――すると、今考えると、西牟田さんの元奥さまも生き残り、幸せになるために「究極の選択」をしたというお考えですか?

西牟田:うーん……すみません、僕の中でその答えはまだ出ていません。ただ、自分が深く考えなかった経済的な不安は彼女にとっては相当に大きかっただろうし、その上で、僕自身が支えてもらうことばかり考えていて、自分が夫として父親としてどうやったら家族を支えていけるか、ということを真剣に考えられていなかったことは痛感しています。本当に大人になりきれていなかったんですね。何度も修正するチャンスはあったのに、妻の気持ちと正面から向き合わなかった積み重ねが、「子どもを連れて出て行かれた」という結果になったのだと思います。自分の中で何か結論が出たわけではないですし、自分と向き合う作業はこれからも続けていきます。

――この本の取材、執筆を通して、共同親権や共同養育に対するスタンスに変化はありましたか?

西牟田:今でも共同親権の導入に賛成であることには変わりませんが、もっと柔軟に対応すべきだとは考えています。たとえすぐに民法が改正されなくても、世の中全体は「子どもは夫婦一緒に育てるもの」という意識はもっと強くなっていくはずです。学校教育では家庭科と技術の授業は男女別ではなくなっていますし、共働き夫婦の増加で男性の育児意識も以前よりもはっきりと高まってきました。離婚後の共同養育に関する親教育はもっと充実させるべきだと思いますが、今の30代~40代は「共同養育」という価値観は自然と身についているように思います。

 共同親権や共同養育の議論は、強硬な反対派と賛成派のせめぎ合いがずっと続いてきました。反対派の女性支援団体などが主張している「DV被害者の救済」はDV防止法の改正など別で法整備をしていくべきですし、一部のDVだけにスポットを当てて共同親権そのものを否定する論調には同意できません。一方で推進派の人たちは、元妻側とかなりモメてしまって調停や審判に進んでいる人たちが大半で、子どもに会えないことで「相手憎し」になってしまっている部分もある。しかし、離婚した夫婦の9割は協議離婚です。つまり、強硬な推進派の人たちもまた「少数派」なのです。少数派同士が賛成、反対を主張し合っても、建設的な議論にはなりません。もっと社会の全体像をとらえながら、「どうやったら子どもとの関係が途切れない社会にしていくか」を議論すべきだと思います。男性側も「連れ去った元妻が悪い」と凝り固まった考えにこだわるのではなく、妻が「究極の選択」をしなければいけなかった背景をもっと考えるべきだと思います。今回の本がその一助になれば、と思っています。

(構成=AERAdot.編集部・作田裕史)

◎西牟田靖(にしむた・やすし)
ノンフィクション作家。1970年、大阪府生まれ。神戸学院大学法学部卒。中国経済や家族をテーマにした記事を雑誌やウェブメディアに執筆している。著書に『僕の見た「大日本帝国」』『本で床は抜けるのか』『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』(PHP研究所)など。