――2004~2006年の3年間、新庄さんと渡辺さんはともに同じパ・リーグに所属して対戦経験もあります。当時は、新庄さんのことをどういう風に見ていましたか?

 新庄さんの存在はとにかく大きかった。特にパ・リーグにとっては。

 今でこそセ・リーグとの人気差はなくなってきていますが、当時はパ・リーグをどうやって盛り上げていこうかと各球団が考えている時代でしたからね。

 球場の天井からゴンドラで降りてきたり、バイクで入場してみたり、オールスターでキラキラのベルトをつけてきたり、ホームスチールをいきなり決めてみたり、他にもたくさんありますが、とにかくこんなことしちゃっていいのっていうことばかり。どれもこれも、新庄さんじゃないとできないことでしたね。

――ちなみに新庄さんは現役時代、渡辺さんからヒットを1本も打っていません。この事実には気付いていましたか?

 対戦した打席はそこまで多くないとは思っていましたが…1本も? けっこう良いライナーを打たれた記憶もあるんですが、そうなんですね。あまりそこは考えていなかったです。

――新庄さんとの対戦では、他のバッターと異なる攻め方などはしていたのでしょうか?

 新庄さんだからといって、特に変わった攻め方というのはしていませんでしたね。

 もちろん、新庄さんのデータは頭に入っていましたので、苦手なボールを徹底して投げてはいました。長打も怖かったですし、新庄さんが打つと試合の雰囲気がガラッと変わりますからね。かなり慎重には攻めていましたよ。

 ただ、単純に新庄さんは僕のようなアンダースローが苦手だったんだと思います。投げていて「あ、嫌がっているな」っていうのはすぐに分かりましたから。

――新庄さんは、渡辺さんが苦手だったせいか、あえて試合に出場しなかったという話もあります。あれは、事実なんでしょうか?

 僕も直接新庄さんから話を聞いたわけではないですが…おそらくある程度は本当だと思いますよ(笑)。

 ある日、突然、僕が先発する試合にだけ出場しなくなりましたから。

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