医師は、「すぐに手術しましょう」と勧めてきましたが、ほかに選択肢はないのかと思い、別の病院でも検査することにしました。心臓に持病があるため手術に耐えられるのかという不安と、医師のビジネスライクな対応に違和感を抱いたからです。


 
 ようやく探し出したのが、国立がん研究センター東病院での陽子線治療。切らずにがんをやっつけ、寛解することができました。
 
 しかしその二年半後に食道近くのリンパ節にがんが再発します。今度は陽子線治療ができない場所だったので、手術を受けますが、気管支と密着していて、がんは摘出できませんでした。幸いにも、その後の抗がん剤による治療でがんはほぼなくなり、ほんの小さながんは陽子線治療によって消し去ることができました。
 
 僕はがんを通じて、“善き人”よりも“正直な人”であることを選びました。手術を断ったことで、私の治療にかかわった多くの名医の方々は不愉快に感じたかもしれません。それでも僕は正直に自分の意見を述べたことで、「医者と患者」という関係性を超えた人間関係が成立し、二度のがんを克服できたと思っています。
 
 僕は70代という期間をがんとの闘いに費やしました。特に、二度目は一度克服したはずのがんが再発したことで、一時は虚無感に襲われました。抗がん剤治療中も、医師からは「今後の人生設計は一カ月単位で考えてください」と言われ、無事に乗り切った日は、毎晩、女房とハイタッチを交わしていたほどです。

「やり残したことはないか?」と毎日のように考えるなかで、真っ先に思い浮かんだのが1997年の出来事。「石狩挽歌」の石碑が小樽貴賓館に建てられ、その除幕式に招かれたときのことです。石碑には歌詞とともに、「なかにし礼 作詩」「浜圭介 作曲」と刻まれました。しかし、「歌手・北原ミレイ」の名がそこにはなく、同席していた彼女がフッと寂しそうな横顔を見せたことが、ずっと引っかかっていたのです。
 

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僕にはやり残したことはない