その直後のことは、正直、あまり覚えていません。体重は10キロくらい落ちました。僕はぼうぜん自失の状態だったので、求められるがまま、(離婚届に)ハンコを押してしまったんだと思います。そうしたら、4月上旬には役所から「離婚届を受理しました」という通知が届いたんです。あの日は前年、家族の経済状態を挽回するために渾身の力を振り絞って取材・執筆した作品が、応募していた文学賞から落選したという知らせがあった日でもありました。ガッカリしてして記憶が全部飛んでしまって、その日、乗っていた自転車をなくしてしまったほどでした。

――現在、西牟田さんは共同親権や共同養育も取材テーマの一つとしていて、17年1月には離婚後に子どもと会うことができなくなった父親たちを取材した「わが子に会えない―離婚後に漂流する父親たち」(PHP研究所)も出版しました。西牟田さんは離婚後もお子さんに会えているということですが、こうした父親たちと関わるきっかけは何だったのでしょうか?

西牟田:離婚後の喪失感を埋めるために、パートナーや妻子と離れ離れになった親たちの当事者団体に連絡をとって、その集会などに参加するようになりました。そこには僕よりも辛い経験をしている人たちがたくさんいました。身に覚えのないDVを妻からでっち上げられて子どもと全く会えなくなった父親などもいて、日本では夫婦が離別すると、親が子どもに会えない実態があるのだと知りました。

 そのとき僕が頻繁に相談していたのが、旧知の仲である某テレビ局の報道記者でした。彼は離婚調停中だったのですが、Facebookには親子で面会する様子などをたまに書き込んでいました。その文面はとても悲しげで、もっと子どもと会いたいという思いはひしひしと感じました。それでも彼は福島の除染業者の実態をルポするなど、精力的に仕事をしていました。しかし、僕が彼に相談を始めてから4カ月後、彼は自ら命を絶ってしまったのです。なぜ彼の心の不調に気が付けなかったのか。すごく大きなショックを受けました。彼の死によって、「子どもと会えない父親の実態をもっと社会問題として提起すべきだ」という思いが強くなりました。そうして書いたのが「わが子に会えない」(2017)という本です。

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元夫に「会わせてもいい」と思っていた女性たち