畑島にとって一番意外だったのが、ドライバー同士の関係だ。

「電車が事故で止まったから、あの駅に行くとお客さんがいるよとか、今日はどこそこで大きなイベントがあるから行ってみなとか、先輩乗務員さんたちが、そういう情報を教えてくれるんです。正直、そういうの、いままでに1度もなかったんで、ああ、この会社に来て本当によかったなと思いました」

 乗客の感謝の言葉が綴られたエコーカードも、月に1、2枚、多いときには3、4枚も届くことがある。

 畑島がこれまでに乗せた客で一番印象深かったのは、ある老夫婦だ。東京駅から日比谷の帝国ホテルまでという短距離だったが、夫の方の足が悪く、乗車が思うに任せない。畑島が「あわてなくていいですよ」とひとこと声をかけると、老夫婦は「足が悪いのにせかされないなんて、本当にありがたいことです」と、しみじみ礼を言ってくれたという。

 新聞の投稿欄にでも載っていそうな、月並みな「いい話」だと言ってしまえばそれまでだが、畑島は訥弁でこう続ける。

「私だってお金は欲しいし、たくさん貰えるにこしたことはないですが、この会社にいると、周りの人から精神的に追い詰められることがなくて、安心っていうか、不安がないんです。お客様に掛ける言葉も、せいぜい『エアコン寒くないですか』くらいなんですが、それでも喜んでくださる人がいるんです。そういう仲間とか、そういうお客様の言葉とか、それってお金にはかえられない財産かなって思います。いままでの仕事には、そういうの、なかったんで」

 しかし、よくよく聞いてみれば、ドライバー同士の間にそれほど濃密なつながりがあるわけではない。客待ちの間に携帯電話で情報交換をしたり、深夜に帰庫した後、ふたこと三言冗談を交わしたりする程度のことらしい。もちろん乗客との関係も、その場限りのものがほとんどだ。それでも、ドライバー同士のわずかなやりとりや、客の短い感謝の言葉が嬉しいと畑島は言うのである。裏返して考えれば、畑島はそれほど酷薄な人間関係の中で生きてきたということかもしれない。

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