選手としても監督としても素晴らしい成績を残した落合博満氏 (c)朝日新聞社
選手としても監督としても素晴らしい成績を残した落合博満氏 (c)朝日新聞社

「落合博満は『同志』だった」

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 中日のスターだった宇野勝は、かつて同じユニフォームでプレーした落合博満を『同志』と呼ぶ。

「実績などまったく違うので『ライバル』と呼ぶのは、おこがまし過ぎる。でも同じバットマンとして影響を与え合ったとは思う。そして優勝を狙うチームの一員として同じ方向を向いていたのは確かだから、『同志』が合っているんじゃないかな」

 選手としての印象は異なる2人だが、それぞれを認め合っていたのは有名な話。“うーやん”が落合について語ってくれた。

 落合は82年に史上最年少で三冠王を獲得するなど、球界を代表する強打者に成長。3度目の三冠王を獲得した86年オフ、4選手との交換トレードでロッテから中日に加入した。

 当時の宇野も中日の中心選手として、ファンから絶大な人気を誇っていた。84年には37本の本塁打を放ち、遊撃手史上初のホームラン王を獲得。ベストナイン3度受賞など、リーグを代表する名ショートだった。

「落合さんが中日に移籍した時の年齢は33歳。三冠王も3度獲得していて、職人のイメージ。近寄りがたいオーラのようなものもあったのかな。僕は28歳と脂が乗り始めた時期で、立場的にもドラゴンズで上の方になっていた。春季キャンプなどでの調整も、任されて自分のペースでやっていた。そうすると落合さんと似たようなメニューで独自調整することも多いから、一緒にいる時間が長くなる。そこから話すようになった」

 53年生まれの落合と58年生まれの宇野。実年齢では落合が5つ上になるが、グラウンド内外では行動をともにすることが多かった。

「移籍1年目の早い段階から話すようになった。僕もこういう性格で話好きなので、いろいろなことを聞いた。自然と食事なども一緒にするようになった。話はほとんどが野球で打撃のこと。僕の考えを話すと、落合さんはしっかり聞いてくれる。その上で、オレはこう思う、と自分の考えを聞かせてくれた」

 タイトル獲得歴のあるバットマンたちが集えば、話は熱い打撃論になる。宇野が自らの打撃理論を三冠王にぶつける一方、これまでとは異なるアプローチ方法を落合が説明してくれた。語り合った2人の時間は、その後の打撃に大きく生きている。

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落合が宇野に語った「打撃理論」とは…