明した。前年オフには新たに3年契約を結んでいたため、任期途中での辞任に衝撃が走った。

『超変革』『挑む』『執念』を掲げて、若手に大きな期待を寄せつつ勝利を目指したが、結果は残せなかった。時には時代錯誤と揶揄される根性論的な指導方法に対する反発も多かった。形式上は金本からの辞任となっているが、事実上は親会社の阪神電鉄などが主導となった解任とも言われた。

「現役時代から知っている人は、信じられない行動。頑固なまで真っ直ぐで、決めたことには最後まで筋を通す。球団、ファンなど各方面からの逆風は強かったが、任期途中で自ら辞するなんて考えられない。本人の思いとは違う場所で物事が進み、組織内での決定事項を受け入れざるを得なかったのだろう。辞任の形を取ったのは本人への配慮ではないか」(阪神担当記者)

 現役時代には広島、阪神で現役通算21年間プレーし、2578試合に出場。2539安打、476本塁打、1521打点と一流の成績を残した。また、ケガを押してでも試合に出場し続ける姿は『鉄人』と呼ばれ、1492試合連続フルイニング、13686連続イニング出場という世界記録を樹立した。16年からの阪神監督通算3年では、429試合204勝216敗9分で負け越し。Aクラス入りした17年の2位(CSの1stステージでDeNAに敗退)が最高成績で残りは4位(16年)、6位(18年)と苦しんだ。

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名選手が名監督になるのは難しい