なぜ“怖い”星野仙一に人は惚れるのか…宇野勝が語る「闘将」の裏の顔 (1/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

AERA dot.

なぜ“怖い”星野仙一に人は惚れるのか…宇野勝が語る「闘将」の裏の顔

このエントリーをはてなブックマークに追加
山岡則夫dot.
中日監督時代の星野仙一氏 (c)朝日新聞社

中日監督時代の星野仙一氏 (c)朝日新聞社

「星野仙一は仲間ではない。兄貴であり親父」

 元中日・宇野勝は強い想いを抱いている。

【写真】イチローが「本当の天才」と言った男とは?

 同じユニフォームを着ていたのは随分昔の話になったが、2人の絆は変わらない。

 選手で6年(77-82年うち2年は兼任コーチ)、監督と選手で5年(87-91年)、中日でともに勝利を目指した。

「僕が中日に入団した時には星野さんは大エースで話しかけにくかった。高校(千葉県・銚子商)の先輩、土屋正勝さんが投手陣の中にいたので、星野さんとも話すようになった。面倒見が良く、投手、野手とか関係なく食事に連れて行ってくれた。でも試合中は本当に怖かったね(笑)。オンオフのギャップが大きく、それが魅力的だった」

 77年、星野は18勝を挙げるなど中日のエースだった。新人の宇野は1軍出場2試合の若手にすぎなかったが、星野とも会話を交わすようになっていた。

 宇野が主力になり始めたのは79年で、星野はすでにベテランの域に差し掛かっていた。

「『勝ちたい』『優勝はいいぞ』といつも言っていた。星野さんも引退するまでに優勝したかったのではないのかな。『プロは年齢なんて関係ない。結果を出してチームを引っ張れ』と言われたのを覚えている」

 星野は74年にリーグ優勝経験はあるが日本一の経験はない。「勝つんだ」と常日頃から口にしていた男にとって、頼れる後輩の台頭はうれしかったはずだ。

 2人の関係で欠かせないのは、やはり『ヘディング事件』だ。

「当人同士は何もないよ。周囲が面白がっただけ」

 81年8月26日の巨人戦(後楽園球場)。先発・星野が好投し中日2対0でリードして迎えた7回裏2死二塁、内野フライを宇野が『ヘディング』して失点する。

「星野さんだけでなくチーム全体に申し訳ない気持ちだった。巨人が強い時期で、誰もが気合いを入れて臨んだ試合。後の珍プレーで星野さんがグラブを叩きつけて激怒しているシーンも映ったけど、誰が投げていても怒ったはず。僕と星野さんの関係性で面白おかしく伝えられた。試合後すぐに『気にするな』と慰められたね」

 星野は82年に現役引退、テレビキャスターなどを務めた後、87年に監督として中日に戻ってきた。


トップにもどる dot.オリジナル記事一覧

続きを読む

おすすめの記事おすすめの記事
関連記事関連記事

あわせて読みたい あわせて読みたい