2011年に巨人に在籍した右腕のカルロス・トーレスも、日本では6試合の先発登板で防御率6.26と振るわずに1年で退団となったが、メジャー復帰後はリリーバーとして活躍。メッツでプレーした2014年から4年連続で59試合以上に登板し、ブルワーズに在籍した2016年には72試合にリリーフ登板して3勝3敗2セーブ20ホールド、防御率2.73という好成績を残すなど、貴重な中継ぎ投手となった。

 野手では、まず名前が思いだされるのが元中日マット・ステアーズだ。1993年シーズンに途中に来日したステアーズは、60試合の出場で打率.250、6本塁打、23打点と低迷し、オフに早々と退団となった。しかし、当時チームメイトの落合博満が認めたという打撃はアメリカで花開くことになる。

 米復帰後4年目となる1997年にはアスレチックスで外野手として定位置を確保すると、133試合の出場で打率.298、27本塁打、73打点の好成績をマーク。1999年には打率(.258)は下がったものの、ア・リーグ8位となる38本塁打、89打点と素晴らしい数字を残し、権威あるMVPの投票でも17位ながら得票があるほどだった。

 メジャーでは19年間プレーして1895試合に出場。通算1366安打、265本塁打、899打点は見事というほかない。メジャーリーグでの活躍以外でも2006年、2009年のWBCでは母国カナダの代表として出場。引退後にはカナダの野球殿堂入りも果たすなど“レジェンド級”の選手となった。

 他で名前を挙げたいのが、1998年に阪神でプレーしたデーブ・ハンセン。前年にはカブスに在籍して90試合の出場で打率3割を超えていたハンセンだが、日本では打率.253、11本塁打、55打点と期待に応えられず。守備でも三塁手として17失策といい所なく日本を去ることになった。

 だが、翌年に米国に帰国してからは主に代打として、メジャーで5年連続90試合以上に出場。ドジャース時代の2000年には代打としてはシーズン歴代最多となる7本塁打を放っている。メジャーの通算成績は466安打、35本塁打、222打点とそこまで目を引くものはないが、代打として通算138安打は長い歴史を持つメジャーリーグでも歴代6位。海の向こうで“代打の神様”として名を残した。

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覚えてる人が少なそうな助っ人も活躍