さらにもうひとつ、角川のスタンスにはスタジオジブリの宮崎駿に似たところもある。宮崎が「崖の上のポニョ」で子役の大橋のぞみに入れ込んだように、角川もまた、芸能人的な派手さより、普通の女の子の素朴さを愛してきたからだ。

 それゆえ、薬師丸は大学受験のために休業することもできたし、原田も当時のアイドルのトレンドだった「ぶりっこ」でも「ツッパリ」でもない、雑誌「Olive」が似合うようなナチュラル路線を歩むことができた。

 このあたりが他のアイドルとは違うとして、熱狂的なファンを生んだゆえんだ。ただ、筆者は当時、その神聖視にも似た熱狂ぶりが苦手で、薬師丸や原田にはアイドルとしての魅力をさほど感じなかった。それよりは、ふたりの陰に隠れ、そのぶん、熱狂的なファンの少ない渡辺に強くひかれたものだ。

 渡辺はとにかく器用で、主役から脇役までさまざまな役をこなした。そのなかには、ニャンニャン事件の高部知子の代わりに主演した映画「積木くずし」や、自殺した岡田有希子が演じるはずだった2時間ドラマの主役もある。

 20代半ばからは「京一輪」(日本テレビ系)「とっても母娘」「のんちゃんのり弁」(TBS系)といった民放の朝ドラや昼ドラに主演。この時期は薬師丸も原田も、トップアイドル女優からの路線変更に苦労しており、むしろ渡辺のほうが早めに新たな居場所を得て、気を吐いていた印象だ。

 何にせよ、3人それぞれが今も生き残り、健在ぶりを示している。その決め手は若くして主演や主題歌歌手をこなしたことなのではないか。そこで得たスキルと経験値、精神力という財産。いわゆる、地位が人を育てるというやつだ。

 前出の「サワコの朝」でも、原田が「(歌と芝居の)両方をやってたから、こんな長くやってこれたかなっていう。(略)ずっと飽きずに両方をやってこれた」と発言。聞き手の阿川佐和子には、こんな指摘をされていた。

「私もあるとき、女性は二股かけてるほうがいいぞ、って言われたことがあって、実際、私も映像の仕事と活字の仕事とやってるんだけど、いいとこ取りで行ったり来たりできるから」

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昭和の芸能界を思い出させる