メーカーが展示会場を持ち続ける意味とは?

――2017年に選考委員を退任されましたが、いま振り返って、いかがですか?

 私が選考委員を務めた25年間はいい時代だったかもしれませんね。カメラ産業が拡大、拡大の成長産業だった時代。でも、いま状況は変わりました。写真専門の東京写真美術館があり、これまでの公私の美術館も写真企画をどんどん打つようになってきています。写真カメラ産業は苦境にありますから、ニコンサロンを支え続けるのは大変でしょう。

 民間のコマーシャル写真ギャラリーも増えてきています。70年代の草創期のコンセプトでは、これを乗り切れることはできません。新しい時代に即応した対応を求められていますね。構造的に相当複雑になってきている現在の映像環境をしっかりとらえたコンセプトがなくてはいけません。ここまで写真が多様化した時代にメーカーが展示会場を持ち続ける意味を再構築して考えなければならなくなっています。

 最近、意識的にニコンサロンに作品を応募しない人が出てきました。特に若い人にとってメーカー系のギャラリーがそれほど魅力的でなくなった理由は、自分の作品を写真表現のジャンルに納めたいとは思ってないからです。「俺の作品は写真じゃない、アートだと」。彼らにとって、ニコンサロンでやるということは、自分の作品が写真のカテゴリーに入ってしまうということで、困るわけですよ。同じイメージの作品が、アートというカテゴリーに区分されるかどうかで、写真の値段、ステータスに大きな違いが発生するという、商業的な環境ができてしまったということです。だから、現代美術の美術館やギャラリーでならやるけれど、「ニコンサロン?」みたいなことになっている。

 現在は、そういう意味で公、私機関のギャラリストが絶大な力を持ってきています。そこで、ニコンサロンは、70年代の草創期のコンセプトから脱して、新しいコンセプトを確立する必要に迫られています。ひとつの役割を終えたというような消極的な評価に留まってはいけませんね。過去の審査委員を切って、新しい審査委員に据え変えていくことで、新しい時代に対応できるという発想では、乗り超えられないと思います。だいたい、土田に「ご苦労さん」というのが、早すぎましたね(笑)。冗談抜きに過去を学んだうえで、将来に長い視線を向けて考察する人材を確保しなくてはいけないでしょう。

 ただ、これからもニコンサロンには写真であろうと、アートであろうと、それを受け入れる度量があると思います。にもかかわらず、自己規制して作品を応募してこないという若者。既成の作家には新しい表現はわからないんじゃないか、という若い人特有の思い上がりは……けしからん! ははは。愚かですね。ひとり一人の応募が、新しいニコンサロンの道をつくっていくことになるはずなのです。

                  (文・アサヒカメラ 米倉昭仁)